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坂東三十三観音三十一番札所(大悲山笠森寺)「笠森観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音三十一番札所(大悲山笠森寺)「笠森観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の三十一番札所は大悲山笠森寺、千葉県長生郡にある笠森観音である。寺伝によれば延暦3年(784年)伝教大師(最澄)が東国巡錫の折、楠の根がたに十一面観世音を感得、楠の木で観音像を刻み、開基になられたと云う。「光明と楠との縁をとりて大悲山楠光院と題し給へり」と「縁起」にあり、この寺の正式名称は「大悲山楠光院笠森寺」である。

この十一面観世音菩薩に信心の篤い美しい娘が、後一条天皇の后に選ばれ、報恩に伽藍を建てたと云う。舞台造りの本堂は、長元元年(1028年)勅命により飛騨の工匠が棟梁となり建立されたが、現存する本堂は安土桃山時代の再建とのこと。

本堂(観音堂)。                       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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日本で唯一の「四方懸造り」という独特の建築様式・・らしい。

明治41年(1908年)に国宝に指定、昭和25年(1950年)の文化財保護法により現在は重要文化財。

岩の上に建てられた観音堂には、靴を脱いで階段を登っていく。
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観音堂から境内を見渡す。
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近辺の笠森寺自然林は国指定の天然記念物とのこと。

参道の途中には「子授けの楠」があり、これをくぐり抜けると子宝に恵まれると云う。
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同行の娘二人がくぐって・・・現在は孫が四人・・。

やはり参道途中の石仏、御光がさしていたので撮影。
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御朱印
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詠歌「日はくるる 雨はふる野の 道すがら かかる旅路を たのむかさもり」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

大悲山笠森寺付近地図


大悲山笠森寺は「御来光の道」と呼ばれるレイライン上にある。この「御来光の道」には、富士山、寒川神社、竹生島神社、大山(鳥取)、出雲大社等、日本の地理的、歴史的な霊地が並んでいる。このラインは北緯35度22分付近で、春分と秋分に日の出の陽光が貫くライン、神秘的なパワーをもたらすと云われる・・。

(2015年12月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:御来光の道
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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坂東三十三観音番外札所「善光寺」 [坂東三十三観音巡礼]

善光寺・坂東三十三観音番外札所
信州「善光寺」は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立仏教寺院である。日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であり、宗派の別なく宿願が可能な霊場となっている。本尊は日本最古と伝わる「一光三尊阿弥陀如来」像で、秘仏である。山号は「定額山」(じょうがくさん)と云う。
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善光寺は日本百観音(西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音)の番外札所となっており「結願したら、信州の善光寺に参る」と云われている。我ら夫婦は日本百観音を巡る気力はないが、坂東三十三観音巡りを結願し、願いも叶ったので信州「善光寺」にお礼参りをすることにした。

善光寺「仁王門」、大正7年(1918年)の建立、登録有形文化財。 
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仁王門から参道と山門を撮影、扁額は山号である「定額山」。

参道に入り、街灯越しに山門を撮影。              (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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参道で善光寺住職より功徳を受ける善男善女。
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善光寺「山門」は重要文化財、寛延3年(1750年)の建立。
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山門には登ることができ、参道や本堂・境内を眺めることができる。鳥除けに網が張られているが・・。

山門より参道方向を撮影。
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本堂と境内。
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善光寺「本堂」、宝永4年(1707年)の竣工、国宝である。
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本尊の秘仏「一光三尊阿弥陀如来」像が安置されている。

本尊の「一光三尊阿弥陀如来」は、天竺から百済を経て、欽明天皇13年(552年)仏教伝来に伴い日本に伝えられた日本最古の仏像と云われる。日本に伝来するも廃仏派の物部氏によって捨てられ、難波の津に漂着、上洛していた信濃の役人「本田善光」に拾われ、信州に如来堂を建立して祀ったと伝えられる。

伝承によると、本尊が現在の地に遷座したのが皇極天皇元年(642年)で「本田善光」の名に由来する「善光寺」は皇極天皇3年(644年)に創建された。開基は皇極天皇、勅願であると云う。

善光寺「本堂」より、左端に見える塔は日本忠霊殿・善光寺史料館。
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勧募窓口にて納経帳「坂東三十三観音帳」に御朱印を戴く。
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信州善光寺付近地図


善光寺詣りのあとは、別所温泉にある「北向観音」にお詣りする。善光寺は南向きに建立され阿弥陀如来を本尊として未来往生を願う、北向観音は北向きに建立され千手観音を本尊として現世利益を願うと云う。向き合ってる両方をお詣りしないと「片詣り」と云われるようなので、善光寺をお詣りしたあとには北向観音をお詣りするらしい。

(2018年9月下旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:別所温泉「北向観音」
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坂東三十三観音十三番札所(金龍山浅草寺)「浅草観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音十三番札所(金龍山浅草寺)「浅草観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の十三番札所は金龍山浅草寺、東京都台東区浅草にある「浅草観音」である。創立は推古天皇36年(628年)に宮戸川(現在の隅田川)で投網の中に聖観音像を感得、祀ったのが草創との伝である。大化元年(645年)に勝海上人が観音堂を建立、夢告により本尊を秘仏と定めた。浅草寺を中心として浅草は開け、鎌倉時代には源頼朝が深く帰依、江戸時代には徳川家の祈願所に定められた。東京都内最古の寺である。

宝蔵門
雷門から仲見世通りを抜けた先にあるのが宝蔵門である。
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現在の門は昭和39年(1964年)の再建で、鉄筋コンクリート造り。

本堂
本堂は本尊の聖観世音菩薩を祀る観音堂である。
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慶安2年(1649年)に再建された旧堂は国宝であったが、昭和20年(1945年)空襲にて焼失、現在の堂は昭和33年(1958年)に再建され鉄筋コンクリート造りである。

浅草寺は全国有数の観光地であり、海外からの観光客も含め、日中は人が絶えない。
御朱印は本堂の西側にある「影向堂(ようごうどう)」で戴く。

御朱印
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詠歌「ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

(2015年2月上旬 撮影機材 Nikon D5100、Apple iPhone 5s)


浅草寺夜景(2016年11月中撮影 Nikon1 J5)
夜になると人通りも減り、建物はライトアップ、浅草で一杯やった帰りに撮影。
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宝蔵門。
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宝蔵門は左右に金剛力士(仁王)像を安置するところから「仁王門」と呼ばれていたらしい。

向かって左の阿形。                      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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右の吽形。
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本堂(観音堂)。
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浅草寺付近地図


参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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坂東三十三観音一番札所(大蔵山杉本寺)「杉本観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音一番札所(大蔵山杉本寺)「杉本観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の一番札所は大蔵山杉本寺、神奈川県鎌倉市にある「杉本観音」である。創立は天平6年(734年)に僧行基が十一面観音を安置して開創したとある。そして「杉本寺縁起」には「永延二年戌子の春、忝も法皇御順礼の勅命有て、当山を以て坂東第一番と定め・・」云々とあるらしく、権威付けが行われている。永延二年とは988年、法皇は花山法皇である。

杉本寺本堂への擦り減った階段。
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通行禁止で迂回道で本堂へ向かう。

杉本寺本堂(観音堂)。                    (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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十一面観世音菩薩が三尊安置されている。            

杉本寺は創建時の十一面観音に加え、慈覚大師が中尊として十一面観音を、さらに寛和2年(968年)に恵心僧都が花山法皇の命によって十一面観音を奉安したと伝えられている。本尊三体である。

本堂横にある五輪塔群と鐘楼。
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五輪塔群は南北朝時代に北畠顕家との戦乱で斃れた斯波一族の供養塔。

杉本寺は鎌倉最古の寺らしく、枯れた佇まいである。
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本堂(観音堂)は延宝六年(1678年)の再建。

一番札所なので、納経帳「白茶蜀甲錦」を購入した。三十三観音巡礼の旅をしてみようと思う。
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巡礼の願い事は娘二人の良縁・・。

納経帳に御朱印を戴く。
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巡礼の始まり。

詠歌「頼みある しるべなりけり 杉本の 誓いは末の 世にもかわらじ」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

杉本寺付近地図


(2015年1月中旬 撮影機材 Nikon D5100)
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坂東三十三観音二十四番札所(雨引山楽法寺)「雨引観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十四番札所(雨引山楽法寺)「雨引観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十四番札所は雨引山楽法寺、茨城県桜川市にある「雨引観音」である。創立は用明天皇2年(587年)、中国(梁)より渡来の法輪独守居士によって開創され、推古天皇の御平癒を祈って効験があり「勅願寺」となった古刹である。

雨引観音参詣には「仁王門」前の145段の石段を登っていく。   (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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この石段は「厄除け長命の石段」と云われ、真言を唱えながら登ると長命できるらしい。

石段脇の木々は紫陽花、梅雨の時期に訪れると美しいかと。

本堂(観音堂)の本尊は、旧国宝であり法輪独守居士が請来した「延命観世音菩薩」である。
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創建当初の本堂については不詳、現在の本堂は天和2年(1682年)の建立。

「多宝塔」は、光明皇后御産(730年)のみぎり、安産祈願の効験により寄進されたものが嚆矢。
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現在の塔は嘉永6年(1853年)の建替。

楽法寺は筑波連峰の一旦、雨引山の中腹に立つ。境内から霊峰「筑波山」が望める。
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御朱印
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詠歌「へだてなき 誓いをたれも 仰ぐべし 佛の道に 雨引の寺」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

楽法寺(雨引観音)付近地図


筑波山近辺には二十四番、二十五番、二十六番の札所があるが、交通は不便なところなので、車にて巡礼。

(2015年2月下旬 撮影機材 Nikon D5100、Apple iPhone 5s)
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