葛飾柴又帝釈天(東京都)男はつらいよ [小さな旅(東京都)]
葛飾柴又帝釈天(経栄山 題経寺)
東京は葛飾柴又帝釈天、正式名称は経栄山題経寺といい日蓮宗の寺院である。寛永6年(1629年)の創建、本尊は「帝釈天」ではなく「大曼荼羅」との事である。
天気の良い平日、2歳になったばかりの孫と参拝に出かけた。葛飾柴又帝釈天は、孫のお宮参りを行った「縁(えにし)」がある。
帝釈天参道を闊歩する2歳児。
たくましく歩け、男はつらいこともあるけど・・。
参道を抜けて二天門をくぐると正面が帝釈堂である。
本尊の「大曼荼羅」は帝釈堂の右側に位置する本堂(祖師堂)に祀られているが、皆さんお参りはこの帝釈堂拝殿にて行なっている。
帝釈天境内は貸し切り状態。
「男はつらいよ」
葛飾柴又帝釈天といえば「寅さん」、映画「男はつらいよ」は全作品を観ている。後半の作品はほとんど映画館で観たが、その映画館はなくなってしまった・・。
松竹映画「男はつらいよ」シリーズは、渥美清主演で昭和44年(1969年)に第1作が公開され、平成7年(1995年)までの26年間に48作品が公開された。渥美清の死後、平成9年(1997年)に第25作をリメイクした第49作、令和元年(2019年)には第50作となる総集編的な「男はつらいよ50」が公開された。
第1作から第4作まで「寅さん」の実家として撮影が行われた、帝釈天参道の「とらや」にて。
「寅さん」の実家は葛飾柴又帝釈天参道にある団子屋「本家とらや老舗」との設定、但し第40作以降は「本家くるま菓子舗」との設定に変わる。柴又で当初撮影に使用した団子屋「柴又屋」が屋号を「とらや」に変更したため、松竹で政治的な配慮があった模様・・。
京成電鉄金町線の柴又駅前の銅像、旅立つ「寅さん」。
見送る「さくら」。
ここに立つと、「男はつらいよ」のテーマソングが聞こえてくる気がする(実際、たまに流れる・・)。
最近は「男はつらいよ50」を観たあとに、アマゾン・プライムで「第1作」を観てしまった・・。
さよなら「寅さん」。
柴又帝釈天付近地図
(2020年6月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
観た映画(Amazonの該当頁へ):「男はつらいよ」「男はつらいよ50」
東京は葛飾柴又帝釈天、正式名称は経栄山題経寺といい日蓮宗の寺院である。寛永6年(1629年)の創建、本尊は「帝釈天」ではなく「大曼荼羅」との事である。
天気の良い平日、2歳になったばかりの孫と参拝に出かけた。葛飾柴又帝釈天は、孫のお宮参りを行った「縁(えにし)」がある。
帝釈天参道を闊歩する2歳児。
たくましく歩け、男はつらいこともあるけど・・。
参道を抜けて二天門をくぐると正面が帝釈堂である。
本尊の「大曼荼羅」は帝釈堂の右側に位置する本堂(祖師堂)に祀られているが、皆さんお参りはこの帝釈堂拝殿にて行なっている。
帝釈天境内は貸し切り状態。
「男はつらいよ」
葛飾柴又帝釈天といえば「寅さん」、映画「男はつらいよ」は全作品を観ている。後半の作品はほとんど映画館で観たが、その映画館はなくなってしまった・・。
松竹映画「男はつらいよ」シリーズは、渥美清主演で昭和44年(1969年)に第1作が公開され、平成7年(1995年)までの26年間に48作品が公開された。渥美清の死後、平成9年(1997年)に第25作をリメイクした第49作、令和元年(2019年)には第50作となる総集編的な「男はつらいよ50」が公開された。
第1作から第4作まで「寅さん」の実家として撮影が行われた、帝釈天参道の「とらや」にて。
「寅さん」の実家は葛飾柴又帝釈天参道にある団子屋「本家とらや老舗」との設定、但し第40作以降は「本家くるま菓子舗」との設定に変わる。柴又で当初撮影に使用した団子屋「柴又屋」が屋号を「とらや」に変更したため、松竹で政治的な配慮があった模様・・。
京成電鉄金町線の柴又駅前の銅像、旅立つ「寅さん」。
見送る「さくら」。
ここに立つと、「男はつらいよ」のテーマソングが聞こえてくる気がする(実際、たまに流れる・・)。
最近は「男はつらいよ50」を観たあとに、アマゾン・プライムで「第1作」を観てしまった・・。
さよなら「寅さん」。
柴又帝釈天付近地図
(2020年6月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
観た映画(Amazonの該当頁へ):「男はつらいよ」「男はつらいよ50」
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