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首里城(沖縄県) [沖縄の旅]

首里城(スイグスク)
琉球王朝の王城、沖縄県内最大規模の城であるが創建時期は明らかではない。琉球の統一に伴い王家の居城として用いるようになったと考えられる。王宮である首里城(スイグスク)は門や建築物が漆で朱塗りされており、瓦は琉球瓦、城郭は琉球石灰岩で積み上げられている。築城の地は那覇港を見下ろす丘陵地である。「グスク」とは城のことらしい。

明治12年(1879年)沖縄県設置に至る琉球処分以後は日本陸軍第6師団の軍営として、また学校としても使用されたりした。王宮でなくなった首里城は荒廃が進んだが、保存の検討がなされ、「正殿」は大正14年(1925年)に国宝に指定され改修工事が行われた。しかし、昭和20年(1945年)5月の沖縄戦において首里城の地下に日本軍司令部があった事もあり、米軍の砲撃により多くの文化財も含め焼失した。

戦後は琉球大学が置かれ、昭和33年(1958年)には「守礼門」が再建、昭和47年(1972年)日本復帰後に国の史跡に指定され、琉球大学の移転もあり「正殿」を中心とする建築物群や門の再建が進められた。平成12年(2000年)には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として首里城跡は世界遺産に登録された。

令和元年(2019年)10月31日未明、首里城火災のニュースが入ってきた。旅行記の用意をしていた矢先であり、首里城は先の大戦を含め数度焼失しているが、復元工事が完了(2019年1月)したばかりで誠に残念である。

筆者の首里城訪問は2011年2月上旬、まだ「正殿」も改修中であった。
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天気はあいにくの雨・・                    (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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「正殿」内部、玉座も復元直後でピカピカだった。
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南殿南側の「書院」及び「鎖之間庭園」。琉球王が日常的に執務する場所であったらしい。
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名園と評価され、国の名勝らしい、う〜む・・。

書院かな?でいただいたお茶とお菓子、沖縄って感じかな。
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有名な「守礼門」、昔々ここで記念写真を撮った記憶がある。
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1982年に訪問した時はこんなに綺麗ではなかったような、雨のせいかな、歳のせいかな。

首里城の城郭一望。
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城壁にとんがりがある理由を沖縄の人から聞いたが忘れてしまった・・。

首里城の門のひとつ「瑞泉門」。
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この門の名をとったお酒が「瑞泉(泡盛)」、ぜひ一献。

お土産に買ったシーサー、阿吽の対。
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幾度となく焼失を経験している首里城はまた再建されるでしょう、次の再建まで生きているかな・・。

首里城付近地図


(2011年2月上旬 撮影機材 Nikon D5000)
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南大東島(沖縄県) [沖縄の旅]

南大東島 晩夏
およそ4800万年前に生まれた太平洋にぽっかり浮かぶ島。サンゴ礁が隆起してできた断崖絶壁の島で近辺に北大東島があるが沖縄本島から約400㎞離れている絶海の孤島である。天気予報で台風の進路説明の時、よく名前が出てくる。東西に5.78㎞、南北6.54㎞の扁平状の島で、行政は沖縄県島尻郡南大東村に属する。

古来南大東島は琉球人の間でウフアガリ島として知られていた。文政3年(1820年)にロシアが大東諸島を発見したが、明治18年(1855年)に日本が領有を宣言、沖縄県に編入された。無人島であったが、明治33年(1900年)に八丈島からの開拓団が入植し開拓が開始された。

「日の丸山展望台」というところから。扁平な地形が良くわかる。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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島の中央部は少し窪んでいるらしく、池が存在する。主産業は製糖、さとうきび畑だらけ。
土壌は赤土だが層は薄く、約60㎝も掘り下げると岩が出てくる。

展望台から役場のある島の中心部を撮影。
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この島には信号が一つだけある。小学校の前で、子供達に信号を教えるためと聞いた。

島の東側にある「海軍棒プール」、岩をくり抜いて作ってある海水プール・・いいね。
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島の北側にある「南大東漁港」。
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漁港の上から北大東島を望む。
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離島なんで飛行機か船で行くかしかない。飛行機は沖縄からプロペラ機で1時間、南大東空港へ。船は沖縄の泊港南岸から週1乃至2便で所要時間は13時間、天気によっては欠航する。島ではホテル「よしざと」でレンタカーを借りて行動。

滞在中、台風接近により船が欠航となり島内の物資がなくなってきた。お店に物がなくなり、飲み屋で出されるメニューが減ってきた(そうめんチャンプルしかでない・・)ので、急ぎ帰京した。

南大東島付近地図


(2011年9月中旬 撮影機材 Nikon D5000)
関連ブログ:南大東空港
タグ:沖縄の旅
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那覇空港(沖縄県) [沖縄の旅]

那覇空港
沖縄県の入り口である那覇空港。日本トランスオーシャン航空、琉球エアコミューターが拠点とし、日本航空、全日空等も乗り入れている国際空港である。また、自衛隊の施設が併設されており民間機と自衛隊機が共同で使用する空港となっている。滑走路は3,000mが一本である。

前身は昭和8年(1933年)に建設された旧海軍の軍用飛行場(小禄飛行場)、昭和11年(1936年)には那覇飛行場として軍民共用飛行場になったらしい。昭和20年(1945年)敗戦で米軍管轄となったが、昭和47年(1972年)沖縄返還に伴い日本に返還された。

空から見た那覇空港。                     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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駐機場、冬なのに日差しが強い。
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ゆいレールの駅に向かう途中に見下ろせる空港エントランス。
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最初に沖縄を訪問したのは返還から10年後、こんなに立派な空港ではなかった・・光陰矢の如し。

着陸するJAL機、ボーイング777-200。
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自衛隊と共用使用なので、琉球エアコミューター機、JAL機、海上自衛隊機が一堂に会する。
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海上自衛隊機はP-3C対戦哨戒機、「RAC」マークは琉球エアコミューター機。
琉球エアコミューター機はボンバルディアDHC-8-Q100、この機種は2017年に退役している。

那覇空港付近地図


(2011年2月〜9月 撮影機材 Nikon D5000)
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南大東空港(沖縄県) [沖縄の旅]

南大東空港 晩夏
南大東島は沖縄県に属する太平洋の孤島。サンゴ礁が隆起してできた断崖絶壁の島で沖縄本島から約400㎞離れている。天気予報で台風の進路説明の時、よく名前が出てくる。東西に5.78㎞、南北6.54㎞の扁平状の島で、行政は沖縄県島尻郡南大東村に属する。

古来南大東島は琉球人の間でウフアガリ島として知られていた。文政3年(1820年)にロシアが大東諸島を発見したが、明治18年(1855年)に日本が領有を宣言、沖縄県に編入された。無人島であったが、明治33年(1900年)に八丈島からの開拓団が入植し開拓が開始された。

南大東空港は昭和9年(1934年)に日本海軍の飛行場として建設された。戦後は昭和40年(1965年)に民間航空機運航が開始されたが、機材の大型化に対応するため滑走路を延長する必要があり、新しい空港として平成9年(1997年)に移転された。旧空港は廃止になったため名称は旧空港と同じである。滑走路は旧空港800m、新空港1,500である。

空港ビル、RAC(琉球エアコミューター)南大東空港所と売店を有する。
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売店には鰆の漬け寿司が店頭にあった。常温で置いてあるので少々びっくり・・。

琉球エアコミューター機はボンバルディアDHC-8-Q100。
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この機種は2017年に退役している。(搭乗したのは2011年9月)

南大東島は孤島なので飛行機か船で行くしかない。船は沖縄本島から週1便程度なので、飛行機が主となる。飛行機はRACで那覇空港から一日2便飛んでいる。RACはJALマイルの対象となっているのでJAL系の方はマイルが貯まります。

南大東空港


(2011年9月中旬 撮影機材 Nikon D5000)
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