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三内丸山遺跡(青森県)六本柱建物と大型竪穴式住居 [東北地方の旅]

三内丸山遺跡「六本柱建物と大型竪穴式住居」
青森県青森市大字三内字丸山にある三内丸山遺跡、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡である。八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し、標高は約20m、遺跡は約40haの広大な範囲に広がっている。

三内丸山遺跡を象徴する三層の六本柱建物と大型竪穴式住居。   (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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遺跡では大型竪穴式住居跡がいくつも出土、復元された最大の大型竪穴式住居(長さ32m、幅10m)。
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大型竪穴式住居内部。
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大型竪穴式住居の出入り口から見える「六本柱建物」。
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六本柱建物と大型竪穴式住居は隣接。
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六本柱建物跡は柱穴の間隔、幅、深さがそれぞれ4.2m、2m、2mで全て統一されている。柱は2度ほど内側に傾けて立てられていると云う(現代の内転(うちころび)と同じ技法)
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六本柱建物は「季節時計」の配置であり、三連柱で示される縦軸は「冬至日没と夏至日出」、六本柱の対角線の一つは「春分・秋分の日出・日没」を示していると云う。日本の文化は「春分・秋分」を意識しているものが多いが、世界的にはそうでもないらしい・・。縄文文化が日本人の未来を拓く:小林達夫著より)

出土した「六本柱建物」の柱、施設「縄文時遊館」に展示されている。
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「縄文時遊館」は出土品の展示施設、土偶や土器が数多く展示されている。
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三内丸山遺跡から出土する土偶は、板のような造りの「板状土偶」である。
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縄文時代は新石器時代、狩猟・採取の時代と学校で習った世代であるが、狩猟・採取・栽培による定住生活であったようである。三内丸山では集落の周辺に堅果類(栗、胡桃、栃など)の樹木を多数植栽しており、さらには荏胡麻、瓢箪、牛蒡、豆といった栽培植物も出土している。

栗の木、六本柱の周辺で。
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三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡であるが、この遺跡が存在した縄文時代中期は、日本の人口が縄文時代最大(約26万人)であったと云う。縄文晩期には人口は減少し約8万人程度となるが、三内丸山の集落を終焉させた気候の寒冷化は、縄文時代の人口減少の重要な原因の一つであったに違いない。(参考:東京大学大学院新領域創成科学研究科資料

三内丸山遺跡付近地図


(2020年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )
読んだ本(Amazonの該当頁へ):「縄文文化が日本人の未来を拓く」(小林達夫著)
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