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瀬戸内しまなみ海道(広島県・愛媛県)大島「村上海賊・能島城跡」 [四国地方の旅]

瀬戸内しまなみ海道 大島「村上海賊・能島城跡」
瀬戸内海に浮かぶ島々(向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島)を7つの橋で結んだ「瀬戸内しまなみ海道」、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなる。

小説「村上海賊の娘(和田竜著)」を読んで興味を持ち、村上海賊ゆかりの地を訪れてみた。広島県尾道市から「瀬戸内しまなみ海道」に入り、瀬戸内海の多島美を観ながらのドライブ、最初に大三島(愛媛県)に向かう。

大三島に入り一旦休憩、生口島(広島県)と大三島を結ぶ「多々羅大橋」を撮影した。
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「多々羅大橋」は吊橋の一種である斜張橋で、国内最長であるらしい。また、同じく斜張橋であるフランスのノルマンディー橋と姉妹橋縁組を結んでいるという。

大三島では、日本総鎮守と呼ばれる「大山祇神社(おおやまづみ)神社」を参拝し、村上水軍博物館のある大島に向かう。

村上海賊・能島城跡
大三島から伯方島を経由して大島へ、村上水軍博物館(村上海賊ミュージアム)を訪れる。
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村上海賊の機動力として活躍した小早船。

館内から伯方島方向、能島の海を撮影。
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能島城跡と伯方・大島大橋を遠望。
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村上海賊は14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族である。能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、連携と離反を繰り返しつつも、強い同族意識を持っていた。三家の中では能島村上氏がもっとも独立性が強く、特に戦国時代の村上武吉の時代には、毛利氏や大友氏のような周辺の戦国大名たちと、時に友好関係、時に敵対・緊張関係となりながらも独自の姿勢を貫いた。(村上水軍博物館HPより)

能島村上氏の本拠地となる能島城跡。              (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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小さな島は「鯛崎出丸」と云うらしい。
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能島城の付近は潮流が早く、潮流の激しさが堀の役目を果たしたと云われる。

大島・能島城跡を後に、帰りに立ち寄った生口島の瀬戸田PAにて「多々羅大橋」を撮影。
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因島(広島県)の大浜PAにて瀬戸内の風景と「因島大橋」。
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村上水軍博物館(村上海賊ミュージアム)付近地図


(2019年10月下旬 撮影機材 Nikon Df、Apple iPhone SE)

読んだ本(Amazonの該当頁へ)「村上海賊の娘」和田竜著
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