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桂浜(高知県) [四国地方の旅]

桂浜 冬
高知県を代表する景勝地、坂本龍馬が郷里でもっとも愛した場所と言われ、上龍頭岬と下龍頭岬の間に弓状に広がる浜。丘の上には坂本龍馬記念館、国民宿舎桂浜荘、そして太平洋を望む坂本龍馬の銅像がある。

JR高知駅から桂浜行きのバスが出ているが、1時間に1本程度で所要時間も1時間弱。
訪ねた時は悪天候であったが、絶好のロケーションである「国民宿舎 桂浜荘」に宿泊。

上龍頭岬から太平洋を望む坂本龍馬像、日本屈指の大きな銅像らしい。
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悪天候の桂浜、かえって墨絵のようで雰囲気があるかも。
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荒い波が寄せる桂浜、鳥居が見える社は龍王宮、ここが下龍頭岬とのこと。
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「よさこい節」に「月の名所は桂浜」と唄われる。月夜に撮影したらきっと絵になるだろう。

宿泊した桂浜荘からは桂浜が一望できる。
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桂浜荘は、絶好のロケーションで、国民宿舎だからリーズナブルな宿泊施設。

「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た」で有名な「はりまや橋」。
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「よさこい節」に唄われ、純信・お馬の恋物語で知られる観光名所。平成5年に復元された。
日本三大がっかり名所とか言われるが、それはそれ、一度は見ておかないと話にならない。

桂浜付近地図


(2010年2月下旬 撮影機材 Nikon D80)
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「国民宿舎 桂浜荘」高知県・桂浜
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金刀比羅宮(香川県)秋 [四国地方の旅]

金刀比羅宮 秋
金刀比羅宮(ことひらぐう)、金比羅宮、こんぴらさんと呼ばれる香川県琴平町の琴平山(象頭山)中腹に鎮座する神社。初めに大物主神を祀り、往古は琴平神社と称したが、中古に「金比羅大権現」と改称、永万元年(1165年)には崇徳天皇を合祀している。明治元年に神仏分離令により「金刀比羅宮」と改称し現在に至る。今も昔も海上交通の守り神として広い信仰を集めている。

大物主神は天照大神の弟(スサノオ)の子孫、大国主神の別名(和魂:にぎみたま)で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神である。合祀されている第75代崇徳天皇は保元の乱に際し讃岐の国に配流されたが、ここで金比羅宮を深く崇敬され参籠もなされ、讃岐で崩御された。

江戸時代には金比羅講が組織され、金比羅参りが盛んに行われるようになった。

石段で始まる参道には多くのうどん屋・お土産屋が並ぶ。石段は本宮まで785段ある。
お土産屋が終わったところに「大門」があり、ここから境内に入る。ここまで365段、結構きつい。
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入母屋造・瓦葺の「大門」をくぐると、鎌倉時代から境内での営業を許された五件の五人百姓(の子孫の方々)が飴を売っている、買わなかったけど・・ね。

飴売り場を過ぎると、鳥居があり石畳が続く。
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「表書院」は重要文化財、万治2年(1659年)に建立され、内部には円山応挙らの襖絵が飾られている。
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有料です。

資生堂パーラー「神椿」で一服して、石段を登っていくと馬の像と大きな銀杏の木。紅葉の時期なので、銀杏は鮮やかな黄色に染まっていた。ここまでで595段。
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さらに石段を登ると立派な社殿が、森の石松が本堂と誤りここへの参拝のみで帰ってしまったと云われる「旭社」がある。天保8年(1837年)に建立された入母屋造の建物で重要文化財である。
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本宮を参拝した後に参拝する習わしらしい・・知らないから先に参拝した。

少し行くと手水舎があり、最後の急な石段を上がるとやっと金刀比羅宮の「本宮」に着く。
「本宮」の創建は上古に属するという以外、詳細は不明らしい。改築は幾度と行われているが、現在の社殿は明治11年(1878年)の改築、檜皮葺・大社関棟造。     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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ここで参拝、二拝二拍手一礼。
「祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ」

奥社まではここからさらに583段登るそうです。またの機会に致したく・・。

本宮からは讃岐の国の山並みがよく見える。少し霞んでいるが、四国の山は幻想的で美しい。
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季節もよく、紅葉が綺麗。帰りに大門手前で振り向いて撮影した一枚。
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金刀比羅宮付近地図


(2010年11月下旬 撮影機材 Nikon D5000)
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大鳴門橋(徳島県) [四国地方の旅]

大鳴門橋 冬
大鳴門橋(鳴門大橋)は、淡路島と徳島県鳴門を結ぶ吊り橋、国道28号線、本州四国連絡高速道路が管理しており昭和60年(1985年)に開通した。橋の長さは1,629m、鳴門海峡の渦潮への影響を少なくするため橋脚には多柱基礎工法と呼ばれる特殊な工法が採用されている。

鳴門市内から朝、大鳴門橋に向かう。朝日が鳴門海峡に映える。
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鳴門山に登り、大鳴門橋全景を観る。渦潮の時間ではなかった・・。(Adobe Stock my portfolioに掲載)
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鳴門側から淡路島の方向を撮影、片側工事中。
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「この道路は駐停車禁止」の看板が出ている。以前は渦潮見るのに車を止める人が多かったらしい。

橋の入り口には「日本の道100選」の碑がある。名勝にふさわしい景観をもつ道路として認定された。
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この場所から橋脚付近まで橋桁の下に遊歩道「渦の道」があり、足下の渦潮を眺めることができる。
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大鳴門橋付近地図


(2010年12月上旬 撮影機材 Nikon D5000)
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松山城(愛媛県)晩秋 [四国地方の旅]

松山城 晩秋
伊予の国、愛媛県松山市にある松山城。慶長7年(1602年)伊予の大名であった加藤嘉明が、関ヶ原の戦功により加増され、松山市の中心部である勝山(城山)山頂に築城を始める。しかし加藤氏は寛永4年(1627年)会津に転封となり、そのあとは蒲生氏が入国するが寛永11年(1634年)に断絶、そして寛永12年(1635年)に松平氏が松山藩主15万石に封じられ、明治維新に至る。

当初の天守は五重であったが、寛永19年(1642年)に三重に改築、しかし天明4年(1784年)元旦に落雷により焼失した。現在の天守は安政元年(1854年)に復興したものである。

昭和に入ってからも放火や戦災で櫓や小天守の被災があったが、復興が進められ現在に至っている。
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松山城の天守、連立式で大天守と小天守からなる。現存12天守の一つである。旧国宝、現在は重要文化財に指定されている。

松山城山公園から松山城を望む。 
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麓の石垣は二之丸跡、明治時代は陸軍省の管轄。

「松山や 秋より高き 天主閣」(正岡子規) ・・・ 晴れていれば冴える句・・

二之丸跡から天守に向かう途上。晩秋の紅葉が残っている。
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山中を抜け、城郭に近づくと天守が望める。           (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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本丸に入ると広場になっており、大天守と小天守が迎えてくれる。
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天守の入り口には松山城マスコットキャラクター「よしあきくん」。

入場料を払って入城。                    
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城内は昔のままなので、ややこしく囲った門。
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天守から本丸広場と松山市街を望む。
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松山藩主の松平氏は久松松平家、久松氏は徳川家康の母である於大の方が嫁入りしており、家康により松平姓と葵紋が授けられ、松平家一門になった。

松山城付近地図


私ごとですが数十年前の上司が久松さんで、松山藩主の子孫の方でした。会社でも「殿」と呼ばれ、決済は「よきにはからえ」と(冗談です)。で、まったく忘れてまして天守に入り、そこかしこに「久松」の文字を見て突然ここが「殿」の城であることを思い出しました。すでに、お亡くなりです。合掌。

(2011年12月中旬 撮影機材 Nikon D5000 )
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道後温泉本館(愛媛県)晩秋 [四国地方の旅]

道後温泉本館 晩秋
伊予の国、日本最古の温泉といわれる道後温泉には幾多の言い伝えがある。

古代・白鷺の伝説では脛に傷した白鷺が岩間から噴出する温泉で傷を治したのを見て、人も利用するようになったと云う。神代・玉の石の説話では大国主命(オオクニヌシノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が伊予の国に来た際、重病にかかった少彦名命が道後温泉の湯で元気になり、石の上で踊ったと云う。その石は「玉の石」と呼ばれ、現在も道後温泉本館の北側に奉られている。

飛鳥時代には聖徳太子が来浴したと伊予国風土記逸文に記されているらしい。また、日本書紀にも多くの皇族方が行幸されたとの記載があるとの事。

江戸時代に入り、松山藩により道後温泉の施設充実に着手、浴槽を士族・僧侶用、婦人用、庶民男子用に分け、この他に十五銭湯、十銭湯、養生湯、馬湯を設けた。

現在の道後温泉本館は明治27年(1894年)に落成、重要文化財。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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道後温泉本館はスタジオジブリ「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋「油屋」のモデルの一つである。他のモデルは四万温泉の積善館と目黒雅叙園らしい。

道後温泉はアルカリ性単純泉、刺激が少なく、なめらかなお湯である。源泉は18本、源泉のブレンドにより湯温を調整、加温や加水がない源泉かけ流しとの事。個人的には少々熱く感じる。

道後温泉本館は「神の湯」と「霊(たま)の湯」という浴室があり、二階には休憩室、さらに三階には個室が用意されている。すべて入浴料次第だが、お金を出しても入れない皇室専用浴室「又新殿」もある。

個室が空いていれば「霊の湯」個室付きを選択してゆっくり過ごすのがお勧め。
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「神の湯」にももちろん入れる。「神の湯」が「千と千尋の神隠し」のモデルって感じかな。

入浴後にお茶とお菓子が出てくる。
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二階休憩室でもお菓子が出るが、入浴料の差でお菓子の種類が違う・・。

道後温泉は万葉集、源氏物語などの作品に登場しているが、有名なのは夏目漱石の「坊ちゃん」
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本館三階には「坊ちゃんの間」と呼ばれる部屋があり、作品と夏目漱石を紹介している。

道後温泉本館付近地図


(2011年12月中旬 撮影機材 Nikon D5000)
関連ブログ:四万温泉の積善館
読んだ本(Amazonの該当頁へ):「坊ちゃん」夏目漱石著
観た映画(Amazonの該当頁へ):「千と千尋の神隠し」
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