帝国戦争博物館(ロンドン)スピットファイアと零戦 [イギリスの旅]
帝国戦争博物館(Imperial War Museum:略称IWM)
帝国戦争博物館(ロンドン)は、大戦の記録を残すイギリスの国立博物館である。ここに展示されている英国空軍(Royal Air Force)戦闘機「スピットファイア」を観たくて、ツアーの最終日に訪れた。
スピットファイア
帝国戦争博物館に入ってすぐ、ロビーに「スピットファイア Mk.Ia」が展示されている。
スピットファイア(Supermarine Spitfire)はイギリスのスーパーマリン社において、当時の列強各国による戦闘機の近代化の中で、低翼単葉、全金属性の機体構造、引き込み式主脚である戦闘機として開発された。格闘戦を重視し旋回性能を向上させるため、楕円形で薄い主翼を採用している。
初飛行は1936年3月であるが、制式採用され大量に発注されたものの量産に手間取り、1号機が納入されたのは1938年5月、最初のスピットファイヤ飛行隊であるNo.19 Sqn(ダクスフォード)の編成が完了したのは1938年12月と云う。「Sqn」は「Squadron(飛行隊)」の短縮形
スピットファイアMk.I型の最高速度は582㎞/h、航続距離925㎞、武装はMk.Iaが7.7㎜機銃8挺装備 、Mk.Ibが20㎜機関砲2門装備である。
エンジンはロールス・ロイス社が開発したマーリン(Merlin)、液冷V型12気筒OHC、4バルブの航空機用レシプロエンジンである。スピットファイアMk.Iに搭載されたのはマーリンII型乃至Ⅲ型で、出力は1030hp。
この帝国戦争博物館の展示されている機体は1939年に発注され、1940年7月に「s/n:R6915」として英国空軍に納入された。装着エンジンはマーリンⅢ型、初期配属はNo.609 Sqn(West Riding)、Coded PR-Uである。
終戦後、1946年8月に帝国戦争博物館に展示となった。
2017年の映画「ダンケルク(Dunkirk)」において実機のスピットファイアが活躍している。ダンケルクの戦い(Battle of Dunkirk)は1940年5月末-6月、当時配属されているのはスピットファイアMk.I型である。映画においてはMk.I型とMk.Ⅴ型が使用されたらしい。スピットファイアの下面、左が黒、右が白に塗り分けられていたのが印象的であった。
イギリスの制空権を争うバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)の時期(1940年7月-10月)には8月にスピットファイアMk.II型が配備され、Mk.I型と共に戦っている。
零式艦上戦闘機
ロンドンの帝国戦争博物館に、零戦の胴体が展示されている。
塗装も剥げ落ち、エンジン部と翼がないので、型式の判別ができない。
ロンドン訪問時にはこの機体の来歴がわからなかったが(説明文があったかも知れないが、英語なので・・)、ロンドン訪問の5年後に出版された野原茂著「米軍に暴かれた日本軍機の最高機密」という本に、この機体の来歴が載っていた。本機は零戦52型で、敗戦時マレー半島南端の日本海軍テブラウ飛行場にてイギリス軍に接収され、ATAIU-SEA(連合軍航空技術情報部 東南アジア局)の所属になり英国に移送された機体、元の所属とかは不明らしい。(ロンドン訪問以降、この機体の型式や来歴が頭の隅に靄っていたが、記事を発見したときは感動・・)
零戦はスピットファイアと同時期、戦闘機の近代化が図られた低翼単葉、全金属性の機体構造、引き込み式主脚の戦闘機であり、エンジン出力も1000馬力級、格闘戦はもちろん重視されたが、スピットファイアにはない航続距離を持つ。エンジン(空冷、液冷)、武装の違い、その後の改造の許容度等、両国の用兵・設計思想や国力の違いが機体に反映されており、興味がつきない。
帝国戦争博物館(ロンドン)付近地図
ツアーはJALPAK「エジンバラと湖水地方を訪ねる・イギリス縦断8日間」に参加。
(2018年5月中旬 撮影機材 Nikon Df )
読んだ本(Amazonの該当頁へ):野原茂著「米軍に暴かれた日本軍機の最高機密」
観た映画(Amazonの該当頁へ):「ダンケルク(Dunkirk)」
参考:Supermarine Spitfire「s/n:R6915」
帝国戦争博物館(ロンドン)は、大戦の記録を残すイギリスの国立博物館である。ここに展示されている英国空軍(Royal Air Force)戦闘機「スピットファイア」を観たくて、ツアーの最終日に訪れた。
スピットファイア
帝国戦争博物館に入ってすぐ、ロビーに「スピットファイア Mk.Ia」が展示されている。
スピットファイア(Supermarine Spitfire)はイギリスのスーパーマリン社において、当時の列強各国による戦闘機の近代化の中で、低翼単葉、全金属性の機体構造、引き込み式主脚である戦闘機として開発された。格闘戦を重視し旋回性能を向上させるため、楕円形で薄い主翼を採用している。
初飛行は1936年3月であるが、制式採用され大量に発注されたものの量産に手間取り、1号機が納入されたのは1938年5月、最初のスピットファイヤ飛行隊であるNo.19 Sqn(ダクスフォード)の編成が完了したのは1938年12月と云う。「Sqn」は「Squadron(飛行隊)」の短縮形
スピットファイアMk.I型の最高速度は582㎞/h、航続距離925㎞、武装はMk.Iaが7.7㎜機銃8挺装備 、Mk.Ibが20㎜機関砲2門装備である。
エンジンはロールス・ロイス社が開発したマーリン(Merlin)、液冷V型12気筒OHC、4バルブの航空機用レシプロエンジンである。スピットファイアMk.Iに搭載されたのはマーリンII型乃至Ⅲ型で、出力は1030hp。
この帝国戦争博物館の展示されている機体は1939年に発注され、1940年7月に「s/n:R6915」として英国空軍に納入された。装着エンジンはマーリンⅢ型、初期配属はNo.609 Sqn(West Riding)、Coded PR-Uである。
終戦後、1946年8月に帝国戦争博物館に展示となった。
2017年の映画「ダンケルク(Dunkirk)」において実機のスピットファイアが活躍している。ダンケルクの戦い(Battle of Dunkirk)は1940年5月末-6月、当時配属されているのはスピットファイアMk.I型である。映画においてはMk.I型とMk.Ⅴ型が使用されたらしい。スピットファイアの下面、左が黒、右が白に塗り分けられていたのが印象的であった。
イギリスの制空権を争うバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)の時期(1940年7月-10月)には8月にスピットファイアMk.II型が配備され、Mk.I型と共に戦っている。
零式艦上戦闘機
ロンドンの帝国戦争博物館に、零戦の胴体が展示されている。
塗装も剥げ落ち、エンジン部と翼がないので、型式の判別ができない。
ロンドン訪問時にはこの機体の来歴がわからなかったが(説明文があったかも知れないが、英語なので・・)、ロンドン訪問の5年後に出版された野原茂著「米軍に暴かれた日本軍機の最高機密」という本に、この機体の来歴が載っていた。本機は零戦52型で、敗戦時マレー半島南端の日本海軍テブラウ飛行場にてイギリス軍に接収され、ATAIU-SEA(連合軍航空技術情報部 東南アジア局)の所属になり英国に移送された機体、元の所属とかは不明らしい。(ロンドン訪問以降、この機体の型式や来歴が頭の隅に靄っていたが、記事を発見したときは感動・・)
零戦はスピットファイアと同時期、戦闘機の近代化が図られた低翼単葉、全金属性の機体構造、引き込み式主脚の戦闘機であり、エンジン出力も1000馬力級、格闘戦はもちろん重視されたが、スピットファイアにはない航続距離を持つ。エンジン(空冷、液冷)、武装の違い、その後の改造の許容度等、両国の用兵・設計思想や国力の違いが機体に反映されており、興味がつきない。
帝国戦争博物館(ロンドン)付近地図
ツアーはJALPAK「エジンバラと湖水地方を訪ねる・イギリス縦断8日間」に参加。
(2018年5月中旬 撮影機材 Nikon Df )
読んだ本(Amazonの該当頁へ):野原茂著「米軍に暴かれた日本軍機の最高機密」
観た映画(Amazonの該当頁へ):「ダンケルク(Dunkirk)」
参考:Supermarine Spitfire「s/n:R6915」
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