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クロード・モネ(オルセー美術館)その1 [名画と彫刻]

クロード・モネ(Claude Monet)
(1840年11月14日 - 1926年12月5日)

印象派を代表するフランスの画家である「クロード・モネ」、オルセー美術館(Musée d’Orsay)で写真に収めた彼の作品。

オルセー美術館はパリにある19世紀美術専門の美術館、1900年のパリ万国博覧会開催のために建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった建物を再活用したもので、開館は1986年と新しい。

「Waggon on snow-covered street in Honfleur」(1867年)
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モネは1840年にパリで生まれたが、少年時代の大半をノルマンディー地方のル・アーヴルで過ごしている。画家になるべくパリに出たのは1859年で、以降サロン・ド・パリへの挑戦を続ける。本作品はパリ時代の作品で、雪の情景を描いている。同じく雪の情景を描いた「かささぎ」と並んで展示されていた。

「かささぎ(The Magpie)」(1868-1869年)
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本作品はサロン・ド・パリでは落選したが、オルセー美術館の所蔵品の中では人気のある絵画の一つ。

「昼食会:アルジャントゥイユのモネの庭」(1873年)
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モネは普仏戦争が始まると兵役を逃れロンドンに渡るが、終戦後の1871年にはパリの近郊アルジャントゥイユにアトリエを構えた。1869年と1870年のサロンに続けて落選したモネは、1874年に第一回印象派展を開催するも失敗に終わる。

「サン=ラザール駅(La Gare Saint-Lazare)」(1877年)
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1877年にはパリのサン=ラザール駅近くに部屋を借り、駅やその周辺をテーマに一連の作品(12点)を描いた。本作品はその内の一点であり第三回印象派展に出品している。

アルジャントゥイユでの生活は出費が嵩み、1878年にモネは借金に追われてセーヌ川の50キロほど下流にある小さな村ヴェトゥイユに移る。妻カミーユの健康状態も悪化していたが、モネのパトロンであったエルネスト・オシュデ一家(妻アリスと6人の子供)が破産し、ヴェトゥイユの家で同居生活を送ることとなった。「クロード・モネ(オルセー美術館)その2」に続く・・

オルセー美術館付近地図


オルセー美術館訪問は、JALPAK「東部フランスの田舎とパリを楽しむ8日間」にて。

(2017年9月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:クロード・モネ(オルセー美術館)その2オルセー美術館 印象派
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