SSブログ

クロード・モネ(オルセー美術館)その2 [名画と彫刻]

クロード・モネ(Claude Monet)
(1840年11月14日 - 1926年12月5日)

印象派を代表するフランスの画家である「クロード・モネ」、オルセー美術館(Musée d’Orsay)で写真に収めた彼の作品。

オルセー美術館はパリにある19世紀美術専門の美術館、1900年のパリ万国博覧会開催のために建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった建物を再活用したもので、開館は1986年と新しい。

「クロード・モネ(オルセー美術館)その1」から続く・・
モネは1878年以降、ヴェトゥイユにおけるエルネスト・オシュデ一家との同居生活を続けていたが、経済的には苦しく、1879年には妻カミーユを亡くした。エルネスト・オシュデはその後パリに仕事に出て行ったが、エルネストの妻アリスと子供はヴェトゥイユに残り、モネとアリスの関係も深まることになる。

1883年にはアリスとその子供たちを連れて、終焉の地であるパリ郊外のジヴェルニーに移る。

「戸外の人物習作(左向きの日傘の女)」(1886年)
DFI_1534.jpeg
「戸外の人物習作(右向きの日傘の女)」(1886年)
DFI_1536.jpeg
モデルの表情が判然としないことでも有名な、対になっている絵画。1880年代以降、風景画に専念するようになったモネによる最後の実験的人物画作品と云われる。モデルは後にモネの後妻となるアリス・オシュデの三女シュザンヌ・オシュデと云われる。

「舟遊び(ノルヴェジエンヌ号で)」(1887年)
DFI_1537.jpeg
ジヴェルニーの家の近くのエプト川で舟遊びをする情景を描いている。モデルはアリスの娘たちで、中央が「日傘の女」のモデルでもあるシュザンヌと云われる。モネとアリスは1892年に再婚している。

「ロンドン、国会議事堂:霧に透けて見える太陽」(1904年)
DSC_1554.jpeg
モネは1899年から1901年まで例年ロンドンを訪れ、テムズ川の霧の効果と国会議事堂を連作として描いている。これらの連作は、モネ64歳の春にデュラン=リュエル画廊で展示されたが、評価はいろいろだったみたい・・。

オルセー美術館付近地図


オルセー美術館訪問は、JALPAK「東部フランスの田舎とパリを楽しむ8日間」にて。

(2017年9月中旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)
関連ブログ:クロード・モネ(オルセー美術館)その1オルセー美術館 印象派
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。