高知城(高知県) [四国地方の旅]
高知城
慶長6年(1601年)土佐24万石を襲封した山内一豊によって創建された高知城。創建時の天守は慶長8年(1603年)の完成らしいが、享保12年(1727年)の大火によって焼失、現在の天守は寛延2年(1749年)に再建、望楼型の小天守や付櫓を伴わない独立式天守である。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
天守は、昭和9年(1934年)国宝に指定、昭和25年(1950年)文化財保護法により重要文化財になる。
古天守が残る現存12天守の一つである。
「追手門」越しに天守を望む。「追手門」も重要文化財。
「国宝 高知城」の石碑がある。
城内に入ると自由民権運動の父とされる「板垣退助」像がある。
土佐藩士であった板垣退助、今は無き百円札のおじさん。
石段を上がっていくと、山内一豊の妻「千代」と馬の像。
司馬遼太郎著「功名が辻」の主人公「千代」、山内一豊の出世物語であるが、持参金で夫のために駿馬を購入、馬揃えで織田信長の目に留まった一豊が出世の糸口を掴んでいく逸話は有名。
天守と本丸御殿「懐徳館」。
天守は外観は4重であるが、内部は3層6階の構造。
東南の矢狭間塀越しに天守を撮影。
天守最上階の廻縁高欄は、初代藩主一豊が、先の居城である遠州掛川城を模して造ったと云われる。
高知城付近地図
高知を訪ねれば、カツオで一杯やりたくなる。幾多のお店が競い合う「ひろめ市場」で一杯、高知城からも近い。宿泊はこれも近くの帯屋町商店街内にある「リッチモンドホテル高知」。
(2017年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):司馬遼太郎著「功名が辻」
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「リッチモンドホテル高知」
慶長6年(1601年)土佐24万石を襲封した山内一豊によって創建された高知城。創建時の天守は慶長8年(1603年)の完成らしいが、享保12年(1727年)の大火によって焼失、現在の天守は寛延2年(1749年)に再建、望楼型の小天守や付櫓を伴わない独立式天守である。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
天守は、昭和9年(1934年)国宝に指定、昭和25年(1950年)文化財保護法により重要文化財になる。
古天守が残る現存12天守の一つである。
「追手門」越しに天守を望む。「追手門」も重要文化財。
「国宝 高知城」の石碑がある。
城内に入ると自由民権運動の父とされる「板垣退助」像がある。
土佐藩士であった板垣退助、今は無き百円札のおじさん。
石段を上がっていくと、山内一豊の妻「千代」と馬の像。
司馬遼太郎著「功名が辻」の主人公「千代」、山内一豊の出世物語であるが、持参金で夫のために駿馬を購入、馬揃えで織田信長の目に留まった一豊が出世の糸口を掴んでいく逸話は有名。
天守と本丸御殿「懐徳館」。
天守は外観は4重であるが、内部は3層6階の構造。
東南の矢狭間塀越しに天守を撮影。
天守最上階の廻縁高欄は、初代藩主一豊が、先の居城である遠州掛川城を模して造ったと云われる。
高知城付近地図
高知を訪ねれば、カツオで一杯やりたくなる。幾多のお店が競い合う「ひろめ市場」で一杯、高知城からも近い。宿泊はこれも近くの帯屋町商店街内にある「リッチモンドホテル高知」。
(2017年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):司馬遼太郎著「功名が辻」
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「リッチモンドホテル高知」
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