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坂東三十三観音十八番札所(日光山中禅寺)「立木観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音十八番札所(日光山中禅寺)「立木観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の十八番札所は日光山中禅寺、栃木県日光市中禅寺歌ヶ浜にある「立木観音」である。延暦3年(784年)に勝道上人が中禅寺湖周遊の折、湖上に千手観音の尊容を感見し、桂の巨木を選んでそのまま刻まれたのが中禅寺の本尊「立木千手観世音菩薩」と云われる。

日光山中禅寺は海抜1,269mの中禅寺湖の湖畔にあり、世界遺産である「日光山輪王寺」の別院である。
日光という地名は二荒(ふたら)から出ており、二荒山とは男体山のことらしい。二荒は音読みで「にこう」、これに「日光」の文字をあてたものと巡礼の本に記載されている。

立木観音堂。
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本尊の「立木千手観世音菩薩」は重要文化財。明治35年(1902年)男体山の山津波により観音堂が中禅寺湖に押し流されたが、観音像は奇跡的に湖上に浮かび上がり、現在の歌ヶ浜観音堂に泰安されている。

五大堂は五大明王像が安置されている殿堂である。
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五大堂より中禅寺湖を撮影(堂内は撮影禁止)。
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五大明王とは不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王とのこと。

山門より境内を望む。
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湖畔の船着場、中禅寺の前にある。               (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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宿泊先は中禅寺湖の湖畔「中禅寺ペンション」
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夕景の宿泊先食事処「葉音」、湖畔を背に。
中禅寺湖を眺めながらの創作コースディナーは雰囲気も味もよろしいかと。

かつて、この地は女人禁制の霊場であり、女性はいろは坂の途中の「女人堂」から中禅寺本尊を遥拝したとのこと。今は妻同行でコースディナー・・よき時代に生きております。

御朱印
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詠歌「中禅寺 のぼりて拝む みずうみの うたの浜路に たつは白波」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

日光山中禅寺付近地図


今回はここ十八番札所(中禅寺)を巡礼、中禅寺湖畔に宿泊し、帰路は十九番札所(大谷寺)に巡礼した。

(2015年7月中旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「中禅寺ペンション」日光・中禅寺湖畔
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