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坂東三十三観音二十四番札所(雨引山楽法寺)「雨引観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十四番札所(雨引山楽法寺)「雨引観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十四番札所は雨引山楽法寺、茨城県桜川市にある「雨引観音」である。創立は用明天皇2年(587年)、中国(梁)より渡来の法輪独守居士によって開創され、推古天皇の御平癒を祈って効験があり「勅願寺」となった古刹である。

雨引観音参詣には「仁王門」前の145段の石段を登っていく。   (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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この石段は「厄除け長命の石段」と云われ、真言を唱えながら登ると長命できるらしい。

石段脇の木々は紫陽花、梅雨の時期に訪れると美しいかと。

本堂(観音堂)の本尊は、旧国宝であり法輪独守居士が請来した「延命観世音菩薩」である。
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創建当初の本堂については不詳、現在の本堂は天和2年(1682年)の建立。

「多宝塔」は、光明皇后御産(730年)のみぎり、安産祈願の効験により寄進されたものが嚆矢。
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現在の塔は嘉永6年(1853年)の建替。

楽法寺は筑波連峰の一旦、雨引山の中腹に立つ。境内から霊峰「筑波山」が望める。
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御朱印
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詠歌「へだてなき 誓いをたれも 仰ぐべし 佛の道に 雨引の寺」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

楽法寺(雨引観音)付近地図


筑波山近辺には二十四番、二十五番、二十六番の札所があるが、交通は不便なところなので、車にて巡礼。

(2015年2月下旬 撮影機材 Nikon D5100、Apple iPhone 5s)
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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