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デルフト散策(オランダ)フェルメール生誕地を訪ねて [オランダの旅]

デルフト散策(Delft)フェルメール生誕地を訪ねて
デルフトはオランダの北海沿岸に位置する南ホラント州にある基礎自治体、州都であるデン・ハーグに隣接する、古都であり観光地である。名画の旅を謳うJALPAK「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク9日間」ツアーの4日目に訪れた。ここは、画家のヨハネス・フェルメールの生誕地であり、永眠の場所でもある。

デルフトの街へ、デルフト新教会(Nieuwe Kerk)の鐘楼と月。  (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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時刻は9時前、月齢は19、もうすぐ下弦。

マルクト広場に向かう道、デルフト新教会に沿って進む、日曜の朝で人通りは少ない。
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マルクト広場(Markt)にあるデルフト市庁舎(Stadhuis)。
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市庁舎の対面にはデルフト新教会の鐘楼が聳える。
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マルクト広場にある店舗(チーズ屋)、開店前かお休みか・・。
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デルフト焼の店舗。
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デルフトでは16世紀から陶器の製造が行われており、17世紀には中国の磁器や日本の伊万里焼の影響を受けて独自の陶器(デルフト焼)を発展させたと云う。青を彩色に用いており、デルフト・ブルーとも呼ばれるらしい。ここで生涯を過ごしたフェルメールも青の色彩が有名な画家である。

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)は1632年10月にデルフトで生誕、その生涯のほとんどを故郷のデルフトで過ごしたと云われる画家である。フェルメールは1675年12月に不遇の中で死去するが、遺産管財人は同郷の博物学者アントニ・ファン・レーウェンフック(Antonie van Leeuwenhoek)という人物である。

レーウェンフックは、歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察した博物学者であり、フェルメールの絵のモデルにもなっていると云われる。二人の関係については、福岡伸一著「フェルメール 隠された次元」に詳しい。ちなみにレーウェンフックは1632年10月にデルフトで生誕、フェルメールと同年同月である。

フェルメールの永眠の場所は、デルフト旧教会 (Oude Kerk)。

デルフト旧教会の鐘楼はまるでピサの斜塔のように傾いている。運河に映える逆さ鐘楼・・。
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運河沿いの街並。
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街路樹のランタン。
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デルフト付近地図


フェルメール作「デルフト眺望(Gezicht op Delft)」(マウリッツハイス美術館にて)
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(2019年2月下旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:マウリッツハイス美術館
読んだ本(Amazonの該当頁へ):福岡伸一著「フェルメール 隠された次元」
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