鎌倉 長谷寺「長谷観音」(神奈川県)坂東三十三観音四番札所 [南関東の旅]
鎌倉 長谷寺「長谷観音」 初夏
神奈川県鎌倉市長谷、坂東三十三観音巡り第四番札所の海光山慈照院長谷寺。
開創は奈良時代の天平8年(736年)との伝、本尊は十一面観世音菩薩像で日本最大級の木彫り像。四季を通じて花が絶えない古刹であるが、梅雨時は眺望散策路に紫陽花が織り成し、鎌倉でも有数の景勝地となる。「長谷観音」の名でも親しまれている。
紫陽花祭りが開催されていたが、まだ咲き始め。
眺望散策路にある十一面千手観音像。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
長谷観音本尊は撮影禁止だけど、ここは撮影可。
眺望散策路を降りると、長谷寺の経蔵がある。
凛とした花菖蒲、これは長谷寺の観音堂に向かう途中で。
沙羅双樹、仏教の三大聖木の一つ、平家物語「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」。
沙羅双樹の花を撮りたいものだが、寒さに弱く日本では植物園等の温室でしか花は見られないとの事。
長谷寺付近地図
(2019年6月上旬 Nikon Df )
神奈川県鎌倉市長谷、坂東三十三観音巡り第四番札所の海光山慈照院長谷寺。
開創は奈良時代の天平8年(736年)との伝、本尊は十一面観世音菩薩像で日本最大級の木彫り像。四季を通じて花が絶えない古刹であるが、梅雨時は眺望散策路に紫陽花が織り成し、鎌倉でも有数の景勝地となる。「長谷観音」の名でも親しまれている。
紫陽花祭りが開催されていたが、まだ咲き始め。
眺望散策路にある十一面千手観音像。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
長谷観音本尊は撮影禁止だけど、ここは撮影可。
眺望散策路を降りると、長谷寺の経蔵がある。
凛とした花菖蒲、これは長谷寺の観音堂に向かう途中で。
沙羅双樹、仏教の三大聖木の一つ、平家物語「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」。
沙羅双樹の花を撮りたいものだが、寒さに弱く日本では植物園等の温室でしか花は見られないとの事。
長谷寺付近地図
(2019年6月上旬 Nikon Df )
鶴岡八幡宮(神奈川県) [南関東の旅]
鶴岡八幡宮
八幡宮は、応神天皇、神功皇后、比売神(ひめがみ)を祭神とする神社であり、大分県の宇佐神宮を総本社とする。鎌倉の鶴岡八幡宮は康平6年(1063年)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりとされる。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝が、治承4年(1180年)鎌倉に入り、由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷した。建久2年(1191年)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心となった。
本宮と石段、そして大銀杏。
平成22年3月10日未明、樹齢1000年といわれ、八幡宮の長い歴史を見つめてきた大銀杏が、雪混じりの強風によって倒伏した。現在、石段脇には残った根からでた新芽が育っている、大銀杏の幹は切断され移植、若芽の成長を見守っている。
建保7年(1219年)1月右大臣拝賀式当日、昨夜来の雪で真っ白に化粧した鶴岡八幡宮石段にて、この大銀杏に隠れていた公暁により、鎌倉幕府三代将軍である源実朝が暗殺された。公暁は二代将軍源頼家の子である。源氏の将軍は三代で滅びる・・。
現在の本宮は、文政11年(1828年)、江戸幕府十一代将軍徳川家斉の造営による。
本宮から舞殿を撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
この舞殿の場所には当初、鶴岡八幡宮の下宮である若宮の大回廊があった。
若宮の大回廊は、文治2年(1186年)頼朝の命により、義経の愛妾である静御前が舞を奉納したことで有名である。
静御前は白拍子で、舞の名手、雪深い吉野山に義経と行き別れ、やがて捕われ、鎌倉へ送られてきた。八幡宮の神前に舞の奉納を命じられた静は、頼朝が期待していた関東の繁栄を寿ぐ祝儀舞に反して、義経との別れの曲を舞う・・。
吉野山 峰の白雪 踏みわけて 入りにし人の あとぞ恋しき
静や静 しずのおだ巻き くり返し 昔を今に なすよしもがな
頼朝は激怒するが、妻の政子が執り成して助命する。この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月に静は男子を産んだ。静は泣き叫んで離さなかったが、取り上げられ、赤子は由比ヶ浜に沈められた。
若宮の大回廊は建久2年(1191年)に焼失し、舞殿は建久4年(1193年)その場所に造営された。
現在の舞殿は昭和8年(1933年)の再建である。
舞殿から本宮。
記事の内容は鶴岡八幡宮のホームページを参考に記述。
鶴岡八幡宮付近地図
(2016年1月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:宇佐神宮
八幡宮は、応神天皇、神功皇后、比売神(ひめがみ)を祭神とする神社であり、大分県の宇佐神宮を総本社とする。鎌倉の鶴岡八幡宮は康平6年(1063年)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりとされる。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝が、治承4年(1180年)鎌倉に入り、由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷した。建久2年(1191年)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心となった。
本宮と石段、そして大銀杏。
平成22年3月10日未明、樹齢1000年といわれ、八幡宮の長い歴史を見つめてきた大銀杏が、雪混じりの強風によって倒伏した。現在、石段脇には残った根からでた新芽が育っている、大銀杏の幹は切断され移植、若芽の成長を見守っている。
建保7年(1219年)1月右大臣拝賀式当日、昨夜来の雪で真っ白に化粧した鶴岡八幡宮石段にて、この大銀杏に隠れていた公暁により、鎌倉幕府三代将軍である源実朝が暗殺された。公暁は二代将軍源頼家の子である。源氏の将軍は三代で滅びる・・。
現在の本宮は、文政11年(1828年)、江戸幕府十一代将軍徳川家斉の造営による。
本宮から舞殿を撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
この舞殿の場所には当初、鶴岡八幡宮の下宮である若宮の大回廊があった。
若宮の大回廊は、文治2年(1186年)頼朝の命により、義経の愛妾である静御前が舞を奉納したことで有名である。
静御前は白拍子で、舞の名手、雪深い吉野山に義経と行き別れ、やがて捕われ、鎌倉へ送られてきた。八幡宮の神前に舞の奉納を命じられた静は、頼朝が期待していた関東の繁栄を寿ぐ祝儀舞に反して、義経との別れの曲を舞う・・。
吉野山 峰の白雪 踏みわけて 入りにし人の あとぞ恋しき
静や静 しずのおだ巻き くり返し 昔を今に なすよしもがな
頼朝は激怒するが、妻の政子が執り成して助命する。この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月に静は男子を産んだ。静は泣き叫んで離さなかったが、取り上げられ、赤子は由比ヶ浜に沈められた。
若宮の大回廊は建久2年(1191年)に焼失し、舞殿は建久4年(1193年)その場所に造営された。
現在の舞殿は昭和8年(1933年)の再建である。
舞殿から本宮。
記事の内容は鶴岡八幡宮のホームページを参考に記述。
鶴岡八幡宮付近地図
(2016年1月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:宇佐神宮
犬吠埼の灯台(千葉県) [南関東の旅]
犬吠埼の灯台
房総半島の最東端である千葉県銚子市の犬吠埼、三方を海に囲まれた台地で、断崖の下には岩礁が多く、昔から海の難所と云われていた。明治になり政府は航海安全のために洋式灯台の効果大なるを認め、明治5年(1872年)に犬吠埼灯台の建設に着工、明治7年(1874年)11月竣工し点灯した。
白色塔形の煉瓦造り、塔高31.3m、一等フレネル式閃光レンズを使用した灯台である。この一等フレネル式閃光レンズを使用した灯台を第一等灯台と称し、日本では現在5ヶ所しかない。灯台位置は北緯35度42分28秒、東経140度52分07秒である。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
白色塔形の煉瓦造り、この煉瓦(レンガ)は初の日本製、灯台は140年以上の風雨に耐えて今に至る。
閃光は毎15秒、実効光度は1,100,000cd、光達距離は19.5海里になる。
犬吠埼灯台で使われているものと同等の一等フレネル式閃光レンズ、展示館にあった。
展示されているのは国産第一号の一等フレネル式閃光レンズで、レンズ直径3.03m、重さ2.65t、大正11年(1922年)から平成19年(2007年)まで、沖ノ島灯台にて使用されていたもの。
灯台の入り口には白い郵便ポストが設置されている。
平成24年(2012年)ホワイトデーに設置されたため、幸せを呼ぶスポットとなっているらしい。
犬吠埼の岩礁、灯台上から見下ろして撮影。
灯台下の遊歩道にて、逆光の太平洋と岩礁。
犬吠埼灯台は国の登録有形文化財である。周辺は水郷筑波国定公園に指定されており、太平洋を臨む景勝地となっている。
犬吠埼灯台付近地図
灯台見物のあとは「絶景の宿 犬吠埼ホテル」に宿泊。
(2016年2月中旬 撮影機材 Nikon Df )
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「絶景の宿 犬吠埼ホテル」
房総半島の最東端である千葉県銚子市の犬吠埼、三方を海に囲まれた台地で、断崖の下には岩礁が多く、昔から海の難所と云われていた。明治になり政府は航海安全のために洋式灯台の効果大なるを認め、明治5年(1872年)に犬吠埼灯台の建設に着工、明治7年(1874年)11月竣工し点灯した。
白色塔形の煉瓦造り、塔高31.3m、一等フレネル式閃光レンズを使用した灯台である。この一等フレネル式閃光レンズを使用した灯台を第一等灯台と称し、日本では現在5ヶ所しかない。灯台位置は北緯35度42分28秒、東経140度52分07秒である。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
白色塔形の煉瓦造り、この煉瓦(レンガ)は初の日本製、灯台は140年以上の風雨に耐えて今に至る。
閃光は毎15秒、実効光度は1,100,000cd、光達距離は19.5海里になる。
犬吠埼灯台で使われているものと同等の一等フレネル式閃光レンズ、展示館にあった。
展示されているのは国産第一号の一等フレネル式閃光レンズで、レンズ直径3.03m、重さ2.65t、大正11年(1922年)から平成19年(2007年)まで、沖ノ島灯台にて使用されていたもの。
灯台の入り口には白い郵便ポストが設置されている。
平成24年(2012年)ホワイトデーに設置されたため、幸せを呼ぶスポットとなっているらしい。
犬吠埼の岩礁、灯台上から見下ろして撮影。
灯台下の遊歩道にて、逆光の太平洋と岩礁。
犬吠埼灯台は国の登録有形文化財である。周辺は水郷筑波国定公園に指定されており、太平洋を臨む景勝地となっている。
犬吠埼灯台付近地図
灯台見物のあとは「絶景の宿 犬吠埼ホテル」に宿泊。
(2016年2月中旬 撮影機材 Nikon Df )
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「絶景の宿 犬吠埼ホテル」
円福寺「飯沼観音」(千葉県)坂東三十三観音二十七番札所 [南関東の旅]
坂東三十三観音二十七番札所(飯沼山円福寺)「飯沼観音」
坂東三十三観音巡礼はすでに結願したが、犬吠埼の灯台を見物した帰りに、観音下に銚子で有名な今川焼きのお店があり、併せて円福寺「飯沼観音」を再訪した。(前回、巡礼時の記事はこちら)
飯沼観音本堂境内。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
飯沼山円福寺「飯沼観音」は坂東三十三観音の二十七番札所。飯沼山観世音縁起によれば、神亀元年(724年)海上に光を放つものがあり、網を投じたところ御丈二尺余の十一面観音像が瑪瑙(めのう)石を脇ばんで出現されたとある。のちに弘法大師が本尊の蓮座を造られ開眼の秘法を修せられたと云う。
鎌倉時代にこの地を治めた海上氏の帰依を受け、寺運は興隆した。江戸時代に入り、天正6年(1578年)には方八間の観音堂が建立され、徳川家康の朱印も賜り諸堂が整備された。しかし、昭和20年(1945年)空襲で諸堂は焼失、観音堂の再建がなったのは昭和46年(1971年)との事である。
十一面観世音菩薩が祀られる本堂(観音堂)。
本堂(観音堂)前には「大仏」がおられる。
「大仏」は銚子在住の人たちの喜捨で正徳4年(1714年)に鋳造。
境内にある五重塔。
平成21年(2009年)の竣工である。
大仏と五重塔。
観音下、今川焼きのお店「さのや」。
大きくて、意外とさっぱり、素朴で懐かしい今川焼き・・。
今回は犬吠埼の灯台を観光して宿泊、翌日に飯沼観音を参拝し、今川焼きを堪能して帰宅、移動は車。
宿泊は「絶景の宿 犬吠埼ホテル」
円福寺付近地図
地図で円福寺(圓福寺)は二ヶ所あるので注意。本堂と本坊が離れてます。
(2016年2月中旬 撮影機材 Nikon Df )
坂東三十三観音巡礼はすでに結願したが、犬吠埼の灯台を見物した帰りに、観音下に銚子で有名な今川焼きのお店があり、併せて円福寺「飯沼観音」を再訪した。(前回、巡礼時の記事はこちら)
飯沼観音本堂境内。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
飯沼山円福寺「飯沼観音」は坂東三十三観音の二十七番札所。飯沼山観世音縁起によれば、神亀元年(724年)海上に光を放つものがあり、網を投じたところ御丈二尺余の十一面観音像が瑪瑙(めのう)石を脇ばんで出現されたとある。のちに弘法大師が本尊の蓮座を造られ開眼の秘法を修せられたと云う。
鎌倉時代にこの地を治めた海上氏の帰依を受け、寺運は興隆した。江戸時代に入り、天正6年(1578年)には方八間の観音堂が建立され、徳川家康の朱印も賜り諸堂が整備された。しかし、昭和20年(1945年)空襲で諸堂は焼失、観音堂の再建がなったのは昭和46年(1971年)との事である。
十一面観世音菩薩が祀られる本堂(観音堂)。
本堂(観音堂)前には「大仏」がおられる。
「大仏」は銚子在住の人たちの喜捨で正徳4年(1714年)に鋳造。
境内にある五重塔。
平成21年(2009年)の竣工である。
大仏と五重塔。
観音下、今川焼きのお店「さのや」。
大きくて、意外とさっぱり、素朴で懐かしい今川焼き・・。
今回は犬吠埼の灯台を観光して宿泊、翌日に飯沼観音を参拝し、今川焼きを堪能して帰宅、移動は車。
宿泊は「絶景の宿 犬吠埼ホテル」
円福寺付近地図
地図で円福寺(圓福寺)は二ヶ所あるので注意。本堂と本坊が離れてます。
(2016年2月中旬 撮影機材 Nikon Df )
箱根大涌谷(神奈川県) [南関東の旅]
箱根大涌谷
神奈川県箱根町にある大涌谷は、箱根火山中央火口丘である冠ヶ岳の北側斜面にあり、地熱地帯で活発な噴気地帯である。平成27年(2015年)5月に箱根火山の噴火警戒レベルが引き上げられ、箱根ロープウェイの全線運休と周辺への立ち入り規制が実施された。
平成28年(2016年)7月に火山ガス濃度が低下し、立ち入り規制が一部解除され、箱根ロープウェイが全区間で運行再開、大涌谷くろたまご館の営業も再開されたとの情報、師走に久々の訪問。
大きな「黒玉子」・・。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
冠ヶ岳の北側斜面、地熱地帯で活発な噴気地帯、風の強い日だった。
立ち入り禁止地域になっている「黒玉子」の販売所(黒玉子茶屋)。
ここで食べる熱々の「黒玉子」が美味いんだけどね・・。
「黒玉子」は地熱を利用してできたゆで卵。温泉に含まれる硫黄と鉄分が結びついて硫化鉄となり殻を黒く変色させ「黒玉子」と呼ばれる。
立ち入り禁止地域になっている販売所には行けないので「大涌谷くろたまご館」で「黒玉子」を購入して食した。「黒玉子」は1個食べると7年寿命が延びるというふれこみ、随分と食べたから、家族は迷惑かな・・?
大涌谷近辺の箱根山中、火山ガスが道脇から出ている。
立ち止まるなとの札があったが、車を止めて、そそくさと撮影。
箱根登山鉄道、踏切にて。
大涌谷付近地図
移動には車を使用、帰りは湯河原に出て一泊した。宿泊は「蜜柑の花咲く丘の宿 幸太荘」。
翌朝日の出前の湯河原の海、大島が見える。部屋の窓から撮影。
日の出直前、床の間が明るく映えてきた。
日の出を撮影。
(2016年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「蜜柑の花咲く丘の宿 幸太荘」
神奈川県箱根町にある大涌谷は、箱根火山中央火口丘である冠ヶ岳の北側斜面にあり、地熱地帯で活発な噴気地帯である。平成27年(2015年)5月に箱根火山の噴火警戒レベルが引き上げられ、箱根ロープウェイの全線運休と周辺への立ち入り規制が実施された。
平成28年(2016年)7月に火山ガス濃度が低下し、立ち入り規制が一部解除され、箱根ロープウェイが全区間で運行再開、大涌谷くろたまご館の営業も再開されたとの情報、師走に久々の訪問。
大きな「黒玉子」・・。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
冠ヶ岳の北側斜面、地熱地帯で活発な噴気地帯、風の強い日だった。
立ち入り禁止地域になっている「黒玉子」の販売所(黒玉子茶屋)。
ここで食べる熱々の「黒玉子」が美味いんだけどね・・。
「黒玉子」は地熱を利用してできたゆで卵。温泉に含まれる硫黄と鉄分が結びついて硫化鉄となり殻を黒く変色させ「黒玉子」と呼ばれる。
立ち入り禁止地域になっている販売所には行けないので「大涌谷くろたまご館」で「黒玉子」を購入して食した。「黒玉子」は1個食べると7年寿命が延びるというふれこみ、随分と食べたから、家族は迷惑かな・・?
大涌谷近辺の箱根山中、火山ガスが道脇から出ている。
立ち止まるなとの札があったが、車を止めて、そそくさと撮影。
箱根登山鉄道、踏切にて。
大涌谷付近地図
移動には車を使用、帰りは湯河原に出て一泊した。宿泊は「蜜柑の花咲く丘の宿 幸太荘」。
翌朝日の出前の湯河原の海、大島が見える。部屋の窓から撮影。
日の出直前、床の間が明るく映えてきた。
日の出を撮影。
(2016年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「蜜柑の花咲く丘の宿 幸太荘」