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三内丸山遺跡(青森県)板状土偶 [遺跡・古墳]

三内丸山遺跡「板状土偶」
青森県青森市大字三内字丸山にある三内丸山遺跡、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の遺跡である。この遺跡から出土する土偶は、板のような造りの「板状土偶」である。
「大型板状土偶」、縄文中期(紀元前3,000年)、重要文化財。
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足の表現はないが、頭部には結髪の表現がある。

十字形板状土偶は北日本の円筒土器文化に属する土偶であるらしい。
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縄文土器、縄文中期(紀元前3,300〜3,000年)、重要文化財。
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ミニチュア土器、縄文中期(紀元前3,300〜2,200年)。
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子供のおもちゃかな、ぐい呑みだったりして・・。

ここには縄文時代の竪穴式住居や倉庫、三内丸山遺跡を象徴する三層の六本柱建物(掘立柱建物)が再現されており、縄文の大規模集落が実感できる。
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                               (Shutterstock my portfolioに掲載)
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三内丸山遺跡は八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し、標高は約20m、遺跡は約40haの広大な範囲に広がっている。これほどの規模の集落が終焉を迎えたのは、アジア中緯度域の寒冷化によるものであると云う。

陸奥湾における過去の環境調査によると、三内丸山遺跡が栄えた約5000年前は,現在より2.0℃ほど温暖であった。しかし,約4200年前の突然の寒冷化(2.0℃)により、食物の調達が困難になり、人々は集落を放棄したと思われる。中国の長江周辺,西アジアのメソポタミアなど、アジアの中緯度域の文明においてもほぼ同時に衰退しており、この時期に寒冷化あるいは乾燥化などの影響があったと考えられる。東京大学大学院新領域創成科学研究科資料から抜粋)

三内丸山遺跡付近地図


(2023年9月上旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)

関連ブログ:三内丸山遺跡三内丸山遺跡「六本柱建物と大型竪穴式住居」
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