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縄文時代の土偶と土器(東京国立博物館にて) [東京国立博物館]

縄文時代の土偶と土器(東京国立博物館にて)
縄文時代の土偶や土器など、若い頃はさして興味を持たなかったが、青森県の三内丸山遺跡を訪れて以来、興味を持つようになった。東京国立博物館には数多くの縄文時代の土偶や土器が展示されている。面白そうなものを撮影してきた。

遮光器土偶(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)重要文化財
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撮影角度を変えるとムッとした表情に・・。
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縄文土偶を代表する(と個人的には思われる)亀ヶ岡遺跡出土の「遮光器土偶」、明治19年(1886年)出土であるが、発掘時の詳細資料がないため国宝ではなく重要文化財となっている。映画「ドラえもん のび太の日本誕生」(1989年公開)にもギガゾンビの手下として出てくるので、孫が反応する唯一の土偶。知名度からしても「国宝」でいいと思うけど・・。

旅の途中に、JR五能線「木造駅」ホームにて。
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(2010年9月上旬撮影 Nikon D80)

遮光器土偶(宮城県大崎市田尻蕪栗字恵比須田出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)重要文化財
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遮光器土偶は主に東北地方から出土され、模倣したと思われる土偶は北海道南部から関東・中部地方まで出土があると云う。

土偶(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)
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土面(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)重要文化財
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縄文晩期(紀元前1000〜前400年)の土器
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[6]注口土器(茨城県利根町立木貝塚出土)-[7]異形台付土器(千葉県印西市天神台出土)-[8]香炉型土器(千葉県銚子市余山貝塚出土)

異形片口土器(青森県七戸町長久保出土)縄文後期(紀元前2000〜前1000年)
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何に使われていたのだろうか、凝った形の土器が多い。お洒落な器は、やはり酒器であろうか、酒との相性がよさそうである。

火焔型土器(伝新潟県長岡市馬高出土)縄文中期       (2021年6月下旬撮影 Nikon D5600)
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火焔型土器は昭和11年(1936年)に長岡市馬高で発掘されたのが初め、燃え上がる炎を思わせるところから「火焔型」と称されたと云う。出土は新潟県域の信濃川中流域に集中しているが、東日本の一部地域でも出土する。

東京国立博物館「考古展示室」案内ポスター。
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東京国立博物館付近地図


(2022年2月上旬 撮影機材 Nikon D5600)
関連ブログ:三内丸山遺跡
観た映画(Amazonの該当頁へ):「ドラえもん のび太の日本誕生」
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弥生時代の銅鐸や土器(東京国立博物館にて) [東京国立博物館]

弥生時代の銅鐸や土器(東京国立博物館にて)
弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県)、古墳時代の遺跡である保渡田古墳群(群馬県)を訪ねて歩くうちに、それまでさして興味を持たなかった銅鐸や埴輪に興味を抱くようになった。東京国立博物館には弥生時代の銅鐸などが展示されているので、面白そうなものを撮影してきた。

扁平鈕式銅鐸、伝香川県出土、弥生時代(中期)・紀元前2〜1世紀、国宝。
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銅鐸の「鐸」は柄付きの楽器を云うらしく、吊るして使用される楽器は「鐘」と云う。日本では古くから「銅鐸」と呼ばれた(続日本紀)が、用途は定かではなく、吊るして使用された形跡を持つものもあると云う。弥生時代後半の紀元前2世紀から古墳時代の直前まで造られた模様である。

弥生時代の土器、茨城県筑西市 女方遺跡出土、弥生時代(中期)・紀元前2〜1世紀。
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[1]と[2]は鉢型土器、[3]壺型土器、[4]瓢型土器

土偶形容器、長野県上田市腰越出土、弥生時代(前期)・紀元前4〜3世紀。
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土偶型容器は人の形を模した容器で、頭部が開いている。その中から小児骨が出土した例もあることから、東日本で流行した再葬墓(さいそうぼ)に係るものと考えられている。

東京国立博物館付近地図


(2022年2月上旬 撮影機材 Nikon D5600)
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古墳時代の埴輪と大刀(東京国立博物館にて) [東京国立博物館]

古墳時代の埴輪と大刀(東京国立博物館にて)
弥生時代の遺跡である「吉野ヶ里遺跡(佐賀県)」、古墳時代の遺跡である「保渡田古墳群(群馬県)」を訪ねて歩くうちに、それまでさして興味を持たなかった銅鐸や埴輪に興味を抱くようになった。東京国立博物館には古墳時代の埴輪などが展示されているので、面白そうなものを撮影してきた。

埴輪「盛装女子」群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土、古墳時代・6世紀、重要文化財。
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スカート状の裳、左前合わせの上着、髪は島田髷、玉類の耳飾り、首飾り、腕飾りで全身を装う。

埴輪「船」宮崎県西都市 西都原古墳群出土、古墳時代・5世紀。
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外洋を航海するための大型の準構造船がモデルとみられると書いてあった。

埴輪「両手を挙げる女子」茨城県茨城町駒場字伊勢ノ台出土、古墳時代・6世紀。
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女子学生的な雰囲気のする埴輪・・。

埴輪「踊る人々」埼玉県熊谷市野原古墳出土、古墳時代・6世紀。(2022年1月中旬撮影 Nikon D5600)
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近年では踊っているのではなく、馬の手綱を引く馬子を表しているという説が有力らしい。

埴輪「猿」伝茨城県行方市大日塚古墳出土、古墳時代・6世紀、重要文化財。
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(2022年6月下旬撮影 Nikon D5600)

金錯銘花形飾環頭大刀、奈良県天理市東大寺山古墳出土、古墳時代・4世紀、国宝。
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日本最古の出土銘文刀剣、刀身は中国製で2世紀、環頭部は日本製、倭国大乱があった頃と云われる。

銀象嵌銘大刀、熊本県玉名郡和水町 江田船山古墳出土、古墳時代5〜6世紀、国宝。
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まんがチックな魚と鳥の銀象嵌である・・。

「大刀」と「太刀」は使い分けがある。「大刀」は古墳時代から奈良・平安時代にかけての直刀、平安後期以降の反りのある刀は「太刀」と表記するらしい。

石人、福岡県八女市 岩戸山古墳出土、古墳時代・6世紀、重要文化財。
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石人・石馬は九州北部の古墳の墳丘に立てられた石造の像、出土した岩戸山古墳は被葬者が筑紫君磐井と考えられており、古事記や日本書紀に反乱伝承(磐井の乱:継体天皇22年(528年))が記されていると云う。

東京国立博物館付近地図


(2022年2月上旬 撮影機材 Nikon D5600)
関連ブログ:「吉野ヶ里遺跡」「保渡田古墳群」
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縄文時代の土偶(東京国立博物館にて) [東京国立博物館]

縄文時代の土偶(東京国立博物館にて)
東京国立博物館は数多くの縄文時代の土偶を保有しているが、展示されるものは定期的に入れ替えが行われる。東博では月毎に講演会を開催している(抽選なので、当選しないと参加できない)。今回当選し、公演前の空き時間に考古展示室を散策したら、遮光器土偶がハート形土偶に展示変えされていた。

ハート形土偶(群馬県東吾妻町郷原出土)縄文後期(紀元前2000〜前1000年)重要文化財
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後ろ姿・・。
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みみずく土偶(埼玉県さいたま市真福寺貝塚出土)縄文後期(紀元前2000〜前1000年)重要文化財
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みみずく土偶(埼玉県鴻巣市滝馬室出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)
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(2022年8月上旬撮影 Nikon1 J5)

みみずく土偶は関東地方を中心に出土、大きな髪型や顔の造形が「みみずく(鳥)」に似ているところから「みみずく土偶」と云われるらしい。

土偶(静岡県川根本町上長尾夕宮出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)
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土偶(北海道室蘭市輪西町出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)重要文化財
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岩偶(青森県南部町小向出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)
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縄文時代の土偶について竹倉史人著「土偶を読む」という本を読んだ。土偶が安産や祭祀の道具と云う説に対し、土偶が食物を象ったもの(食物の精霊)であり、豊作・大漁を祈願したものではないかと云う内容で、さもありなんと。考古学会的には認められていないらしいが、土偶が縄文後期以降の地球寒冷期に出現していることからも、的を射ている気がする。ちなみにハート形土偶は「鬼胡桃」、みみずく土偶は「板甫牡蠣(イタボガキ)」、遮光器土偶は「里芋」を象っていると云う。

東京国立博物館「考古展示室」案内ポスター。
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東京国立博物館付近地図


(2022年9月上旬 撮影機材 Nikon D5600)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):竹倉史人著「土偶を読む」
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松林図屏風(長谷川等伯)東京国立博物館 [東京国立博物館]

松林図屏風(長谷川等伯)東京国立博物館
日本水墨画の最高傑作と云われる長谷川等伯筆「松林図屏風」(国宝、東京国立博物館蔵)、平成4年の正月に東京国立博物館本館にて2週間の展示があった。
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長谷川等伯は安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した絵師である。能登国・七尾に生まれ、上洛して狩野派など諸派の画風を学び、牧谿、雪舟らの水墨画に影響を受けたと云われる。千利休や豊臣秀吉らに重用され、やがて狩野派とも対立する存在となった。

「松林図屏風」は年記がないが、文禄2年(1593年)に息子の久蔵を26歳で亡くしており、この作品はその後に描かれたもので、長谷川等伯が50歳代の作品と推定されている。また本図は薄手の粗末な紙に描かれており、紙の継ぎも一定ではない、謎の多い作品と云われる。

「松林図屏風」(モノクロームにて)
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東京国立博物館ミュージアムシアターにて「松林図屏風」の紹介映像を観た。中にモノクロームで紹介されている映像があり、悪くないなと思った。水墨画なので・・・。

長谷川等伯の生涯は安倍龍太郎著「等伯」に詳しい。狩野永徳との対立や息子久蔵の死など、時代もあり重い内容の小説であるが、「松林図屏風」を観たいと思ったのもこの小説が一因である。

東京国立博物館は年間パスポートを持っているので、興の趣くままに出掛けるが、昨年はコロナ禍で休館もあり、入館も予約制になった。気楽に立ち寄れないので、少しめんどくさい。

「一の谷馬藺兜」、長谷川等伯にも関連する豊臣秀吉の兜と云われる。
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鉢が一の谷形、後立に馬藺(ばりん)の葉を象った板を放射状に、馬藺とはあやめの一種らしい。

「布袋(ほてい)図」白隠筆。
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白隠慧鶴(はくいんえかく)は江戸時代中期の禅僧。本図も禅画であろうが・・意味不明。

「埴輪:踊る人々」
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埼玉県熊谷市、野原古墳出土、六世紀。双方とも下半分は推定復元、「踊る男女」とも呼ばれ、小さい方が男性で農夫であろうと。

お正月なので、本館の階段には大きな生花。
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階段脇の灯り窓。
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本館からの眺望。
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本館を正面から。                       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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東京国立博物館(東博)は明治5年(1872年)に創設された我が国最古の博物館である。現在の本館は昭和12年(1937年)に竣工。

東京国立博物館(東博)付近地図


(2022年1月中旬 撮影機材 Nikon D5600)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):安倍龍太郎著「等伯」
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