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坂東三十三観音十三番札所(金龍山浅草寺)「浅草観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音十三番札所(金龍山浅草寺)「浅草観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の十三番札所は金龍山浅草寺、東京都台東区浅草にある「浅草観音」である。創立は推古天皇36年(628年)に宮戸川(現在の隅田川)で投網の中に聖観音像を感得、祀ったのが草創との伝である。大化元年(645年)に勝海上人が観音堂を建立、夢告により本尊を秘仏と定めた。浅草寺を中心として浅草は開け、鎌倉時代には源頼朝が深く帰依、江戸時代には徳川家の祈願所に定められた。東京都内最古の寺である。

宝蔵門
雷門から仲見世通りを抜けた先にあるのが宝蔵門である。
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現在の門は昭和39年(1964年)の再建で、鉄筋コンクリート造り。

本堂
本堂は本尊の聖観世音菩薩を祀る観音堂である。
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慶安2年(1649年)に再建された旧堂は国宝であったが、昭和20年(1945年)空襲にて焼失、現在の堂は昭和33年(1958年)に再建され鉄筋コンクリート造りである。

浅草寺は全国有数の観光地であり、海外からの観光客も含め、日中は人が絶えない。
御朱印は本堂の西側にある「影向堂(ようごうどう)」で戴く。

御朱印
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詠歌「ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

(2015年2月上旬 撮影機材 Nikon D5100、Apple iPhone 5s)


浅草寺夜景(2016年11月中撮影 Nikon1 J5)
夜になると人通りも減り、建物はライトアップ、浅草で一杯やった帰りに撮影。
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宝蔵門。
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宝蔵門は左右に金剛力士(仁王)像を安置するところから「仁王門」と呼ばれていたらしい。

向かって左の阿形。                      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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右の吽形。
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本堂(観音堂)。
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浅草寺付近地図


参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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