SSブログ
東海地方の旅 ブログトップ
前の5件 | 次の5件

富士・田貫湖(静岡県)早朝 [東海地方の旅]

富士・田貫湖(たぬきこ)早朝
田貫湖は、静岡県富士宮市、富士山の西麓・朝霧高原の一角に位置する湖。断層活動により隆起した古富士泥流の窪地を拡大させて形成された人造湖である。

元々は狸沼あるいは田貫沼と呼ばれていた小さな沼地であったが、大正12年(1923年)関東大震災の影響で用水を賄っていた芝川の水量が減少、農業用水を確保するために昭和10年(1935年)から沼を人工的に拡張し、貯水ができる人造湖としたらしい。

湖の周辺は自然と触れ合える場所として整備され、宿泊施設やキャンプ場があり、富士山を真正面に見る湖畔の宿「休暇村 富士」に宿泊した。

早朝4時過ぎに目覚め、天文薄明の空を背景に富士山を撮影した。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_0161.jpeg
撮影場所は宿の部屋から、絶好のロケーション・・。

湖面も穏やかで、富士や木々を映す。
DFI_0162.jpeg

太陽が富士山の影を空に映し始めた。
DFI_0170.jpeg

富士山の裾から、日の出。
DFI_0177.jpeg

湖畔のブリッジにも、人のシルエットが増えてきた。
DSC_0267.jpeg
田貫湖は4月と8月に富士山頂から陽が昇る「ダイヤモンド富士」が望めるとのこと。とはいえ、富士宮市のホームページでは「2020年4月の撮影はご遠慮ください」と出ていた。何事も新型コロナが収まってからかな・・。

田貫湖付近地図


(2016年5月下旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「休暇村 富士」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

富士・浅間大社(静岡県)駿河国一宮 [東海地方の旅]

富士山本宮浅間大社
静岡県富士宮市にある浅間大社(せんげんたいしゃ)は、駿河国の一宮、全国の浅間神社の総本社である。「富士山」を御神体として祀る神社であり、富士宮にある「本宮」と富士山頂にある「奥宮」からなる。本宮境内はもとより、富士山の八合目以上は社地となるらしい。

主祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)、別称:浅間大神(あさまのおおかみ)、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)の皇后である。「あさま」とは火山を意味する言葉とのこと。

社伝によれば、第七代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、民は離散し、地は荒れ果てた。第十一代垂仁天皇はこれを憂い、浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められた。大同元年(806年)には坂上田村麻呂が平城天皇の勅命を奉じ、現在の地に壮大な社殿を造営したと云う。

現在の社殿は、慶長9年(1604年)徳川家康の寄進により造営されたが、寛永・安政等の大地震を経て現存するのは本殿、幣殿、拝殿、楼門とのことである。

浅間大社楼門、参道から。
DFI_0214.jpeg

参道の狛犬、愛嬌がある。
DFI_0200.jpeg

楼門を拝殿側から撮影。
DFI_0212.jpeg

本殿は重要文化財。                      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_0211.jpeg

奥宮は富士山頂に、ここから遥拝。
DFI_0152.jpeg

浅間大社の本宮は「富士山・信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして「富士山本宮浅間大社」の名称で世界文化遺産に、富士山頂の奥宮は「富士山域」の一部である「山頂の信仰遺跡群」の一部として世界文化遺産に登録されている。

浅間大社付近地図


(2016年5月下旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

犬山城(愛知県) [東海地方の旅]

犬山城
尾張国と美濃国の境、木曽川沿いの丘の上に築かれた城で現存かつ国宝の天守を持つ。
DFI_8158.jpeg
別名「白帝城」と云うらしい・・。
DFI_8169.jpeg

岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城で、その後、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権の時には石川貞清が城主。江戸時代には平岩親吉が入城し、成瀬正成の入城以降は成瀬氏が明治まで城主として居城とした。(Wikipediaより)

城への入り口、「国宝 犬山城」の碑。
DFI_8171.jpeg

本丸へ。
DFI_8208.jpeg
犬山城の天守は、外観3重であるが内部は4階、地下に踊場を含む2階が付く望楼型天守である。
DFI_8175.jpeg

犬山城天守から木曽川を望む。
DFI_8189.jpeg
天守内の階段、急である。
DFI_8195.jpeg
天守内の窓、ここでまったりしている人も多い・・。       (Shutterstock my portfolioに掲載)
DFI_8196.jpeg
天守内の広間。
DFI_8199.jpeg

桜の時季には人出がすごいだろうが、まだ花は蕾で、人もまばらであった。

犬山城付近地図


お昼時であったので、犬山城を出て、鮎の塩焼きでビールを一杯。
IMG_3345.jpeg

(2023年3月中旬 撮影機材 Nikon Df、Apple iPhone SE)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

熱田神宮(愛知県)草薙剣 [東海地方の旅]

熱田神宮「草薙剣」
熱田神宮は愛知県名古屋市熱田区神宮に鎮座する。尾張国三宮で、三種の神器のひとつである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。

本宮の拝殿である「外玉垣御門」。
DFI_8246.jpeg

主祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)で「草薙剣」を御霊代として天照大神を指すと云う。
相殿神には、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。

「草薙剣」
草薙剣は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)がヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾から草薙剣(元の名は「天叢雲劔(あまのむらくものつるぎ)」)を発見、天照大神に献上した。
神剣は天孫降臨の際に皇室の祖である迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けられ、やがて景行天皇の皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が蝦夷征伐のときに持参、その帰途に妃の宮簀媛命(みやすひめのみこと)のもとに預けられるが、日本武尊は亡くなられる。
宮簀媛命は、尊の御遺志を重んじて、神剣を熱田の地に祀られた。今からおよそ千九百年前(と熱田神宮のHPに書いてあった)と云う。
建稲種命(たけいなだねのみこと)は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍。

草薙剣の創祀は景行天皇43年と云われ、熱田社の創建は仲哀天皇元年あるいは大化2年(646年)と諸説あるらしい。仲哀天皇は日本武尊の子、妃は神功皇后、第四皇子が応神天皇で武運の神たる八幡神

草薙剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり(天智天皇7年)、形代(かたしろ)が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれている。

熱田神宮境内
拝殿横の神楽殿前。
DFI_8245.jpeg
中国系の観光客がいて賑わしい・・。

「信長塀」(撮影場所は斎館と神楽殿の入り口付近)
DFI_8256.jpeg
織田信長が桶狭間出陣の折に、熱田神宮で必勝祈願を行って大勝、御礼に「塀」を奉納した。

参道途中の鳥居。
DFI_8258.jpeg
鳥居の左側(本殿に向かって)には「くさなぎ広場」という名の休憩所。
DFI_8259.jpeg
剣の宝庫「草薙館」や食事処・売店もある。

参道入り口(南門)の鳥居と巫女さん。
DFI_8262.jpeg
南門の左側には別宮の「八剣宮」。
DFI_8263.jpeg
和銅元年(708年)の鎮座と云う。

「清雪門」、南門から右に入った細い道にある開かずの門。    (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_8265.jpeg
ここは先に記した天智天皇7年(668年)の「草薙剣」盗難事件にて、犯人の僧侶がこの門を使ったことから熱田神宮ではこの門を開かずの門(不開門)とし、以降千数百年この門は閉じたままである。犯人の僧侶は剣を新羅に持ち出そうとしたが適わず、神宮に草薙剣を返還したと云う。(日本書紀に記載があるらしい・・)

草薙剣には熱田神宮で祀られている「本体」と、現在皇居にある「形代」がある。
形代は、崇神天皇の御代に作られたらしい。しかし、この形代は安徳天皇と共に壇ノ浦に沈み失われてしまった。現在皇居にある形代は、壇ノ浦の合戦の後に、朝廷が伊勢神宮から献上された剣を「草薙剣の形代」として宮中で祀ったものであると云う。

熱田神宮付近地図


(2023年3月中旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

有楽苑(愛知県)国宝茶室「如庵」 [東海地方の旅]

日本庭園 有楽苑
愛知県犬山市にある「日本庭園 有楽苑」、苑内には国宝茶室「如庵」がある。「如庵」は織田信長の弟で
ある織田有楽斎(うらくさい)が京都の建仁寺に創建した茶室、昭和47年(1972年)に名古屋鉄道により犬山城の東へ移築され、「如庵」が京都にあった時代の庭園を可能な限り再現した「日本庭園 有楽苑」が整備された。

国宝茶室「如庵」
DFI_8237.jpeg
柿葺(こけらぶき)の端正な外観、内部は二畳半台目、竹を詰め打ちにした有楽窓、躙口の位置等随所に独創的な工夫がこらされている。(パンフレットから抜粋)
DFI_8239.jpeg
織田有楽斎は天文16年(1547年)の生まれ。千代田区「有楽町」の町名は、この織田有楽斎に由来、屋敷が数寄屋橋御門の周辺にあり、明治時代にその屋敷跡を「有楽町」と名付けた。

「如庵」は昭和11年(1936年)に国宝の指定を受け、京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席三名席の一つである。

「如庵」の前庭にある「有楽好み井筒」。
DFI_8238.jpeg
石に「元和元年九月二日有楽」との刻印があるらしい。

「釜山海」、同じく「如庵」の前庭にある。
DFI_8240.jpeg
加藤清正が文禄の役で朝鮮の釜山沖から引き上げたといわれる自然石。秀吉に献上されたあと、有楽斎に下げ渡されて、蹲踞に仕立てられたと云う。

「日本庭園 有楽苑」にはこの国宝茶室「如庵」の他にも、重要文化財「旧正伝院書院」、古図により復元された「元庵」、茶会のために建てられた「弘庵」などがあり、静かな佇まいをみせている。

「旧正伝院書院」
元和4年、「如庵」に隣接して建てられた有楽斎の隠居所。
DFI_8221.jpeg
書院から「含翠門」を望む通路。
DFI_8225.jpeg

「元庵」
有楽斎が大阪・天満に構えた茶室を古図にもとづいて有楽苑築造時に復元。
DFI_8243.jpeg
三畳台目の茶室内部は奥に深い間取り、亭主床と呼ばれる床構え(らしい)

「弘庵」
苑内で催される茶会のために新築された茶席。
DFI_8236.jpeg
ここで一服、呈茶料は¥600、入苑時に支払い。入り口には水琴窟の蹲踞。
DFI_8235.jpeg

有楽苑内案内図有楽苑公式サイトより抜粋)。
ennai_1.jpg

有楽苑付近地図


(2023年3月中旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行
前の5件 | 次の5件 東海地方の旅 ブログトップ