宇佐神宮(大分県)豊前国一宮 [九州地方の旅]
宇佐神宮(宇佐八幡宮)
大分県宇佐市にある宇佐神宮は、宇佐八幡宮とも呼ばれ、全国にある八幡宮の総本宮である。御祭神の八幡大神は応神天皇の御神霊で、欽明天皇32年(571年)に御示顕になったと云われ、神亀2年(725年)に御殿を造立してお祀りしたのが宇佐神宮の創建と云われる。豊前国一宮である。
南中楼門(勅使門) (Adobe Stock my portfolioに掲載)
神代においては、宇佐の地に比売大神(ひめおおかみ)が降臨されており、天平5年(733年)には神託によりニ之御殿が造立され比売大神が祀られた。また、弘仁14年(823年)には応神天皇の御母、神功皇后が神託により祀られ、三之御殿が造立された。
宇佐神宮の主祭神は上記のとおり、一之御殿:八幡大神、二之御殿:比売大神、三之御殿:神功皇后の三柱となる。古くから皇室の崇敬を受けており、上宮本殿にある三つの御殿は国宝である。
この皇室からの崇敬ゆえの大事件が「宇佐八幡宮神託事件」である。
宇佐八幡宮神託事件
奈良時代の神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮より称徳天皇に対し「道鏡が皇位に就くべし」との神託が奏上され、紛糾が起こった事件。和気清麻呂が勅使となり真相の確認に宇佐八幡宮を訪れ、「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし。」との神託を持ち帰る。道鏡と称徳天皇の怒りをかった清麻呂は大隅国に配流されるが、翌年称徳天皇が崩御すると道鏡は下野国に左遷、清麻呂は召し返された。称徳天皇崩御のあとは、皇統が守られ、光仁天皇が即位した。
参道と大鳥居。
宇佐神宮には上宮と下宮がある。まずは上宮に向かう。
上宮へ向かう階段。
上宮門前、天皇陛下「幣帛(へいはく)料御下賜」の札が並んでいる。
上宮内部を門外から。
一之御殿かな。
上宮の南中楼門(勅使門)を正面から、宇佐神宮の参拝作法は「二拝四拍手一拝」。
お日柄もよろしいようで・・。
宇佐神宮付近地図
(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon D5100、Apple iPhone 5s)
大分県宇佐市にある宇佐神宮は、宇佐八幡宮とも呼ばれ、全国にある八幡宮の総本宮である。御祭神の八幡大神は応神天皇の御神霊で、欽明天皇32年(571年)に御示顕になったと云われ、神亀2年(725年)に御殿を造立してお祀りしたのが宇佐神宮の創建と云われる。豊前国一宮である。
南中楼門(勅使門) (Adobe Stock my portfolioに掲載)
神代においては、宇佐の地に比売大神(ひめおおかみ)が降臨されており、天平5年(733年)には神託によりニ之御殿が造立され比売大神が祀られた。また、弘仁14年(823年)には応神天皇の御母、神功皇后が神託により祀られ、三之御殿が造立された。
宇佐神宮の主祭神は上記のとおり、一之御殿:八幡大神、二之御殿:比売大神、三之御殿:神功皇后の三柱となる。古くから皇室の崇敬を受けており、上宮本殿にある三つの御殿は国宝である。
この皇室からの崇敬ゆえの大事件が「宇佐八幡宮神託事件」である。
宇佐八幡宮神託事件
奈良時代の神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮より称徳天皇に対し「道鏡が皇位に就くべし」との神託が奏上され、紛糾が起こった事件。和気清麻呂が勅使となり真相の確認に宇佐八幡宮を訪れ、「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし。」との神託を持ち帰る。道鏡と称徳天皇の怒りをかった清麻呂は大隅国に配流されるが、翌年称徳天皇が崩御すると道鏡は下野国に左遷、清麻呂は召し返された。称徳天皇崩御のあとは、皇統が守られ、光仁天皇が即位した。
参道と大鳥居。
宇佐神宮には上宮と下宮がある。まずは上宮に向かう。
上宮へ向かう階段。
上宮門前、天皇陛下「幣帛(へいはく)料御下賜」の札が並んでいる。
上宮内部を門外から。
一之御殿かな。
上宮の南中楼門(勅使門)を正面から、宇佐神宮の参拝作法は「二拝四拍手一拝」。
お日柄もよろしいようで・・。
宇佐神宮付近地図
(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon D5100、Apple iPhone 5s)
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