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熱田神宮(愛知県)草薙剣 [東海地方の旅]

熱田神宮「草薙剣」
熱田神宮は愛知県名古屋市熱田区神宮に鎮座する。尾張国三宮で、三種の神器のひとつである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。

本宮の拝殿である「外玉垣御門」。
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主祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)で「草薙剣」を御霊代として天照大神を指すと云う。
相殿神には、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。

「草薙剣」
草薙剣は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)がヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾から草薙剣(元の名は「天叢雲劔(あまのむらくものつるぎ)」)を発見、天照大神に献上した。
神剣は天孫降臨の際に皇室の祖である迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けられ、やがて景行天皇の皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が蝦夷征伐のときに持参、その帰途に妃の宮簀媛命(みやすひめのみこと)のもとに預けられるが、日本武尊は亡くなられる。
宮簀媛命は、尊の御遺志を重んじて、神剣を熱田の地に祀られた。今からおよそ千九百年前(と熱田神宮のHPに書いてあった)と云う。
建稲種命(たけいなだねのみこと)は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍。

草薙剣の創祀は景行天皇43年と云われ、熱田社の創建は仲哀天皇元年あるいは大化2年(646年)と諸説あるらしい。仲哀天皇は日本武尊の子、妃は神功皇后、第四皇子が応神天皇で武運の神たる八幡神

草薙剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり(天智天皇7年)、形代(かたしろ)が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれている。

熱田神宮境内
拝殿横の神楽殿前。
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中国系の観光客がいて賑わしい・・。

「信長塀」(撮影場所は斎館と神楽殿の入り口付近)
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織田信長が桶狭間出陣の折に、熱田神宮で必勝祈願を行って大勝、御礼に「塀」を奉納した。

参道途中の鳥居。
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鳥居の左側(本殿に向かって)には「くさなぎ広場」という名の休憩所。
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剣の宝庫「草薙館」や食事処・売店もある。

参道入り口(南門)の鳥居と巫女さん。
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南門の左側には別宮の「八剣宮」。
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和銅元年(708年)の鎮座と云う。

「清雪門」、南門から右に入った細い道にある開かずの門。    (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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ここは先に記した天智天皇7年(668年)の「草薙剣」盗難事件にて、犯人の僧侶がこの門を使ったことから熱田神宮ではこの門を開かずの門(不開門)とし、以降千数百年この門は閉じたままである。犯人の僧侶は剣を新羅に持ち出そうとしたが適わず、神宮に草薙剣を返還したと云う。(日本書紀に記載があるらしい・・)

草薙剣には熱田神宮で祀られている「本体」と、現在皇居にある「形代」がある。
形代は、崇神天皇の御代に作られたらしい。しかし、この形代は安徳天皇と共に壇ノ浦に沈み失われてしまった。現在皇居にある形代は、壇ノ浦の合戦の後に、朝廷が伊勢神宮から献上された剣を「草薙剣の形代」として宮中で祀ったものであると云う。

熱田神宮付近地図


(2023年3月中旬 撮影機材 Nikon Df )
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