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金刀比羅宮(香川県)奥社へ [四国地方の旅]

金刀比羅宮 奥社へ
金刀比羅宮(ことひらぐう)、金比羅宮、こんぴらさんと呼ばれる香川県琴平町の琴平山(象頭山)中腹に鎮座する神社。初めに大物主神を祀り、往古は琴平神社と称したが、中古に「金比羅大権現」と改称、永万元年(1165年)には崇徳天皇を合祀している。明治元年に神仏分離令により「金刀比羅宮」と改称し現在に至る。今も昔も海上交通の守り神として広い信仰を集めている。

2010年に石段を785段登り、「本宮」まで参拝した。今回はさらに583段進み、「奥社」を尋ねる。

宿泊は琴平町の老舗旅館「琴平花壇」。
宿の人が宿の庭園から表参道の石段を登らずに「大門」に出る道を教えてくれた。

旧金毘羅大芝居(金丸座)を左に見ながら坂を登って行く。
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旧金毘羅大芝居(金丸座)は天保6年(1835年)に建立された現存する日本最古の芝居小屋らしい。

石段365段を登らずに「大門」に着いた。
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入母屋造・瓦葺の「大門」をくぐると、鎌倉時代から境内での営業を許された五件の五人百姓(の子孫の方々)が飴を売っている・・今回も買わなかった。

ここから「表書院」や「旭社」を過ぎて「本宮」へ向かう。

逆立ちした狛犬。                       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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「本宮」到着。
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「本宮」の創建は上古に属するという以外、詳細は不明らしい。改築は幾度と行われているが、現在の社殿は明治11年(1878年)の改築、檜皮葺・大社関棟造。

祭神の大物主神は天照大神の弟(スサノオ)の子孫、大国主神の別名(和魂:にぎみたま)で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神である。合祀されている第75代崇徳天皇は保元の乱に際し讃岐の国に配流されたが、ここで金比羅宮を深く崇敬され参籠もなされ、讃岐で崩御された。

二拝二拍手一礼の参拝を済ませ、「奥社」へ向かう。

途中にある「白峰神社」で休憩がてらの参拝を。
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ここまで932段らしい。

さらにいくつもの石段を踏みしめると「奥社」に到着、「奥社」は「厳魂神社(いづたま神社)」というらしい。ここまで1368段、海抜は421m。
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ここで参拝、二拝二拍手一礼。
「祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ」

社殿に向かって左上の崖に天狗と烏天狗の面が彫られている。   (Shutterstock my portfolioに掲載)
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意味不明。

「奥社」までの参拝を無事終えて帰路へ。
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守り給へ、幸へ給へ・・

金刀比羅宮付近地図


(2012年5月下旬 撮影機材 Nikon D5100、FUJIFILM FinePix F770EXR)

関連ブログ:金刀比羅宮(香川県)秋
泊まった宿(じゃらんのHPへ)「琴平花壇」

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萬翠荘(愛媛県)久松伯爵別邸 [四国地方の旅]

萬翠荘 初夏
萬翠荘は松山城のある城山の南麓にある。大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫である久松伯爵が、別邸として建設したフランス風洋館である。当時は社交の場として各界名士が集まり、皇族方の滞在場所としても度々使用されている。完成直後には皇太子摂政宮(昭和天皇)が数日滞在なされている。

萬翠荘は戦禍をのがれ、建築当時の様子を残す貴重な建築物として、平成23年(2011年)重要文化財に指定された。現在では美術品展示の他、各種イベントが随時開催されており、外観・一階は無料、2階は観覧料金が必要となっている。

萬翠荘本館。                         (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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写真は「坂の上の雲ミュージアム」から撮影した。

見学後に玄関外からバルコニーを撮影。
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敷地は松山藩の家老屋敷の跡地であり、敷地内に夏目漱石が下宿していた愛松亭があったらしい。

漱石つながりで道後温泉のからくり時計は、夏目漱石の小説「坊ちゃん」がモチーフ。
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萬翠荘付近地図


(2012年5月下旬 撮影機材 FUJIFILM FinePix F770EXR)

読んだ本(Amazonの該当頁へ)「坊ちゃん」夏目漱石著
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道後温泉本館(愛媛県)夏 [四国地方の旅]

道後温泉本館 夏
伊予の国、日本最古の温泉といわれる道後温泉、古代・白鷺の伝説では脛に傷した白鷺が岩間から噴出する温泉で傷を治したのを見て、人も利用するようになったと云う。仕事の帰り、久々に立ち寄ってみた。

神代・玉の石の伝説では大国主命(オオクニヌシノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が伊予の国に来た際、重病にかかった少彦名命が道後温泉の湯で元気になり、石の上で踊ったと云う。その石は「玉の石」と呼ばれ、現在も道後温泉本館の北側に奉られている。

道後温泉本館北側と「玉の石」。
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道後温泉本館を北側から撮影。                 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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現在の道後温泉本館は明治27年(1894年)に落成、重要文化財。

道後温泉本館はスタジオジブリ「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋「油屋」のモデルの一つである。他のモデルは四万温泉の「積善館」と「目黒雅叙園」らしい。

道後温泉は江戸時代に入り、松山藩が施設充実に着手、浴槽を士族・僧侶用、婦人用、庶民男子用に分け、この他に十五銭湯、十銭湯、養生湯、馬湯を設けた。明治に入り落成した道後温泉本館は「神の湯」と「霊(たま)の湯」という浴室があり、二階には休憩室、さらに三階には個室が用意されている。すべて入浴料次第だが、お金を出しても入れない皇室専用浴室「又新殿」もある。
 
道後温泉はアルカリ性単純泉、刺激が少なく、なめらかなお湯である。源泉は18本、源泉のブレンドにより湯温を調整、加温や加水がない源泉かけ流しとの事。個人的には少々熱く感じる。

道後温泉本館を裏から撮影。
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現在(令和2年)は道後温泉本館は保存修理工事中で二階以上は休館、「神の湯」で入浴のみの営業。

道後温泉駅に展示の「坊ちゃん列車」、土日と祝日の運行、伊予鉄道路面電車。
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夏目漱石の小説「坊ちゃん」で「マッチ箱のような汽車」と形容される機関車を観光用に再現したもの。

道後温泉本館付近地図


(2016年9月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)

関連ブログ:四万温泉「積善館」
読んだ本(Amazonの該当頁へ)「坊ちゃん」夏目漱石著
観た映画(Amazonの該当頁へ)スタジオジブリ「千と千尋の神隠し」

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栗林公園(香川県) [四国地方の旅]

栗林公園
香川県高松市にある栗林公園は、高松藩松平家の下屋敷として、広大な敷地に回遊式庭園が構築されている。歴代藩主が修築を重ねており、完成は約300年前と云われる。明治8(1875)年には県立公園として一般に公開され現在に至るが、国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中では最大の広さを持つ。

歴代藩主が大茶屋と呼び、こよなく愛した「掬月亭」のある南湖。
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「掬月亭」とは中国唐代の詩の一節「掬水月在手」から、禅語でもあるらしい。
   「掬水月在手 弄花香満衣」(水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ)

南湖周遊和船で舟遊びができる。
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築山の紅葉と湖面に映る山影。
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栗林公園は、緑深い紫雲山を背景とし池と築山を巧みに配していると云う。

湖畔に咲く石蕗の花。
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園内にある明治時代の建物。
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明治32年(1899年)に香川県博物館として建てられ、現在は商工奨励館。

園内には香川県の「桜前線標本木」がある。           (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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栗林公園付近地図


帰りの飛行機から撮影した東京湾アクアラインの「海ほたる」。
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下総国の住人につき、一度しか利用したことがない・・・。

(2017年11月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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瀬戸内しまなみ海道(広島県・愛媛県)大島「村上海賊・能島城跡」 [四国地方の旅]

瀬戸内しまなみ海道 大島「村上海賊・能島城跡」
瀬戸内海に浮かぶ島々(向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島)を7つの橋で結んだ「瀬戸内しまなみ海道」、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなる。

小説「村上海賊の娘(和田竜著)」を読んで興味を持ち、村上海賊ゆかりの地を訪れてみた。広島県尾道市から「瀬戸内しまなみ海道」に入り、瀬戸内海の多島美を観ながらのドライブ、最初に大三島(愛媛県)に向かう。

大三島に入り一旦休憩、生口島(広島県)と大三島を結ぶ「多々羅大橋」を撮影した。
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「多々羅大橋」は吊橋の一種である斜張橋で、国内最長であるらしい。また、同じく斜張橋であるフランスのノルマンディー橋と姉妹橋縁組を結んでいるという。

大三島では、日本総鎮守と呼ばれる「大山祇神社(おおやまづみ)神社」を参拝し、村上水軍博物館のある大島に向かう。

村上海賊・能島城跡
大三島から伯方島を経由して大島へ、村上水軍博物館(村上海賊ミュージアム)を訪れる。
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村上海賊の機動力として活躍した小早船。

館内から伯方島方向、能島の海を撮影。
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能島城跡と伯方・大島大橋を遠望。
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村上海賊は14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族である。能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、連携と離反を繰り返しつつも、強い同族意識を持っていた。三家の中では能島村上氏がもっとも独立性が強く、特に戦国時代の村上武吉の時代には、毛利氏や大友氏のような周辺の戦国大名たちと、時に友好関係、時に敵対・緊張関係となりながらも独自の姿勢を貫いた。(村上水軍博物館HPより)

能島村上氏の本拠地となる能島城跡。              (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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小さな島は「鯛崎出丸」と云うらしい。
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能島城の付近は潮流が早く、潮流の激しさが堀の役目を果たしたと云われる。

大島・能島城跡を後に、帰りに立ち寄った生口島の瀬戸田PAにて「多々羅大橋」を撮影。
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因島(広島県)の大浜PAにて瀬戸内の風景と「因島大橋」。
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村上水軍博物館(村上海賊ミュージアム)付近地図


(2019年10月下旬 撮影機材 Nikon Df、Apple iPhone SE)

読んだ本(Amazonの該当頁へ)「村上海賊の娘」和田竜著
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