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直島(香川県)現代アートの島 [四国地方の旅]

現代アートの島、直島
直島は瀬戸内海に浮かぶ周囲16㎞、香川県に属する島である。近年、現代アートの島としてその名を聞くようになった。現代アートはあまり馴染みはないが、モネの絵があるというので高松港からフェリーに乗って観に行く事にした。季節は5月下旬、梅雨には早いと思うけど天気は雨・・。

無人の古民家を保存・再生し恒久展示場とする家プロジェクト「はいしゃ」。
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本村エリアと呼ばれる地域で展開されるアートプロジェクトが「家」プロジェクトらしい。
・・よくわからない。

本村エリアの家プロジェクト「南寺」を観た後、昼食に立ち寄ったお店「中奥(Naka-Oku)」。
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Cafe Salonとなってたけど古民家風の雰囲気の良いお店。

島の南部は美術館エリアとなっており幾多の美術館が作られている。地中美術館もその一つで2004年に設立、ここでモネの作品「睡蓮」を観ることができた。

地中美術館の庭園である「地中の庭」。
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モネの「睡蓮」がモチーフなのは明らか。

フェリーが発着する宮浦港にある宮ノ浦エリアでは草間彌生「赤かぼちゃ」が展示されている。
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中は空洞で入って遊べる。

直島地図


(2012年5月下旬 撮影機材 Nikon D5100)
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金刀比羅宮(香川県)奥社へ [四国地方の旅]

金刀比羅宮 奥社へ
金刀比羅宮(ことひらぐう)、金比羅宮、こんぴらさんと呼ばれる香川県琴平町の琴平山(象頭山)中腹に鎮座する神社。初めに大物主神を祀り、往古は琴平神社と称したが、中古に「金比羅大権現」と改称、永万元年(1165年)には崇徳天皇を合祀している。明治元年に神仏分離令により「金刀比羅宮」と改称し現在に至る。今も昔も海上交通の守り神として広い信仰を集めている。

2010年に石段を785段登り、「本宮」まで参拝した。今回はさらに583段進み、「奥社」を尋ねる。

宿泊は琴平町の老舗旅館「琴平花壇」
宿の人が宿の庭園から表参道の石段を登らずに「大門」に出る道を教えてくれた。

旧金毘羅大芝居(金丸座)を左に見ながら坂を登って行く。
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旧金毘羅大芝居(金丸座)は天保6年(1835年)に建立された現存する日本最古の芝居小屋らしい。

石段365段を登らずに「大門」に着いた。
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入母屋造・瓦葺の「大門」をくぐると、鎌倉時代から境内での営業を許された五件の五人百姓(の子孫の方々)が飴を売っている・・今回も買わなかった。

ここから「表書院」や「旭社」を過ぎて「本宮」へ向かう。

逆立ちした狛犬。                       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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「本宮」到着。
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「本宮」の創建は上古に属するという以外、詳細は不明らしい。改築は幾度と行われているが、現在の社殿は明治11年(1878年)の改築、檜皮葺・大社関棟造。

祭神の大物主神は天照大神の弟(スサノオ)の子孫、大国主神の別名(和魂:にぎみたま)で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神である。合祀されている第75代崇徳天皇は保元の乱に際し讃岐の国に配流されたが、ここで金比羅宮を深く崇敬され参籠もなされ、讃岐で崩御された。

二拝二拍手一礼の参拝を済ませ、「奥社」へ向かう。

途中にある「白峰神社」で休憩がてらの参拝を。
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ここまで932段らしい。

さらにいくつもの石段を踏みしめると「奥社」に到着、「奥社」は「厳魂神社(いづたま神社)」というらしい。ここまで1368段、海抜は421m。
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ここで参拝、二拝二拍手一礼。
「祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ」

社殿に向かって左上の崖に天狗と烏天狗の面が彫られている。   (Shutterstock my portfolioに掲載)
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意味不明。

「奥社」までの参拝を無事終えて帰路へ。
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守り給へ、幸へ給へ・・

金刀比羅宮付近地図


(2012年5月下旬 撮影機材 Nikon D5100、FUJIFILM FinePix F770EXR)
関連ブログ:金刀比羅宮(香川県)秋
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「琴平花壇」香川県琴平町
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松山城(愛媛県)初夏 [四国地方の旅]

松山城 初夏
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伊予の国、愛媛県松山市にある松山城。慶長7年(1602年)伊予の大名であった加藤嘉明が、関ヶ原の戦功により加増され、松山市の中心部である勝山(城山)山頂に築城を始める。しかし加藤氏は寛永4年(1627年)会津に転封となり、そのあとは蒲生氏が入国するが寛永11年(1634年)に断絶、そして寛永12年(1635年)に松平氏が松山藩主15万石に封じられ、明治維新に至る。

2011年晩秋にも登城、前回は松山城山公園から二之丸跡を通り天守へ。今回は別ルートで登城した。

大街道から少し坂を登るとロープウェイ東雲口駅舎がある。ここで切符を買って乗車。
ロープウェイとリフトがある。天気がいいのでリフトで行くことにした。
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登る途中でも天守が望見できます。数分で長者ヶ平とやらに到着、本丸広場へ。

松山城の天守、現存12天守の一つで旧国宝、現在は重要文化財。  (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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大天守と小天守からなる連立式天守である。             

建造当初の天守は五重であったが、寛永19年(1642年)に三重に改築、しかし天明4年(1784年)元旦に落雷により焼失した。現在の天守は安政元年(1854年)に復興したものである。

本丸西北にある重要文化財「野原櫓」、日本で唯一現存する望楼二重櫓で、天守の原型といわれているらしい。築城当時の姿を残す。
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「野原櫓」の窓から本壇の南隅櫓を望む。
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天守から本丸広場と松山市街を望観。
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本丸右突端は「太鼓櫓」。

本丸を出て戸無門から「太鼓櫓」を撮影。
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松山城付近地図


(2012年5月下旬 撮影機材 Nikon D5100、FUJIFILM FinePix F770EXR)
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萬翠荘(愛媛県)久松伯爵別邸 [四国地方の旅]

萬翠荘 初夏
萬翠荘は松山城のある城山の南麓にある。大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫である久松伯爵が、別邸として建設したフランス風洋館である。当時は社交の場として各界名士が集まり、皇族方の滞在場所としても度々使用されている。完成直後には皇太子摂政宮(昭和天皇)が数日滞在なされている。

萬翠荘は戦禍をのがれ、建築当時の様子を残す貴重な建築物として、平成23年(2011年)重要文化財に指定された。現在では美術品展示の他、各種イベントが随時開催されており、外観・一階は無料、2階は観覧料金が必要となっている。

萬翠荘本館。                         (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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写真は「坂の上の雲ミュージアム」から撮影した。

見学後に玄関外からバルコニーを撮影。
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敷地は松山藩の家老屋敷の跡地であり、敷地内に夏目漱石が下宿していた愛松亭があったらしい。

漱石つながりで道後温泉のからくり時計は、夏目漱石の小説「坊ちゃん」がモチーフ。
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萬翠荘付近地図


(2012年5月下旬 撮影機材 FUJIFILM FinePix F770EXR)
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道後温泉本館(愛媛県)夏 [四国地方の旅]

道後温泉本館 夏
伊予の国、日本最古の温泉といわれる道後温泉、古代・白鷺の伝説では脛に傷した白鷺が岩間から噴出する温泉で傷を治したのを見て、人も利用するようになったと云う。仕事の帰り、久々に立ち寄ってみた。

神代・玉の石の伝説では大国主命(オオクニヌシノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が伊予の国に来た際、重病にかかった少彦名命が道後温泉の湯で元気になり、石の上で踊ったと云う。その石は「玉の石」と呼ばれ、現在も道後温泉本館の北側に奉られている。

道後温泉本館北側と「玉の石」。
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道後温泉本館を北側から撮影。                 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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現在の道後温泉本館は明治27年(1894年)に落成、重要文化財。

道後温泉本館はスタジオジブリ「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋「油屋」のモデルの一つである。他のモデルは四万温泉の積善館と目黒雅叙園らしい。

道後温泉は江戸時代に入り、松山藩が施設充実に着手、浴槽を士族・僧侶用、婦人用、庶民男子用に分け、この他に十五銭湯、十銭湯、養生湯、馬湯を設けた。明治に入り落成した道後温泉本館は「神の湯」と「霊(たま)の湯」という浴室があり、二階には休憩室、さらに三階には個室が用意されている。すべて入浴料次第だが、お金を出しても入れない皇室専用浴室「又新殿」もある。
 
道後温泉はアルカリ性単純泉、刺激が少なく、なめらかなお湯である。源泉は18本、源泉のブレンドにより湯温を調整、加温や加水がない源泉かけ流しとの事。個人的には少々熱く感じる。

道後温泉本館を裏から撮影。
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現在(令和2年)は道後温泉本館は保存修理工事中で二階以上は休館、「神の湯」で入浴のみの営業。

道後温泉駅に展示の「坊ちゃん列車」、土日と祝日の運行、伊予鉄道路面電車。
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夏目漱石の小説「坊ちゃん」で「マッチ箱のような汽車」と形容される機関車を観光用に再現したもの。

道後温泉本館付近地図


(2016年9月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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