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寒川神社(神奈川県)相模国一宮 [南関東の旅]

寒川神社 相模国一宮
神奈川県高座郡寒川町宮山に鎮座する「寒川神社」。       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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神門から拝殿を望む、、相模国一宮である。                     

寒川神社は雄略天皇(456年~479年)の御代に奉幣、神亀4年(727年)社殿建立と伝える記録があると云う。祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)、二柱とも記紀に記述はなく詳細は不明らしいが、寒川大明神と奉称されている。

境内から神門越しに狛犬を撮影。
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寒川神社は「御来光の道」と呼ばれるレイラインに並ぶ霊場の一つである。神秘的なパワーがあるかもしれない・。

狛犬阿形。
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狛犬吽形。
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参道にある手水舎。
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寒川神社は「八方除け」の守護神として有名で、すべての悪事災難をとり除き、福徳開運を招き、生活に限りない恩恵をもたらすと云われる。寒川神社HPより)
相模国に住んでいる孫たちはここで「お宮参り」、限りない恩恵がありますように・・。

寒川神社付近地図


(2021年09月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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阿蘇山(熊本県)中岳 [九州地方の旅]

阿蘇山・中岳
「阿蘇山」は大きなカルデラを伴う複成火山で、外輪山は周囲128km、カルデラ中央部に阿蘇五岳を構える。阿蘇五岳とは「高岳・根子岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳」で、3万年から5万年前に噴出してできたらしい。「阿蘇山」は活火山であり、有史以後も主に「中岳」を中心に活動が記録されている。

令和3年(2021年)10月13日、火山活動の高まりにより火口周辺規制(噴火警戒レベル2)が発令され、中岳第一火口から半径約1km以内への立ち入りは禁止となった。ちょうどその時期に阿蘇山への旅行を計画(10月17日)しており、不謹慎ながら噴火を期待しながら旅立った・・。

噴煙を上げる阿蘇中岳。                    (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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中岳は標高1,506m、最も活発な活動をしている火山である。

草千里または草千里ヶ浜と呼ばれるエリアには、駐車場や食堂・博物館等の施設がある。
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この草千里エリアは、烏帽子岳の側火山の火口跡、乗馬クラブもある。

阿蘇五岳のひとつ「烏帽子岳」。
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草千里を通り過ぎ、できるだけ火口に近づくべく進むが「噴火警戒レベル2」なので、阿蘇山上広場でUターンを余儀なくされた・・。(大きめの建物があるところが「阿蘇山上広場」)
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「阿蘇山ヘリコプター遊覧飛行場」にて撮影。
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草千里から阿蘇山上広場に向かう途中にある飛行場。

レンタカーを草千里エリアの駐車場に停めて、草千里の火口縁から撮影。
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草千里の真ん中にある小高い丘、馬鹿とカメラマンは高いところに登りたがる・・。
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丘の上から望む、草千里ヶ浜と中岳。
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草千里ヶ浜は放牧地でもあるみたいで、家畜用の水飲み場のようなものがある。
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令和3年(2021年)10月20日に「中岳」が噴火、火砕流も発生して警戒レベルが「3」に引き上げられた。数日の差で撮影のチャンスを逃したかと思うと・・少々残念。

阿蘇中岳付近地図


阿蘇中岳に向かう途中、外輪山の唯一の切れ目である「立野峡谷」にて撮影。
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峡谷を流れる白川と長陽大橋、崖には溶岩が固まる時にできた柱状節理が確認できる。

昼食は草千里エリアにあるレストランにて、草千里と中岳を観望しながら。
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阿蘇五岳のひとつ「杵島岳」、帰路に立ち寄る。
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(2021年10月中旬 撮影機材 Nikon Df、Apple iPhone SE)
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熊本城(熊本県)復旧後 [九州地方の旅]

熊本城 復旧後
平成28年(2016年)4月、熊本地震により被災した「熊本城」、令和3年(2021年)早春に天守復旧となった。早々に観に行きたいと思っていたが、令和3年の春は「緊急事態宣言」とやらで自粛自粛の大騒ぎ、少し落ち着いてきた秋口に訪れることができた。

復旧なった「熊本城」、連結式望楼型三重6階の天守である。    (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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平成26年(2014年)の震災前に撮影した写真。
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「熊本城」は戦国時代末期、加藤清正により天正19年(1591年)から築城が始まり、江戸時代、慶長12年(1607年)に完成した。天守は連結式望楼型三重6階であるが、西南戦争中の明治10年(1877年)に原因不明の出火により焼失した。再建されたのは昭和35年(1960年)で、RC構造の熊本市立熊本博物館分館として外観復元がなされ、平成にかけて城郭内の建造物等も復元となった。しかし、平成28年(2016年)の地震で大きな被害を受け、現在も復旧が進められている。

令和3年(2021年)に天守は復旧したが、城内には至る所に地震の傷跡がみられる。

石垣が崩れ、建物も歪んでいる「数寄屋丸二階御広間」。
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崩れた石垣と天守。
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城内は以前のように自由に歩き回ることはできず、決められたルートを進む。
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写真は「南ルート」用の橋、この橋を歩いて天守に向かう。

「二様の石垣」は健在、上に行くほど反りがきつい「武者返し」。
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西南戦争では焼失を逃れた「宇土櫓」であるが、まだ復旧に着手されていない。
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築城時からの現存櫓であり重要文化財、三重5階の櫓は熊本城では天守を除いて最大の櫓。清正の創建した初代天守との見方もあるらしい。

被災前の「宇土櫓」(2014年9月撮影)。
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天守からの眺望、「宇土櫓」と「北ルート」用の橋。
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平左衛門丸からの連結式天守。
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道向こうの熊本市役所の最上階からは「熊本城」を一望できる。
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カメラを持って市役所へ・・ガラス越しだけど。

熊本城付近地図


熊本城内に展示されていた西南戦争前の古い写真。
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このまま残っていたら素敵だったのにね・・。

(2021年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:震災前
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保渡田古墳群(群馬県)八幡塚古墳 [北関東の旅]

保渡田古墳群「八幡塚古墳」
群馬県高崎市保渡田町・井出町にある古墳群「保渡田古墳群」、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の三基の大型前方後円墳がある。築造年代は、5世紀後半から6世紀前半と云われる。このうち「八幡塚古墳」はいにしえの姿に復元されており、古墳に登れるというので訪れてみた。

「八幡塚古墳」、墳丘には葺き石が葺かれている。
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墳丘長102m、後円部径56m、後円部高さ約6m、前方部幅53m、前方部高さは削られて不明のため推定での復元らしい。
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保渡田古墳群・三基の古墳は約1,500年前の豪族が葬られた墓で、夫々墳丘長約100m規模の「前方後円墳」、二重の濠を巡らし、多量の円筒埴輪を並べていた。

墳丘裾部の円筒埴輪。
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墳丘上部、後円部から前方部を撮影。
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前方部から後円部。
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墳丘裾部から後円部を見上げる。
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後円部が埋葬のための墳丘で主丘である、後円部地下には石棺が置かれていた。
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内濠には四基の中島が配置されている。
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前方部前面の中堤上には、人や馬などの復元埴輪が展示されている。(Adobe Stock my portfolioに掲載)
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これらは中堤上の円筒埴輪列で方形に区画された部分から出土したと云う。後方の山は榛名山。
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馬の埴輪、古墳時代にはここ「上毛野国(かみつけぬのくに)」は馬の産地であり、それが「群馬」という由来とか・・。

「前方後円墳」は、円形の主丘に方形の突出部が接続する鍵穴形をなす墳墓であり、約5,000基あると云われる。日本列島の代表的な古墳形式であり、3世紀中頃から7世紀初頭頃にかけて築造された。日本列島に広く分布するが、北海道・青森県・秋田県・沖縄県では存在が明確でないと云う。

保渡田古墳群「八幡塚古墳」付近地図


保渡田古墳群の発掘品・復元品などは「八幡塚古墳」隣の「かみつけの里博物館」に展示されている。

(2021年10月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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