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熊本城(熊本県)震災前 [九州地方の旅]

熊本城 震災前
戦国時代末期、加藤清正により天正19年(1591年)から築城が始まり、江戸時代、慶長12年(1607年)に完成した。それまでは「隈本城」と呼ばれていたのだが「熊本城」に改められた。天守は連結式望楼型三重6階であるが、西南戦争中の明治10年(1877年)に原因不明の出火により焼失した。再建されたのは昭和35年(1960年)で、RC構造の熊本市立熊本博物館分館として外観復元がなされ、平成にかけて城郭内の建造物等も復元された。

平成28年(2016年)4月、熊本地震により被災、天守の屋根瓦や鯱も落下、石垣や塀も倒壊する等、大きな被害を受けている。

写真は平成26年(2014年)9月の震災前に撮影した熊本城である。

連結式望楼型三重6階の天守。                  (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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開館直後なので人もまばらだが、すでに熊本城の武将隊が出陣している。
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熊本城本丸御殿内にある「昭君之間」。
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「昭君之間」、実は「将軍之間」の隠語で、加藤清正が豊臣秀吉の遺児である秀頼を熊本城に迎え入れるために用意したという説があるらしい。金ピカ。

西南戦争での焼失を逃れた宇土櫓、築城時からの現存櫓、三重5階の櫓は熊本城では天守を除いて最大の櫓。清正の創建した初代天守との見方もあるらしい。重要文化財。
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熊本城石垣、上に行くほど反りがきつい、通称「武者返し」。
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西南戦争において薩摩軍は誰一人として城内に侵入することができなかったという。加藤清正が築いた城は最初で最後の攻防戦でその防衛力の高さを発揮した事となる。

(2014年9月下旬 撮影機材 Nikon D5100)

熊本城付近地図


震災後の熊本城天守、平成28年(2016年)に撮影、瓦が落ち、鯱も無いのが見て取れる。
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(2016年6月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)

復旧なったら、また行きますかね。
関連ブログ:復旧後の熊本城
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