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武蔵御嶽神社(東京都) [小さな旅(東京都)]

武蔵御嶽神社
武蔵御嶽神社は、東京の奥多摩にある御岳山の山上に鎮座する神社である。由緒によると崇神天皇7年の創建とされ、天平8年(736年)に僧の行基が東国鎮護を祈願し、蔵王権現を勧請したといわれる。中世には山岳信仰が盛んになり修験場として知られたが、戦乱にて荒廃、江戸時代になり徳川家康より朱印地が寄進され、慶長11年(1606年)に大久保長安を普請奉行として社殿を改築、元禄13年(1700年)には徳川綱吉の命により幣殿・拝殿が改築されたと云う。

社名は、かつて「御嶽蔵王権現」であったが、明治7年(1874年)に「御嶽神社」に改められ、昭和27年(1952年)に「武蔵御嶽神社」となり現在に至っている。

武蔵御嶽神社(幣殿・拝殿)。 
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数年ぶりの参拝である。前回は夏で、避暑のつもりで訪れたら、全く暑くて避暑にならなかった。今回は紅葉狩りの時期、混雑を避けて平日に訪れた。

集落内の参道を登り切ると鳥居と「隋身門」。
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明治以前(神仏分離以前)は仁王門であったと云う。

境内の石段を登っていく。
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途中に鳥居。
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石段を登り切ると、武蔵御嶽神社の「幣殿・拝殿」に。
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入母屋造、元禄13年に改築、明治中頃に檜皮葺きから銅板葺屋根に。

幣殿・拝殿の奥には「本殿」。
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神明造、明治11年(1878年)造営。御祭神は「櫛真智命、大己貴命、少彦名命、日本武尊、廣國押武金日命(蔵王権現)」。

神社の狛犬は唐獅子が多いが、武蔵御嶽神社の狛犬は「ニホンオオカミ」である。
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日本武尊が東征の折、山奥で道を失った軍を導いた白狼に「災いを防ぎこの地を守護せよ」と仰せられ、白狼は言葉に従い「大口真神(おおくちまがみ)」としてこの御岳山に留まり守り神になったと云われる。
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狛犬は、長崎の平和祈念像の作者でもある北村西望の作品、昭和60年(1985年)奉納。
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参拝・・「ご照覧あれ」

武蔵御嶽神社付近地図


武蔵御嶽神社は武蔵御岳山の山上に鎮座するので、御岳登山鉄道「滝本駅」から御岳登山鉄道で「御岳山駅」へ行き、徒歩で約30分、坂道もあり年寄りには結構きつい・・。御岳山の山上には指定車両でないと車では行けない、「滝本駅」には有料駐車場があるので車はそこに置いていく。

(2021年11月中旬 撮影機材 Nikon Df )

関連ブログ:武蔵御嶽神社 宿坊「山香荘」武蔵御岳山
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靖國神社(東京都)秋 [小さな旅(東京都)]

靖國神社 秋
東京都千代田区九段北にある「靖國神社」、国のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰める神社である。秋も深まった天気の良い日、久々に参拝に訪れた。

九段下の駅から坂を登ってくると「大鳥居(第一鳥居)」。
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「靖國神社」は明治2年(1869年)に明治天皇の思し召しによって建てられた「招魂社」が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称されて現在に至る。靖國には戊辰戦争、西南戦争等の国内の戦い、日清、日露戦争から第二次大戦の海外の戦争で亡くなられた軍人ばかりでなく、従軍看護婦や軍需施設の学徒など軍属、文官、民間の方々も同様に祀られている。

境内に入ると「大村益次郎」の銅像がある。
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大村益次郎は兵部大輔(現在の防衛省次官、実務トップ)で、靖國神社の創建に尽力したと云われる。

途中、横断する道を挟むが、奥に進んで「第二鳥居」に。
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「神門」から「拝殿」へ、参拝の人々に続く。
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「中門鳥居」と「拝殿」。
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参拝・・神社仏閣での参拝は心の中で「ご照覧あれ」と一言、「神仏を尊びて神仏に頼らず」(宮本武蔵)を信条に・・。

「神門」を入って右側、能楽堂の前には東京の桜開花を決める標本木(ソメイヨシノ)がある。
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春の標本木(2010年3月下旬撮影 Nikon D80)
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「神門」の扉には大きな「菊の御紋」。
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帰り際、大鳥居を振り返って・・。
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靖国神社付近地図


靖國神社手前から靖国通りを渡ると「日本武道館」。
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若かりし頃、幾たびかの試合(オール三菱、全日本実業団)に出場(剣道)、昭和天皇ご病気の折は試合前にここから皇居に向かい拝礼をした・・思い出多き場所である。

(2021年11月中旬 撮影機材 Nikon Df )

関連ブログ:靖國神社 春
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葛飾柴又帝釈天(東京都) [小さな旅(東京都)]

葛飾柴又帝釈天(経栄山 題経寺)
「寅さん」で知られる、東京は葛飾柴又帝釈天、正式名称は経栄山題経寺といい日蓮宗の寺院である。寛永6年(1629年)の創建、本尊は「帝釈天」ではなく「大曼荼羅」との事である。

京成電鉄の柴又駅から参道を抜けて二天門をくぐると正面が帝釈堂である。
本尊の「大曼荼羅」は帝釈堂の右側に位置する本堂(祖師堂)に祀られているが、皆さんお参りはこの帝釈堂拝殿にて行なっている。
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この帝釈堂内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻(法華経説話)が施されている。見学は有料。

「男はつらいよ」シリーズが終了した後は、観光客もめっきり減った感じがする。撮影したのは5月末の日曜午後であるが、人はまばらであった。毎年初詣に行くが、昨今は参道で人にぶつからない。

本尊を祀る本堂(祖師堂)に入ると大客殿があり、「邃渓園(すいけいえん)」という庭園がある。周囲を回廊が囲む池泉式庭園である。大客殿への拝観は有料、彫刻ギャラリー見学と共通券。

大客殿回廊から邃渓園を撮影。                 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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邃渓園を出て、夕刻の帝釈堂を撮影。
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柴又帝釈天の脇道を江戸川に向かって進むと「山本亭」という大正時代の和風建築があり、座敷でお茶がいただける。当時の富裕層のご自宅だったらしく、東京都歴史的建造物に指定されている。「寅さん記念館」と道を挟んで隣接した場所にある。

山本亭の座敷にて撮影。
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「寅さん記念館」のチケットがあるとお茶の割引がある。

江戸川堤から市川方向を望む。夕刻の河川敷。
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帰りは北総線の新柴又駅に向かう、少し距離はあるが「寅さん」の気分で・・。

柴又帝釈天付近地図


(2015年5月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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浅草寺伝法院(東京都) [小さな旅(東京都)]

浅草寺伝法院
浅草寺仲見世の西側に、閑静な庭園を持つ伝法院。ここは浅草寺の本坊であり、大玄関・客殿・大書院などの建築と、江戸時代初期の庭園からなる一画である。江戸時代初期の頃は「観音院」や「智楽院」と呼ばれていたが、元禄の頃より「伝法院」と称されるようになったらしい。

伝法院庭園は、かつて一般の立ち入りは許されていない秘園だったが、平成23年(2011年)に重要文化財として指定され、一般公開されるようになった。但し、春の特定期間に有料で。

2019年は公園整備のため非公開、訪れたのは平成28年(2016年)5月上旬である。

浅草寺五重塔を左奥に、庭内を進む。こちらは小さな池。     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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廻遊式庭園で、寛永年間(1624〜44年)小堀遠州の作と伝わる。
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池にいたオタマジャクシ、久々にみた・・。
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東京スカイツリーも遠望できる。
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庭園の大きな池、五重塔側の小さな池と繋がる付近から撮影。
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門前にあった、瓦を使った鉢植え。
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伝法院付近地図


(2016年5月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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銀座(東京都)小景 [小さな旅(東京都)]

銀座 小景
銀座には夜に出向くことが多い。年に数度しか行かないが、よく様変わりする街だなあと思う。たまに、小型のカメラを持ってシャッターを押している。

歌舞伎座夕景、東銀座の駅を降りて。
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(2016年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)

江戸時代以前には、現在の丸の内から日比谷にかけては「日比谷入江」と呼ばれる海であった。その東側には砂州(さす)が形成されており、現在の銀座はその先端になる。

徳川家康が慶長8年(1603年)江戸幕府を樹立すると、第一回目の天下普請が行われ、日比谷入江の埋め立てが進められたが、現在の銀座は慶長17年(1612年)第二回目の天下普請に整備が行われ、駿府にあった銀座役所が移転し、銀貨の鋳造が行われて「銀座」となる。

明治維新後は、明治5年(1872年)に和田倉門内の兵部省添屋敷から出火し、銀座一円が焼失するという大規模な災害に見舞われた。政府は復興にあたり、銀座を文明開化の象徴的な街にしたいとの思惑があった模様で、ロンドンのリージェント・ストリートに倣って、街路樹やガス燈のある煉瓦街を銀座通り沿いに造る事になる。

銀座四丁目夜景、和光。
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(2016年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)

夜のショーウィンドウ、和光。
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(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)

夜の銀座四丁目交差点。
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(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)

祝祭日の花椿通り、銀座七丁目。
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(2016年4月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)

銀座四丁目付近地図

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