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靖國神社(東京都)秋 [小さな旅(東京都)]

靖國神社 秋
東京都千代田区九段北にある「靖國神社」、国のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰める神社である。秋も深まった天気の良い日、久々に参拝に訪れた。

九段下の駅から坂を登ってくると「大鳥居(第一鳥居)」。
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「靖國神社」は明治2年(1869年)に明治天皇の思し召しによって建てられた「招魂社」が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称されて現在に至る。靖國には戊辰戦争、西南戦争等の国内の戦い、日清、日露戦争から第二次大戦の海外の戦争で亡くなられた軍人ばかりでなく、従軍看護婦や軍需施設の学徒など軍属、文官、民間の方々も同様に祀られている。

境内に入ると「大村益次郎」の銅像がある。
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大村益次郎は兵部大輔(現在の防衛省次官、実務トップ)で、靖國神社の創建に尽力したと云われる。

途中、横断する道を挟むが、奥に進んで「第二鳥居」に。
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「神門」から「拝殿」へ、参拝の人々に続く。
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「中門鳥居」と「拝殿」。
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参拝・・神社仏閣での参拝は心の中で「ご照覧あれ」と一言、「神仏を尊びて神仏に頼らず」(宮本武蔵)を信条に・・。

「神門」を入って右側、能楽堂の前には東京の桜開花を決める標本木(ソメイヨシノ)がある。
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春の標本木(2010年3月下旬撮影 Nikon D80)
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「神門」の扉には大きな「菊の御紋」。
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帰り際、大鳥居を振り返って・・。
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靖国神社付近地図


靖國神社手前から靖国通りを渡ると「日本武道館」。
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若かりし頃、幾たびかの試合(オール三菱、全日本実業団)に出場(剣道)、昭和天皇ご病気の折は試合前にここから皇居に向かい拝礼をした・・思い出多き場所である。

(2021年11月中旬 撮影機材 Nikon Df )
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葛飾柴又帝釈天(東京都) [小さな旅(東京都)]

葛飾柴又帝釈天(経栄山 題経寺)
「寅さん」で知られる、東京は葛飾柴又帝釈天、正式名称は経栄山題経寺といい日蓮宗の寺院である。寛永6年(1629年)の創建、本尊は「帝釈天」ではなく「大曼荼羅」との事である。

京成電鉄の柴又駅から参道を抜けて二天門をくぐると正面が帝釈堂である。
本尊の「大曼荼羅」は帝釈堂の右側に位置する本堂(祖師堂)に祀られているが、皆さんお参りはこの帝釈堂拝殿にて行なっている。
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この帝釈堂内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻(法華経説話)が施されている。見学は有料。

「男はつらいよ」シリーズが終了した後は、観光客もめっきり減った感じがする。撮影したのは5月末の日曜午後であるが、人はまばらであった。毎年初詣に行くが、昨今は参道で人にぶつからない。

本尊を祀る本堂(祖師堂)に入ると大客殿があり、「邃渓園(すいけいえん)」という庭園がある。周囲を回廊が囲む池泉式庭園である。大客殿への拝観は有料、彫刻ギャラリー見学と共通券。

大客殿回廊から邃渓園を撮影。                 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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邃渓園を出て、夕刻の帝釈堂を撮影。
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柴又帝釈天の脇道を江戸川に向かって進むと「山本亭」という大正時代の和風建築があり、座敷でお茶がいただける。当時の富裕層のご自宅だったらしく、東京都歴史的建造物に指定されている。「寅さん記念館」と道を挟んで隣接した場所にある。

山本亭の座敷にて撮影。
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「寅さん記念館」のチケットがあるとお茶の割引がある。

江戸川堤から市川方向を望む。夕刻の河川敷。
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帰りは北総線の新柴又駅に向かう、少し距離はあるが「寅さん」の気分で・・。

柴又帝釈天付近地図


(2015年5月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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浅草寺伝法院(東京都) [小さな旅(東京都)]

浅草寺伝法院
浅草寺仲見世の西側に、閑静な庭園を持つ伝法院。ここは浅草寺の本坊であり、大玄関・客殿・大書院などの建築と、江戸時代初期の庭園からなる一画である。江戸時代初期の頃は「観音院」や「智楽院」と呼ばれていたが、元禄の頃より「伝法院」と称されるようになったらしい。

伝法院庭園は、かつて一般の立ち入りは許されていない秘園だったが、平成23年(2011年)に重要文化財として指定され、一般公開されるようになった。但し、春の特定期間に有料で。

2019年は公園整備のため非公開、訪れたのは平成28年(2016年)5月上旬である。

浅草寺五重塔を左奥に、庭内を進む。こちらは小さな池。     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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廻遊式庭園で、寛永年間(1624〜44年)小堀遠州の作と伝わる。
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池にいたオタマジャクシ、久々にみた・・。
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東京スカイツリーも遠望できる。
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庭園の大きな池、五重塔側の小さな池と繋がる付近から撮影。
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門前にあった、瓦を使った鉢植え。
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伝法院付近地図


(2016年5月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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上野公園 不忍池(東京都) [小さな旅(東京都)]

上野恩賜公園不忍池を散策 春の終わり
春も終わりの上野公園不忍池、残り桜とユリカモメ(百合鴎)、弁天堂が綾なす景色を撮影。現在の不忍池はその中央に弁財天を祀る弁天島を配し、「蓮池」「ボート池」、動物園内にある「鵜の池」に分けられている。元々は天然の池である。

江戸幕府は寛永2年(1625年)に上野の台地に寛永寺を建立、開祖である天海大僧正は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえた弁天島を築造し弁天堂を建てた。弁天堂の本尊は弁財天、谷中七福神の一つで金運上昇のご利益があるという。

不忍池と弁天堂と残り桜、天気は上々。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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杭に整列しているユリカモメ、繁殖地はユーラシア大陸の北部らしい、渡り鳥である。
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ユリカモメは東京都民の鳥、伊勢物語に出てくる「都鳥」はユリカモメと云われる。

「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」・・伊勢物語第九段「東下り」

ユリカモメ、既に夏羽で頭が黒い、くちばしと脚も少々黒くなってきている。冬羽は頭が白く、くちばしと足は赤いらしい。
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東京スカイツリーと弁天堂、手前はアヒルのボート乗り場。
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不忍池付近地図


(2019年4月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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皇居外苑(東京都) 夕暮れ [小さな旅(東京都)]

夕暮れの皇居外苑 五月
元号も改まり「令和」になった五月の夕暮れ、皇居外苑を散策。

ここは江戸時代には江戸城の一部で西の丸下と呼ばれ、馬場や厩舎が置かれていた。明治時代に入り遷都により江戸城は皇居となり、西の丸下は皇居前広場(皇居外苑)となる。

「二重橋」と「伏見櫓」。皇居の代表的な風景、夕暮れだけど外国からの観光客が大勢いた。
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「伏見櫓」は京都伏見城からの移築との伝承があるが、関東大震災で倒壊、復元された。

皇居正門、西の丸大手門。
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「坂下門」、両陛下の通用門で宮内庁職員の出入口、江戸時代は西の丸の通用口。
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「巽櫓」、ビルを背に。「桜田巽櫓」「桜田二重櫓」とも呼ばれる。
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「巽櫓」と「桔梗門」、左奥に「富士見櫓」を遠望。
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「桔梗門」は皇居一般参観の入城門、江戸時代は大名の登城門でこの門を入ると江戸城三の丸。
「富士見櫓」は江戸城天守焼失後、天守代わりに使用された三重櫓、江戸城本丸東南隅に位置する。

皇居前広場からビル夜景群を眺める、上空には月が。皇宮警察も見回っており、人影も少なく。
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皇居外苑付近地図


(2019年5月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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