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靖國神社(東京都)春 [小さな旅(東京都)]

靖國神社 春
靖國神社は明治2年(1869年)に明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称されて現在に至る。国のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を後世に伝えることを目的に創建された。靖國には戊辰戦争、西南戦争等の国内の戦い、日清、日露戦争から第二次大戦の海外の戦争で亡くなられた軍人ばかりでなく、従軍看護婦や軍需施設の学徒など軍属、文官、民間の方々も同様に祀られている。

境内に入るとすぐに「大村益次郎」の銅像がある。
大村益次郎は兵部大輔(現在の防衛省次官、実務トップ)で靖國建立前の建設地検分等を行なっている。
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靖國の桜、東京の桜開花を決める標本木(ソメイヨシノ)がある。場所は第二鳥居から神門を入って拝殿に向かい右側、能楽堂の前。

能楽堂を背景に標本木の桜を撮影。               (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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拝殿に向かって右奥には「遊就館」がある。明治15年(1882年)に開館、遺品などを収蔵する施設。館名の「遊就」は高潔な人物に交わり学ぶとの意味で、靖國の英霊に学ぶという願いが籠められている。現在は遺品、武具、武器等が展示されており戦争歴史博物館といった感じである。

遊就館入口ホールに展示されている靖国の零戦
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本機は河口湖自動車博物館で復元された零式艦上戦闘機52型である。

靖國神社付近地図


(2010年3月下旬 撮影機材 Nikon D80)
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堀切菖蒲園(東京都)初夏 [小さな旅(東京都)]

堀切菖蒲園 初夏
東京都葛飾区堀切にある堀切菖蒲園、江戸系花菖蒲を中心に約6千株が植えられている。始まりは、室町時代に堀切村の地頭が花菖蒲を取り寄せて栽培を始めたとの説と、江戸時代に百姓が趣味で集めた花菖蒲の栽培を始めたの二説がある。江戸時代には「江戸百景」に数えられ浮世絵にも登場した。

昭和34年(1959年)東京都が菖蒲園を購入し都立堀切菖蒲園として開設。葛飾区に移管され現在に至る。毎年6月には「菖蒲まつり」が開催され多くの観光客を集める。入場は無料。

園内は花菖蒲で満載、幾多の種類がある。            (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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園の中程には中村汀女の歌碑、「花菖蒲かがやく雨の走るなり」。
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花菖蒲は紫系が多い。                     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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堀切菖蒲園付近地図


(2019年6月上旬 撮影機材 Nikon Df )
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芝大門の増上寺(東京都) [小さな旅(東京都)]

芝大門の増上寺
芝大門にある増上寺、山号は三縁山、三縁山広度院増上寺と称する。徳川家菩提寺であり、徳川家霊廟があることで知られる。室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開基されたと云う。安土桃山時代、徳川家康が関東の地に入封した折、徳川家の菩提寺として選ばれた。慶長3年(1598年)に現在の芝の地に移転し、江戸幕府の成立後は寺運は大いに隆盛した。

現在の東京タワーを含む芝公園が増上寺境内であったが、昭和20年(1945年)の空襲により多くの遺構を失った。戦災を逃れた「三解脱門」は元和8年(1622年)建立の三門で、重要文化財、現在は増上寺境内の入口になっている。

「三解脱門」、内部には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されており、時折公開される。
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地名、駅名にもなっている「大門」は増上寺の旧総門である。明治維新の上地令により寺領が奪われ、東京府の所有となっていた。現在の大門は昭和12年(1937年)にコンクリート造りで改築されたもので、平成28年(2016年)に増上寺に返還された。

本堂は「大殿」と呼ばれ、 昭和49年(1974年)の再建である。大殿の扁額。
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戦後再建の鐘楼堂。                      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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鐘を撞く僧侶。
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朝と夕べの鐘の音は、煩悩を浄化し、心を深い安らぎへと導く・・。

増上寺にはたくさんの地蔵がある。
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水子地蔵かなと思っていたが、子供の無事な成長や健康を願って祀られているらしい。一つの場所に多数の地蔵菩薩像を並べた「千躰地蔵」とのこと。

大殿から境内と三解脱門を撮影。
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増上寺付近地図


(2016年4月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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旧古河庭園(東京都)秋 [小さな旅(東京都)]

旧古河庭園 秋
東京都北区西ヶ原にある旧古河(きゅうふるかわ)庭園、武蔵野台地の地形を活かし、丘に洋館、斜面に洋風庭園、そして低地には日本庭園が設えられている。この庭園は、明治の元勲・陸奥宗光の邸宅であったが、次男養子先の古河家の所有となり、戦後は東京都が一般公開、平成18年(2006年)に文化財保護法により国の名勝指定を受けている。

旧古河庭園は薔薇が有名らしく、見頃である秋に訪問してみた。  (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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旧古河庭園洋館。
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現在の洋館は大正6年(1917年)の竣工、英国人ジョサイア・コンドル博士の設計とのこと。旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などの有名どころも博士の設計らしい。

洋館の窓と、薔薇。
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洋館と洋風庭園。
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洋風庭園もジョサイア・コンドル博士の設計とのこと。

庭園の薔薇、洋館を背景に撮影。
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大正12年(1923年)の関東大震災においては約2千人の避難者を収容、昭和14年頃には後に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用された事もあるらしい。

低地には日本庭園が設えられている。池と石灯籠。
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旧古河庭園付近地図


(2016年10月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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薬師池公園(東京都)秋 [小さな旅(東京都)]

薬師池公園 秋
東京都町田市野津田町にある薬師池公園、相模原市に住んでいた頃に、子供を連れてよく散策に出かけた。四季折々の花が咲き、薬師池を中心に風光明媚、池のほとりの茶屋では抹茶もいただけ、梅林ではお弁当を広げる事もできる。

薬師池。                           (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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池に架かる橋は「たいこ橋」と云う。

薬師池は水田の用水池として天正18年(1590年)に開拓が行われた「福王寺溜池」を原型とする。江戸時代には、薬師池が泥砂で埋まり渇水すると、用水のために池を掘り直す普請が行われ、現在に至っている。
薬師池公園としての開園は昭和51年(1976年)。
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秋の風情が水面に映える。                   
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カワセミのシルエット・・。
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薬師池公園案内図町田市HPより)
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薬師池公園付近地図


(2016年11月上旬 撮影機材 Nikon Df )
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