山寺(山形県) [東北地方の旅]
宝珠山立石寺(山寺) 夏
宝珠山立石寺は山形県山形市大字山寺にある天台宗の寺院、通称「山寺」で知られている。本尊は薬師如来。創建は貞観2年(860年)清和天皇の勅命により天台座主第3世円仁(慈覚大師)によって建立された。
山の途上の「五大堂」。駅から立石寺に向かう橋から撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
麓に立石寺本堂である根本中堂がありここから登山する。根本中堂には「不滅の法燈」がある。
「不滅の法燈」は比叡山延暦寺に延暦7年(788年)最澄が本尊の宝前に燈明を掲げて以来、1200年以上消えることなく輝き続けていると伝わる燈火である。現在も燃料の菜種油を絶やさないように僧侶が注ぎ足し続けている。気を抜くと燃料が断たれ火が消えることから「油断」の語源になったと云われている。
立石寺の法燈は比叡山延暦寺から分燈されたものであるが、戦国時代の大永元年(1521年)兵火により一山焼失した時には法燈も消滅した。天文12年(1543年)最上家により寺の再建がなり、再度叡山より分燈された。
元亀2年(1571年)織田信長による比叡山焼き討ちがあり、叡山の法燈が消滅しているが、叡山再興の際には逆に立石寺から分燈がなされたと云う。
登山口すぐに松尾芭蕉像と句碑がある。元禄2年(1689年)に芭蕉が旅の途中で訪れている。
弟子の曾良も一緒、ここで詠んだ句は有名な・・
私が訪れたのは7月下旬、夏なのに蝉は鳴いておらず、ただ閑か・・。
石段を登っていくと「仁王門」に。
「仁王門」をくぐると左には「開山堂」が見える。
百丈岩の上に立つ「開山堂」は慈覚大師の御堂で、崖下にある自然窟に大師が埋葬されていると伝わる。
「開山堂」の奥には五大明王を奉る「五大堂」がある。
「五大堂」は舞台造り、展望台という感じ。山寺の他のお堂が眺望できる。
「胎内堂」は岩の内に。
釈迦ヶ峰に立つ「釈迦堂」。
山寺の町も眼下に。
帰り際、山寺駅のホームから撮影。
「開山堂」「五大堂」「釈迦堂」が確認できる。
山寺付近地図
(2012年7月下旬 撮影機材 Nikon D5100)
宝珠山立石寺は山形県山形市大字山寺にある天台宗の寺院、通称「山寺」で知られている。本尊は薬師如来。創建は貞観2年(860年)清和天皇の勅命により天台座主第3世円仁(慈覚大師)によって建立された。
山の途上の「五大堂」。駅から立石寺に向かう橋から撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
麓に立石寺本堂である根本中堂がありここから登山する。根本中堂には「不滅の法燈」がある。
「不滅の法燈」は比叡山延暦寺に延暦7年(788年)最澄が本尊の宝前に燈明を掲げて以来、1200年以上消えることなく輝き続けていると伝わる燈火である。現在も燃料の菜種油を絶やさないように僧侶が注ぎ足し続けている。気を抜くと燃料が断たれ火が消えることから「油断」の語源になったと云われている。
立石寺の法燈は比叡山延暦寺から分燈されたものであるが、戦国時代の大永元年(1521年)兵火により一山焼失した時には法燈も消滅した。天文12年(1543年)最上家により寺の再建がなり、再度叡山より分燈された。
元亀2年(1571年)織田信長による比叡山焼き討ちがあり、叡山の法燈が消滅しているが、叡山再興の際には逆に立石寺から分燈がなされたと云う。
登山口すぐに松尾芭蕉像と句碑がある。元禄2年(1689年)に芭蕉が旅の途中で訪れている。
弟子の曾良も一緒、ここで詠んだ句は有名な・・
閑さや 巌にしみいる 蝉の声
私が訪れたのは7月下旬、夏なのに蝉は鳴いておらず、ただ閑か・・。
石段を登っていくと「仁王門」に。
「仁王門」をくぐると左には「開山堂」が見える。
百丈岩の上に立つ「開山堂」は慈覚大師の御堂で、崖下にある自然窟に大師が埋葬されていると伝わる。
「開山堂」の奥には五大明王を奉る「五大堂」がある。
「五大堂」は舞台造り、展望台という感じ。山寺の他のお堂が眺望できる。
「胎内堂」は岩の内に。
釈迦ヶ峰に立つ「釈迦堂」。
(c)ike-yanma - 画像素材 PIXTA -
山寺の町も眼下に。
帰り際、山寺駅のホームから撮影。
「開山堂」「五大堂」「釈迦堂」が確認できる。
山寺付近地図
(2012年7月下旬 撮影機材 Nikon D5100)
三春滝桜(福島県)満開 [東北地方の旅]
三春滝桜 満開
三春の滝桜は推定樹齢千年超えの紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)、天然記念物、日本三大桜の一つ。福島県田村郡三春町にある。
平成22年(2010年)、平成23年(2011年)、平成24年(2012年)、平成27年(2015年)と満開の滝桜を見るために訪問した。咲いたら行けばいいんだけど、会社員の悲しさで開花予想を見ながら、3月には宿を手配し、仕事の都合をつけていかねばならない。開花予想は例年を参考だし、天気も思うようにはいかない。結果、平成22年と平成24年は、まだ蕾。平成23年は三分咲き、平成27年にやっと満開に出会った。平成27年(2015年)の訪問記録。
満開ではあったが、天気は曇り、上手くいかないものだ・・。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
滝桜全景。
下から見上げた図・・白黒で。
推定樹齢千年超えといわれる太い幹。
丘の上から滝桜を見渡す。
丘の上には稲荷神社が祀られている。
稲荷神社に参拝。
三春の町に向かう途中で出会った枝垂れ桜。
「芹ヶ沢桜」の石碑があった。
車で行く場所。満開時期は付近の道路が渋滞、前泊して朝一番で見に行くのがよろしいかと。夜のライトアップも素敵らしい(夜はお酒飲んじゃうので、車でいけないから見たことない・・)。
宿は三春で定宿としている、ごはんが美味しい「若松屋旅館」。
三春滝桜付近地図
(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:三春滝桜(福島県)三分咲き
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「若松屋旅館」福島県三春町
三春の滝桜は推定樹齢千年超えの紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)、天然記念物、日本三大桜の一つ。福島県田村郡三春町にある。
平成22年(2010年)、平成23年(2011年)、平成24年(2012年)、平成27年(2015年)と満開の滝桜を見るために訪問した。咲いたら行けばいいんだけど、会社員の悲しさで開花予想を見ながら、3月には宿を手配し、仕事の都合をつけていかねばならない。開花予想は例年を参考だし、天気も思うようにはいかない。結果、平成22年と平成24年は、まだ蕾。平成23年は三分咲き、平成27年にやっと満開に出会った。平成27年(2015年)の訪問記録。
満開ではあったが、天気は曇り、上手くいかないものだ・・。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
滝桜全景。
下から見上げた図・・白黒で。
推定樹齢千年超えといわれる太い幹。
丘の上から滝桜を見渡す。
丘の上には稲荷神社が祀られている。
稲荷神社に参拝。
三春の町に向かう途中で出会った枝垂れ桜。
「芹ヶ沢桜」の石碑があった。
車で行く場所。満開時期は付近の道路が渋滞、前泊して朝一番で見に行くのがよろしいかと。夜のライトアップも素敵らしい(夜はお酒飲んじゃうので、車でいけないから見たことない・・)。
宿は三春で定宿としている、ごはんが美味しい「若松屋旅館」。
三春滝桜付近地図
(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:三春滝桜(福島県)三分咲き
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「若松屋旅館」福島県三春町
福聚寺桜(福島県)三春の紅枝垂れ桜 [東北地方の旅]
福聚寺桜 満開
福聚寺は福島県田村郡三春町にある臨済宗妙心寺派の寺院。戦国時代の三春城主田村家の菩提寺である。この境内にある大きな紅枝垂れ桜が「福聚寺桜」。有名な「三春滝桜」を観た折に、宿の方が福聚寺桜も立派ですよと教えてくれたので行ってみた。
福聚寺の門越しに、大きな紅枝垂れ桜。
天気は上々、青い空に紅枝垂れ桜が映える。
樹齢は約450年との伝らしい。
境内に入ると他の木々も春を謳歌している。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
「吾唯知足」と刻まれた蹲(つくばい)、桜の花びらと共に・・。
(本作品は写真情報誌「フォトライフ四季」vol.112春号の巻頭写真に採用された。)
境内から染井吉野越しに紅枝垂れを撮影。
三春滝桜観光の折、三春町内にある寺なので、宿泊した翌日の朝一番に訪れた。
宿は三春で定宿としている、ごはんが美味しい「若松屋旅館」
福聚寺桜付近地図
(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon Df )
福聚寺は福島県田村郡三春町にある臨済宗妙心寺派の寺院。戦国時代の三春城主田村家の菩提寺である。この境内にある大きな紅枝垂れ桜が「福聚寺桜」。有名な「三春滝桜」を観た折に、宿の方が福聚寺桜も立派ですよと教えてくれたので行ってみた。
福聚寺の門越しに、大きな紅枝垂れ桜。
天気は上々、青い空に紅枝垂れ桜が映える。
樹齢は約450年との伝らしい。
境内に入ると他の木々も春を謳歌している。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
「吾唯知足」と刻まれた蹲(つくばい)、桜の花びらと共に・・。
(本作品は写真情報誌「フォトライフ四季」vol.112春号の巻頭写真に採用された。)
(c)ike-yanma - 画像素材 PIXTA -
境内から染井吉野越しに紅枝垂れを撮影。
三春滝桜観光の折、三春町内にある寺なので、宿泊した翌日の朝一番に訪れた。
宿は三春で定宿としている、ごはんが美味しい「若松屋旅館」
福聚寺桜付近地図
(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon Df )
ねぶた前夜祭にて(青森県) [東北地方の旅]
ねぶた前夜祭にて
「青森ねぶた祭り」は、奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化したもので、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれているが、その起源は定かではないらしい。
令和2年(2020年)残念ながら祭りは中止となったが、平成27年(2015年)青森市に出張の日が「青森ねぶた祭り」の前日にあたり、青森港にて前夜祭が行われているとの情報を得て見物に行った。すでに市内は祭りの準備が進められており、「ねぶた」の通り道には観覧席が設置されていた。
前夜祭ではコンサート等も行われていたが、「ねぶた」はまだ倉庫の中。
倉庫後方の橋柱は「青森ベイブリッジ」、青森港に架かる橋梁である。
倉庫内の「ねぶた」を撮影。
広場には「STAR WARS」の「ねぶた」もあった、エピソード7の公開の年。
「ねぶた」は撮ったけど、明日の「祭りの熱気」を撮ってみたい。が、仕事のため翌朝帰京・・。
青森港付近地図
(2015年8月 撮影機材 Nikon Df )
「青森ねぶた祭り」は、奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化したもので、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれているが、その起源は定かではないらしい。
令和2年(2020年)残念ながら祭りは中止となったが、平成27年(2015年)青森市に出張の日が「青森ねぶた祭り」の前日にあたり、青森港にて前夜祭が行われているとの情報を得て見物に行った。すでに市内は祭りの準備が進められており、「ねぶた」の通り道には観覧席が設置されていた。
前夜祭ではコンサート等も行われていたが、「ねぶた」はまだ倉庫の中。
倉庫後方の橋柱は「青森ベイブリッジ」、青森港に架かる橋梁である。
倉庫内の「ねぶた」を撮影。
広場には「STAR WARS」の「ねぶた」もあった、エピソード7の公開の年。
「ねぶた」は撮ったけど、明日の「祭りの熱気」を撮ってみたい。が、仕事のため翌朝帰京・・。
青森港付近地図
(2015年8月 撮影機材 Nikon Df )
旧有備館および庭園(宮城県) [東北地方の旅]
旧有備館および庭園
「有備館」は陸奥国玉造郡岩出山本郷(現在の宮城県大崎市岩出山)に、仙台藩家臣である岩出山伊達家が下屋敷の敷地内に開設した郷学(学問所)である。開校は嘉永3(1850)年頃らしいが、現存する有備館の建物(御改所)は延宝5(1677)年頃に建てられた可能性が高く、下屋敷の隠居所であったそうな。
御改所と池、庭園は回遊式池泉庭園になっている。
御改所から観る紅葉と、手前は桜の木かな・・。
紅葉のグラデーション、庭園を廻りながら。
茅葺き屋根の御改所。
書院造りで、当主が講義を聞いたり学生に口頭試問を行った場所。
庭園の奥へ。
林間の紅葉。
ここは「旧有備館および庭園」として国の史跡および名勝に指定されている。
旧有備館付近地図
(2017年11月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
「有備館」は陸奥国玉造郡岩出山本郷(現在の宮城県大崎市岩出山)に、仙台藩家臣である岩出山伊達家が下屋敷の敷地内に開設した郷学(学問所)である。開校は嘉永3(1850)年頃らしいが、現存する有備館の建物(御改所)は延宝5(1677)年頃に建てられた可能性が高く、下屋敷の隠居所であったそうな。
御改所と池、庭園は回遊式池泉庭園になっている。
御改所から観る紅葉と、手前は桜の木かな・・。
紅葉のグラデーション、庭園を廻りながら。
茅葺き屋根の御改所。
書院造りで、当主が講義を聞いたり学生に口頭試問を行った場所。
庭園の奥へ。
林間の紅葉。
ここは「旧有備館および庭園」として国の史跡および名勝に指定されている。
旧有備館付近地図
(2017年11月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)