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吉備津彦神社(岡山県)備前国一宮 [山陽地方の旅]

吉備津彦神社
備前国の一宮である「吉備津彦神社」、岡山県岡山市北区一宮にある神社である。祭神は「大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)」第七代孝霊天皇の皇子で、第十代崇神天皇の御代に将軍として山陽道に派遣され、吉備を平定したと云われる。

吉備国の総鎮守は岡山市西部、吉備中山の北西麓に鎮座する「吉備津神社」であった。大化の改新を経て吉備国は備前・備中・備後に分割、これにより「吉備津神社」祭神である「大吉備津彦命」の分霊を備前国一宮「吉備津彦神社」、備後国一宮「吉備津神社(広島県)」で祀ることになった。

「吉備津彦神社」と「吉備津神社(三備一宮)」は備前・備中と国が違うとはいえ、極めて近距離(2㎞程)である。「吉備津彦神社」は夏至の日に正面鳥居から日が差し込んで祭文殿の鏡に当たる造りになっているらしく別名「朝日の宮」と呼ばれるらしい。
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訪れたのは冬だけど、雨天で、日も差していない・・。

吉備津彦神社「随身門」。
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随身門から拝殿を望む。
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拝殿。
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本殿。
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祭神たる「吉備津彦命」には桃太郎伝説の元となる「鬼退治伝説」がある。

鬼退治伝説(温羅退治)、昔々の吉備の国
昔々、平和に暮らしていた吉備の国に、百済の国の王子「温羅」が住み着き悪さをした。この退治に朝廷より吉備津彦命が遣わされ、吉備中山に陣をとり鬼神(温羅)と戦う。双方、弓矢を射りて戦い、吉備津彦命の矢が温羅を射たと云う。

吉備津彦神社付近地図


今回の旅は、JALの「どこかにマイル」で岡山空港を選び、桃太郎伝説の地であるこの地を訪れた。

余談であるが、2022年に訪れた「箸墓古墳」の埋葬者「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) 」は 大吉備津彦命の姉である。

(2023年2月中旬 撮影機材 Nikon Df )

関連ブログ:「吉備津神社」
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戦艦大和と零戦62型(広島県) [山陽地方の旅]

戦艦大和と零戦62型
戦艦大和の1/10模型が置かれている呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)、ここに旧日本海軍の零式艦上戦闘機62型が展示されている。零戦62型(A6M7)は爆戦で250キロ爆弾投下装置を装備し、水平安定板を補強、増槽は2個に分けて左右翼下に移す等の改造が行われている。

九九艦爆の性能が時代遅れとなり、後継機彗星の小型空母運用が困難なため、代用として零戦を急降下爆撃機として改造したという苦肉の策である。

型式について大和ミュージアムでは62型と表記されているが、堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」にはA6M7は63型として記載されている。幾多の雑誌等でもA6M7の62型と63型は混在しており、発動機が栄21型か栄31型かの混乱によるものと思われるが、よくわからない。併記してある本もある。

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部隊表記は第210海軍航空隊、愛知県明治基地。
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戦艦大和の1/10模型、後方から撮影、零式水上観測機(零観)を搭載している。
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中庭のデッキは戦艦大和の左半分を実寸大で表現、「戦艦大和」の大きさが実感できる。
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大和ミュージアムの近くにある海上自衛隊呉資料室「てつのくじら館」。
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実物の潜水艦「あきしお」が展示されており、潜水艦内部の見学という貴重な体験ができる。

零戦手拭と零戦52型丙、手拭は大和ミュージアムのお土産。     零戦52型丙は自作の模型(TAMIYA製)
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大和ミュージアム付近地図


(2007年9月 撮影機材 Nikon D80)

読んだ本(Amazonの該当頁へ)堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」
作った模型(TAMIYAのHPへ)零戦52型丙

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戦艦大和(広島県)大和ミュージアム [山陽地方の旅]

戦艦大和
戦艦大和は大日本帝国海軍が建造した大和型戦艦の一番艦、史上最大の46㎝砲を搭載した超弩級戦艦である。基準排水量64,000t、全長263m、幅38.9m、4基4軸で15万馬力、最大速力27ノット。呉海軍工廠で建造され、昭和16年(1941年)12月に竣工、翌年2月に聯合艦隊旗艦となった。昭和20年(1945年)4月、天一号作戦(菊水作戦)にて沖縄に向かう途中、米軍の攻撃を受け沈没。

呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)には戦艦大和の1/10模型が置かれている.

戦艦大和の1/10模型、零式水上観測機(零観)を搭載している。
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戦艦大和の1/10模型、全景。
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戦艦大和の沈没地点は北緯30度、東経128度で長崎県男女群島南方176㎞、鹿児島県宇治群島西方144㎞、水深345mの地点らしい。戦艦大和が被弾した魚雷数は12本から14本でほとんど左舷に集中との事である。

大和型戦艦の二番艦は「武蔵」で三菱重工長崎造船所で昭和17(1942年)年8月に竣工。戦艦武蔵については吉村昭著「戦艦武蔵」が読み物としても面白く、一読をお勧めする。三番艦「信濃」は横須賀海軍工廠での建造だが、空母に設計変更され昭和19年(1944年)11月に竣工かつ沈没した。

大和ミュージアムには戦艦大和以外の展示も多い。

人間魚雷「回天」
回天は大型魚雷「九三式三型魚雷(酸素魚雷)」を改造し、特攻兵器としたものである。
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脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はない。人が乗れるというのが信じられないくらいの大きさである。閉所恐怖症では絶対ムリ。

零式艦上戦闘機62型
零戦62型(A6M7)は爆戦で250キロ爆弾投下装置を装備し、水平安定板を補強、増槽は2個に分けて左右翼下に移す等の改造が行われている。九九艦爆の性能が時代遅れとなり、後継機彗星の小型空母運用が困難なため、代用として零戦を急降下爆撃機として改造したという機体である。
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部隊表記は第210海軍航空隊、愛知県明治基地。

零戦の型式について大和ミュージアムでは62型と表記されているが、堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」にはA6M7は63型として記載されている。幾多の雑誌等でもA6M7の62型と63型は混在しており、発動機が栄21型か栄31型かの混乱によるものと思われるが、よくわからない。併記してある本もある。

大和ミュージアムの近くには海上自衛隊呉資料室「てつのくじら館」がある。
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実物の潜水艦「あきしお」が展示されており、潜水艦内部の見学という貴重な体験ができる。

零戦手拭と零戦52型丙、手拭は大和ミュージアムのお土産。     零戦52型丙は自作の模型(TAMIYA製)
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大和ミュージアム付近地図


(2014年9月中旬 撮影機材 Nikon D5100)

読んだ本(Amazonの該当頁へ)吉村昭著「戦艦武蔵」堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」
作った模型(TAMIYAのHPへ)零戦52型丙

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