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箸墓古墳(奈良県)卑弥呼の墓 [近畿地方の旅]

箸墓古墳
奈良盆地東南部「纒向古墳群」にある古墳。「箸墓古墳(はしはかこふん)」とも「箸中山古墳(はしなかやまこふん)」とも呼ばれる。奈良県桜井市箸中にあり、前方後円墳の中でも最古級と考えられている古墳らしい。魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓ではないかとの学説もあるらしく、一度見ておこうかなと思い、ぽっくり往生の「吉田寺」で御祈祷を受けたあと訪れてみた。

墳丘全景(右に前方部、左に後円部)。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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池は「箸中大池」、周濠部分は国の史跡に指定されている。

この墳墓は、宮内庁によると「大市墓(おおいちのはか)」として第七代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓とされている。
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何故「箸墓」と云うかは、「日本書紀」崇神天皇10年にある「三輪山伝説」によるらしい。

「三輪山伝説」(かなり端折って意訳、ウィキペディアより)
第七代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫は、大物主神の妻となったが、夜しか来ない夫にその姿をみたいので分明に現れるよう請うた。翌朝、驚かぬよう云われていたが、櫛笥(くしげ)に小蛇(こおろち)がおり、倭迹迹日百襲姫命が驚いて叫ぶと、大物主神は人の形となり「汝、忍びずして吾に羞せつ。吾還りて汝に羞せむ」と三輪山に去ってしまった。倭迹迹日百襲姫命は悔いて座り込み「則ち箸に陰を憧きて薨りましぬ(箸が陰部に突き刺さり絶命した)」、故にその墓を「箸墓」と謂うとある。

「箸中大池」に映る箸墓古墳、後円部。             (Shutterstock my portfolioに掲載)
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墳丘形態や出土遺物の内容から最古級(三世紀中後期)の前方後円墳であるといわれている。築造年代やその大きさから「卑弥呼」の墓であるという学説もあるらしい。もとより発掘調査されることのない宮内庁管轄下の古墳であるので誰の墓かは不明である。畏れ多いが、学術的な古墳の発掘を行えば、作り話でない歴史を知ることができるのではと思うが。

とはいえ「卑弥呼の墓」の呼称は集客になるだろうから、「ひみこの庭」というカフェが隣接していた。
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「ひみこの庭」からみる「箸墓古墳」・・カフェでは珈琲を一服。

箸墓古墳付近地図


何かと話題に上がる「邪馬台国と卑弥呼」、最近も「吉野ヶ里遺跡」で発見された墓が「卑弥呼の墓」ではとの騒ぎがあった。邪馬台国の場所も決着がついていないが、もとより「魏志倭人伝」の記述をもとにした論争、昔々の支那人が「バカにしたあて字」で記述した倭人伝、「ヤマトの日巫女」と素直に読み換えて考えても良いと思うが・・。

(2022年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:「ぽっくり往生の吉田寺」「吉野ヶ里遺跡」
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