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坂東三十三観音二十二番札所(妙福山佐竹寺)「北向観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十二番札所(妙福山佐竹寺)「北向観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十二番札所は妙福山佐竹寺、茨城県常陸太田市にある「北向観音」である。「坂東霊場記」には「花山法皇の御発願、元密上人の草創なり。本尊十一面の像は聖徳太子の手彫、法皇護持の聖躯なり」とあるらしく、創立は寛和元年(985年)との伝。天文12年(1543年)に兵火に焼かれたが、この地の領主である佐竹氏により佐竹城の鬼門除けとして再建された。

山門(仁王門)から本堂を望む。                (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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山門(仁王門)に掲げられている五本骨、日の丸絵文の扇は佐竹氏の陣扇である。
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山門(仁王門)は昭和15年(1940年)の再建。

本堂は天文12年(1543年)建立。
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昭和4年(1929年)に国宝に指定されるが、現在は重要文化財である。

佐竹城の鬼門除けとして再建された佐竹寺、本堂は鬼門(北東)向きに立つ。
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北向観音と言われる所以である。本尊は十一面観世音菩薩。

御朱印
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詠歌「ひとふしに 千代をこめたる 佐竹寺 かすみがくれに 見ゆるむらまつ」

詠歌に「ひとふし」とあるが、この寺で初代佐竹昌義が一節しかない奇竹を発見し、出世の瑞兆を感じて源姓を佐竹に改めたという話があり、庫裡に「一節の竹」が伝存すると云う。

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

佐竹寺付近地図


二十三番札所と合わせて車にて巡礼。

(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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坂東三十三観音二十三番札所(佐白山正福寺)「佐白観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十三番札所(佐白山正福寺)「佐白観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十三番札所は佐白山正福寺、茨城県笠間市にある「佐白観音」である。「佐白山縁起」によれば白雉2年(651年)狩人の粒浦氏が白馬・白鹿・白雉がその傍で護る霊木を持って千手観音像を仏工に刻ませ、安置したのがこの寺の始まりとの伝。鎌倉時代初頭までは関東における有数な霊場であったが、建保2年(1214年)笠間氏により寺領の占領を受け堂宇は破却され、笠間城が築城された。その後笠間氏の帰依を得て観音堂が再建されたが、笠間氏の衰亡とともに寺運も衰退していく。

江戸時代に入り貞享3年(1686年)に寺号が正福寺となるが、明治初年の廃仏毀釈により衰微、昭和5年(1930年)に佐白山麓に寺が移され現在に及んでいる。

佐白山麓、参道の階段から本堂を望む。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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本堂(佐白観音堂)、本尊は十一面千手観世音菩薩。
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御朱印
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詠歌「夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

「正福寺」は寺号を「観世音寺」と称した時期もあったが、平成24年に「正福寺」と改めた。私の持っている「坂東三十三所観音巡礼」には「観世音寺」として記載されている。

正福寺付近地図


最寄駅は水戸線の笠間駅になる。笠間市は笠間稲荷・笠間焼と観光する場所も多く、佐白山には笠間城跡もある。今回は二十二番札所と合わせて車にて巡礼した。

(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon Df、Apple iPhone 5s)
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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坂東三十三観音二十七番札所(飯沼山円福寺)「飯沼観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十七番札所(飯沼山円福寺)「飯沼観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十七番札所は飯沼山円福寺、千葉県銚子市にある「飯沼観音」である。飯沼山観世音縁起によれば、神亀元年(724年)海上に光を放つものがあり、網を投じたところ御丈二尺余の十一面観音像が瑪瑙(めのう)石を脇ばんで出現されたとある。のちに弘法大師が本尊の蓮座を造られ開眼の秘法を修せられたと云う。

鎌倉時代にこの地を治めた海上氏の帰依を受け、寺運は興隆した。江戸時代に入り、天正6年(1578年)には方八間の観音堂が建立され、徳川家康の朱印も賜り諸堂が整備された。しかし、昭和20年(1945年)空襲で諸堂は焼失、観音堂の再建がなったのは昭和46年(1971年)との事である。

飯沼観音(円福寺)本堂、境内。                (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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本堂(観音堂)前には「大仏」がおられる。
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「大仏」は銚子在住の人たちの喜捨で正徳4年(1714年)に鋳造。

十一面観世音菩薩が祀られる本堂(観音堂)。
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境内にある五重塔、平成21年(2009年)の竣工。
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「納経」は本坊での受付となる。
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本坊は本堂(観音堂)境内にはない、戦前は地続きであったらしいが、今は大通りを横切って200mほど進む。

御朱印
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詠歌「このほどは よろずのことを 飯沼に きくもならはぬ 波の音かな」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

円福寺付近地図

地図でも円福寺(圓福寺)が二ヶ所あるので注意、本堂と本坊が離れている。

(2015年5月中旬 撮影機材 Nikon Df、Apple iPhone 5s)
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坂東三十三観音二十八番札所(滑河山龍正院)「滑河観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十八番札所(滑河山龍正院)「滑河観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十八番札所は滑河山龍正院、千葉県成田市にある「滑河観音」である。本尊は十一面観世音菩薩、承和5年(838年)滑河の城主小田宰相将治の発願により、慈覚大師が開基となっている。寺の「縁起」によると、その昔、冷害で大凶作の折に将治が仏天にご加護を願ったところ、「朝日姫」と名乗る少女が現れ「汝の願いはかなうべし」と川辺に姿を消した。あたりを見ると老僧が船を浮かべ、川から一寸二分の観音像を掬い上げ「この淵より湧く乳水をなめよ」と教えた。この乳水により穀物の実りも領民の病も回復したとあり、詠歌はこの由来を謳ったものだと判る。

詠歌「音にきく 滑河寺の 朝日ヶ渕 あみ衣にて すくふなりけり」

滑河山龍正院の「仁王門」から本堂(観音堂)を撮影。      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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滑河山龍正院は、建保4年(1216年)暴風雨で本堂・鐘楼・護摩堂・三重塔などを失っていると云う。

仁王門は室町時代の再建、重要文化財。
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本堂(観音堂)は元禄9年(1696年)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の寄進により再建された。

仁王門から本堂(観音堂)へ。
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本堂(観音堂)の扁額「観世音」。
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本堂(観音堂)より仁王門を望む。
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滑河山龍正院は天台宗の古刹であり、江戸時代には天海大僧正が東叡山寛永寺の末寺との「下知状」を下しているらしい。綱吉の寄進はこれが故かな。

御朱印
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由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

滑河山龍正院付近地図


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坂東三十三観音十六番札所(五徳山水澤寺)「水澤観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音十六番札所(五徳山水澤寺)「水澤観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の十六番札所は五徳山水澤寺、群馬県渋川市伊香保町にある「水澤観音」である。縁起によれば、推古天皇の勅願により高麗来朝の恵灌僧正により開基され、伊香保御前(伊香保姫)御持仏の十一面千手観世音菩薩を安置し建立する寺との事である。

開山当初は御堂の数三十余宇の巨刹であったが、火災により焼失した。現在の御堂は大永年間(室町時代)に仮堂を造り、元禄から天明に至り(江戸時代)改築を加えてきたものらしい。

本堂(観音堂)。                       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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本尊の十一面千手観世音菩薩を祀る。元禄年間に建立、天明7年に改修を終えた。

水澤観音は融通観音として知られ、一切の願を融通し、救いの手を差しのべてくれるとの事。

幾多の煩悩を祈願・・・。
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本堂手前にある六角堂(地蔵堂)。
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六角堂は元禄年間に建立された地蔵尊信仰の建築物、「六道輪廻」の相を表す。六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界)を守る地蔵尊を祀っている。

雨に烟る、鐘楼。
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鐘楼内の鐘は一打100円(御志納金)。
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御朱印
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詠歌「たのみくる 心も清き 水沢の 深き願いを うるぞうれしき」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

五徳山水澤寺付近地図


今回はここ十六番札所「水澤観音」を巡礼して、四万温泉「積善館」に宿泊し、帰路十五番札所「白岩観音」に巡礼した。

(2015年6月中旬 撮影機材 Nikon Df )
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