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坂東三十三観音二十三番札所(佐白山正福寺)「佐白観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十三番札所(佐白山正福寺)「佐白観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十三番札所は佐白山正福寺、茨城県笠間市にある「佐白観音」である。「佐白山縁起」によれば白雉2年(651年)狩人の粒浦氏が白馬・白鹿・白雉がその傍で護る霊木を持って千手観音像を仏工に刻ませ、安置したのがこの寺の始まりとの伝。鎌倉時代初頭までは関東における有数な霊場であったが、建保2年(1214年)笠間氏により寺領の占領を受け堂宇は破却され、笠間城が築城された。その後笠間氏の帰依を得て観音堂が再建されたが、笠間氏の衰亡とともに寺運も衰退していく。

江戸時代に入り貞享3年(1686年)に寺号が正福寺となるが、明治初年の廃仏毀釈により衰微、昭和5年(1930年)に佐白山麓に寺が移され現在に及んでいる。

佐白山麓、参道の階段から本堂を望む。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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本堂(佐白観音堂)、本尊は十一面千手観世音菩薩。
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御朱印
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詠歌「夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

「正福寺」は寺号を「観世音寺」と称した時期もあったが、平成24年に「正福寺」と改めた。私の持っている「坂東三十三所観音巡礼」には「観世音寺」として記載されている。

正福寺付近地図


最寄駅は水戸線の笠間駅になる。笠間市は笠間稲荷・笠間焼と観光する場所も多く、佐白山には笠間城跡もある。今回は二十二番札所と合わせて車にて巡礼した。

(2015年4月中旬 撮影機材 Nikon Df、Apple iPhone 5s)
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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