SSブログ
山陰地方の旅 ブログトップ
- | 次の5件

出雲の国(島根県)出雲大社 [山陰地方の旅]

出雲の国
古代出雲は青銅器、鉄器を産する大きな勢力の「国」であったが、やがて大和政権の支配下になり「国譲り」神話を残したと考えられている。古代出雲は現在の島根県東部から鳥取県の一部までを含んだらしいが、大宝元年(701年)大宝律令により地方行政区分が定められ、「出雲国」は令制国として島根県東部にあたり、国府は松江市に置かれた。

「出雲の国」には一宮が二つある。「出雲大社(出雲市)」と「熊野大社(松江市)」である。
「出雲大社」は「国譲り」神話における、大和政権との交換条件により建立されたとされている。

出雲大社
出雲大社(いずもおおやしろ)、祭神は大国主大神。
創建は神話の伝承によるが、本殿は国宝であり、大社内にある幾多の建造物が重要文化財となっている。拝礼は二拝四拍手一拝、神無月(出雲では神在月)に全国の神々が集まり神議を行う。

大国主大神は、縁結びの神として広く人々に慕われている。この「縁」は男女の縁だけでなく、生きとし生けるものが共に栄えて行くための結びつきであり、目に見えない縁を結んで下さっている。また「だいこくさま」として日本全国で祀られている。

松並木の出雲大社参道。                    (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DSC_0004.jpeg
中央は神様、神職、皇族方の通り道、下々は両端の道を歩く・・。

「出雲大社」は江戸時代まで「杵築大社」と呼ばれていたらしい。明治4年(1871年)に改称して「出雲大社」になった。小泉八雲著「神々の国の首都」に「杵築」という項があるが、内容は「出雲大社」の記述である。

本殿屋根を塀越しに。
DSC_0020.jpeg

塀伝いに本殿を斜め後ろから撮影。
DSC_0014.jpeg
大社造りと呼ばれる日本最古の神社建築様式。国宝。

本殿を真後ろから撮影。
DSC_0013.jpeg
出雲の観光ガイドによると16時以降は本殿の後ろには立ち入り不可となる模様。

神楽殿の大注連縄(おおしめなわ)。 
DSC_0021.jpeg

大注連縄にはお金がいっぱい刺さっている。お金が刺さると縁起が良いという都市伝説のせいらしい。
尚、大注連縄は2018年に新しく奉納され架け替えが行われた。新しい大注連縄はお金が刺さらないように下にネットが張られているとのこと。

「御来光の道(レイライン)」
我が国の北緯35度22分付近には、有名な山岳や神社仏閣が並んでいる。春分と秋分に日の出の陽光が貫くこのレイラインは「御来光の道」と呼ばれ、神秘的なパワーをもたらすと云われる。千葉県の玉前神社から、神奈川県の寒川神社、富士山、滋賀県の竹生島神社、京都府の元伊勢内宮皇大神社、鳥取県の大山などの有名かつ神聖な霊場が並び、「出雲大社」はその西端となる。

出雲大社付近地図


(2014年5月上旬 撮影機材 Nikon D5100)
関連ブログ:「熊野大社」「御来光の道(レイライン)」
読んだ本(Amazonの該当頁へ):小泉八雲著「神々の国の首都」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

出雲の国(島根県)古代出雲歴史博物館 [山陰地方の旅]

出雲の国
古代出雲は青銅器、鉄器を産する大きな勢力の「国」であったが、やがて大和政権の支配下になり「国譲り」神話を残したと考えられている。古代出雲は現在の島根県東部から鳥取県の一部までを含んだらしいが、大宝元年(701年)大宝律令により地方行政区分が定められ、「出雲国」は令制国として島根県東部にあたり、国府は松江市に置かれた。

古代出雲歴史博物館
出雲大社を参拝されたら、すぐ隣にある古代出雲歴史博物館を訪れるとよろしいかと。
巨大神殿であったとされる古の出雲大社の模型、平成12年(2000年)に発見された「宇豆柱」、出雲から出土した大量の青銅器が展示されている。

古の出雲大社の模型。
DSC_0032.jpeg
「国譲り」神話における、大和政権との交換条件により建立された高大な神殿の模型。

出土の銅鐸。たくさん並んでた。写真の銅鐸は国宝。
DSC_0033.jpeg
銅鐸は弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器であるが、用途は定かでない。

卑弥呼の鏡と云われる「景初三年」の銘がある「三角縁神獣鏡」。重要文化財。
DSC_0036.jpeg
景初三年(239年)は卑弥呼が「魏」に鏡を送ったとされる年らしい。

古代出雲歴史博物館付近地図


旧大社駅
出雲大社の最寄駅は一畑電車の出雲神社前、JRだと出雲市駅となりちと遠い。かつてはJR大社線があり「大社駅」が出雲大社門前町に存在した、出雲大社までは結構歩くけど・・。

「大社駅」の駅舎が重要文化財として残っている。
DSC_0046.jpeg
駅舎は明治45年(1912年)開業、大正13年(1924年)に改築された純和風の木造平屋建てである。

駅舎は見学自由、駅舎内は大正浪漫の雰囲気。
DSC_0044.jpeg

JR大社線は平成2年(1990年)廃止された。

旧大社駅付近地図


(2014年5月上旬 撮影機材 Nikon D5100)
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

出雲の国(島根県)熊野大社・神魂神社 [山陰地方の旅]

出雲の国
古代出雲は青銅器、鉄器を産する大きな勢力の「国」であったが、やがて大和政権の支配下になり「国譲り」神話を残したと考えられている。古代出雲は現在の島根県東部から鳥取県の一部までを含んだらしいが、大宝元年(701年)大宝律令により地方行政区分が定められ、「出雲国」は令制国として島根県東部にあたり、国府は松江市に置かれた。

「出雲の国」には一宮が二つある。「出雲大社(出雲市)」と「熊野大社(松江市)」である。
「熊野大社」は松江の南、静かな山間に鎮座している。

熊野大社
創建は神代と云われ、御祭神の名は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」と長い。
「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は伊邪那伎命(いざなぎのみこと)がかわいがった御子、「加夫呂伎熊野大神(くまののおおかみ)」は熊野の地の神聖なる神、「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」は素盞鳴尊(すさのおのみこと)のことであり、素盞鳴尊を讃える祭神名となっている。

熊野大社拝殿。
DSC_0071.jpeg
熊野大社は、火の発祥の神社として「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも呼ばれる。

「出雲國風土記」に熊野大社、日本火出初神社とも称され、古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の国の大社との記述があるらしい。紀伊国の熊野三山も、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説があるとの事だが、よくわからないみたい。

熊野大社入口の苔むす狛犬。
DSC_0076.jpeg

本殿の横にある伊邪那美神社。
IMG_0266.jpeg
伊邪那美命(いざなみのみこと)は素盞鳴尊の母神。

熊野大社付近地図



神魂神社(かもすじんじゃ)
松江には現存する大社造の社殿のうち最も古いといわれる神魂神社がある。何故か「延喜式神名帳」に記載されておらず、国史や「出雲国風土記」にも記載がないそうだが、古そうな神社である。

主祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)とし、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を配祀するとしているが、これは中世末期ごろからのもので、それ以前の祭神は不明らしい。社伝によれば、出雲国造の祖神である天穂日命(あめのほひのみこと)が、この地に天降って創建したものと伝えられる。

神魂神社本殿。                        (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DSC_0086.jpeg
現存する大社造の社殿のうち最も古い、天正11年(1583年)に改築、国宝。

出雲国造家は現在は出雲大社の宮司家であるが、社伝では25代まで当社に奉仕したという。国造家の代替わりのときの「神火相続式」「古伝新嘗祭」は、明治初年までは当社に参向して行われていたらしい。

本殿の隣にはお稲荷さんが、貴布禰稲荷両神社(きふねいなりりょうじんじゃ)。
DSC_0088.jpeg
二間社流造とかで、重要文化財。

神魂神社付近地図



「出雲の国」の二つの一宮(出雲大社、熊野大社)と二つの国宝本殿(出雲大社、神魂神社)を拝観し、松江の宍道湖畔に宿泊。翌早朝の宍道湖、蜆採りの風景。
DSC_0097.jpeg
宿の窓から撮影、宍道湖に浮かぶ島は「嫁ヶ島」。

「出雲の国」を知るなら、小泉八雲著「神々の国の首都」の一読がお勧め。宍道湖の「嫁が島」、松江城や橋の「人柱」、夜毎に水飴を買いに来る亡霊の話などが載っている。

(2014年5月上旬 撮影機材 Nikon D5100)
関連ブログ:出雲大社
読んだ本(Amazonの該当頁へ):小泉八雲著「神々の国の首都」
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行
- | 次の5件 山陰地方の旅 ブログトップ