SSブログ
小さな旅(千葉県) ブログトップ
前の5件 | 次の5件

戸定邸(千葉県)晩秋 [小さな旅(千葉県)]

戸定邸 晩秋
水戸藩最後の藩主・徳川昭武が、明治の時代を迎え建てた住まいが戸定邸である。明治17年(1884年)に座敷開きが行われた。徳川昭武は将軍名代として慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会に派遣されている。最後の将軍・徳川慶喜は昭武の兄である。

「戸定邸」は千葉県松戸市にあり、敷地は「戸定ヶ丘歴史公園」として整備公開されている。公園内には、パリ万博の資料や戸定邸の歴史を語る文書、慶喜の遺品等が展示されている「戸定歴史館」がある。

晩秋・夕暮れの戸定ヶ丘歴史公園、訪れる人も少ない。      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_3408.jpeg

柿の木は落葉し、実だけが点在している。
DFI_3410-e81b4-55175.jpeg

桜の幹に残る「空蝉」、夏は遠い昔のような・・。
DFI_3431-194e8-b7579.jpeg

スカイツリーを遠望。
DFI_3433-51a0f-359dd.jpeg

夕暮れの松戸市街と東京外環自動車道路。
DFI_3436-74022-6ffb3.jpeg

「戸定邸」は国指定重要文化財かつ国指定名勝となっている。
DFI_3414-7d632-9e829.jpeg
夕陽で紅く照らされる戸定邸室内、邸内見学は有料。
DFI_3439-ef917-66d7f.jpeg

戸定邸庭園の「不老門」。
DFI_3441-97dc3-47df4.jpeg

枝垂れ桜と東屋。
DFI_3445-02296-aef8e.jpeg
年が明ければ、すぐに桜の時期がやってくる・・光陰矢の如し。

園内マップ。(松戸市ホームページより)
tojo_MAP-4b501.jpg

戸定邸は葛飾から江戸川を越え、旧水戸街道を少し入った高台に位置し、西側に江戸川や富士山、近年はスカイツリーを望むことができる。

戸定邸アクセス地図。(松戸市ホームページより)
tojoMAP2-2c8a8-da105.png

戸定邸付近地図


(2018年11月下旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

戸定邸(千葉県)邸内 [小さな旅(千葉県)]

戸定邸 邸内
水戸藩最後の藩主・徳川昭武が、明治の時代を迎え建てた住まいが戸定邸である。明治17年(1884年)に座敷開きが行われた。徳川昭武は将軍名代として慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会に派遣されている。最後の将軍・徳川慶喜は昭武の兄である。

部屋数は二十数部屋、大名屋敷の系譜上にあると云われる。
DSC_8272.jpeg
DSC_8273-d5eb5-72fb8.jpeg
入館は有料だが・・まったりできる。

座敷から庭園を撮影。
DSC_8296-13d80-081a3.jpeg
庭園は2015年、「徳川昭武庭園(戸定邸庭園)」として国指定の名勝に指定された。

猫の掌みたいな縁石。
DSC_8277-7906b.jpeg

中程の部屋「八重の間」にある円窓。              (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DSC_8275-5c52b-a2ac5.jpeg
徳川昭武の妻「八重」の居間であったと云う。

「戸定邸」は千葉県松戸市にあり、敷地は「戸定ヶ丘歴史公園」として整備公開されている。公園内には、パリ万博の資料や戸定邸の歴史を語る文書、慶喜の遺品等が展示されている「戸定歴史館」がある。

園内マップ。(松戸市ホームページより)
tojo_MAP-4b501.jpg

戸定邸は葛飾から江戸川を越え、旧水戸街道を少し入った高台に位置し、西側に江戸川や富士山、近年はスカイツリーを望むことができる。
DSC_8284-1853c-350b9.jpeg

戸定邸アクセス地図。(松戸市ホームページより)
tojoMAP2-2c8a8-da105.png

戸定邸付近地図


(2019年10月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

真間山弘法寺・手児奈霊神堂(千葉県) [小さな旅(千葉県)]

真間山弘法寺・手児奈霊神堂
真間山弘法寺(ぐほうじ)は、千葉県市川市真間にある日蓮宗の寺院である。奈良時代の天平9年(737年)に行基菩薩がこの地にて、里の娘「手児奈」の哀話をお聞きになり、その霊を供養するために建立した求法寺(ぐほうじ)が始まりとされる。平安時代の弘仁13年(822年)に弘法大師(空海)が伽藍を構え、寺運を一新して、「弘法寺」と改称したと云われる。

明治21年(1888年)に火災に遭い、全山悉く灰燼に帰したが、「仁王門」と「鐘楼堂」は残った。現在の諸堂は明治23年(1890年)の再建。

真間山弘法寺「仁王門」。                   (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_6462-f287b-caf0e.jpeg
仁王門に掛かる「真間山」の額は空海が記した物と伝えられているらしい。

「仁王門」から「祖師堂」を撮影。
DFI_6461-5cb12.jpeg
「祖師堂」は平成22年(2010年)の建立、宗祖日蓮大聖人を祀る。日蓮宗への改宗は鎌倉時代。

「祖師堂」付近には樹齢400年以上と云われる枝垂れ桜「伏姫桜(ふせひめざくら)」がある。
DFI_6464-451dd-bbe7d.jpeg
撮影時期が秋だから、花は咲いていない・・。

境内の小高いところにある「鐘楼堂」。
DFI_6463-f770b-8d2a8.jpeg
我が家はここから数キロ離れているが、除夜の鐘はここから聞こえる。

境内奥にある「大黒堂」。
DFI_6455-4f213.jpeg
ここに安置されている「太刀大黒天神のご尊像」は、日蓮大聖人が彫刻されたものと云われている。

真間山弘法寺の石段。
DFI_6468-ba556-80715.jpeg
石段を降りて、少し行くと左側に「手児奈霊神堂」がある。

「真間の手児奈」哀話
今から1300年ほど前、真間に「手児奈」という名の美しい娘がいた。多くの男性から求婚されたが「もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまう。」と悩み、争いを避けるため真間の入り江(当時は真間山の下まで海)に身を投げたと云う。

「手児奈霊神堂」、伝説の美女「手児奈」を祀る霊堂である。
DFI_6478-68c47.jpeg
「手児奈霊堂」とも称される。
DFI_6474-94dbc-5101e.jpeg

「手児奈」は多くの人に供養して貰ったので、御礼に真間の地を守護する神となったと云う。守護していただけるのは「無事安産」「孝子受胎」「健児育成」「良縁成就」とのこと。

真間山弘法寺付近地図

手児奈霊神堂付近地図


(2020年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

戸定ヶ丘歴史公園と富士(千葉県) [小さな旅(千葉県)]

戸定ヶ丘歴史公園と富士
昨今は暖かいというより暑い日が続く神無月、朝晩は漸く涼しくなってきたので、秋の気配を感じようと
市内にある「戸定ヶ丘歴史公園」を訪れた。

「戸定ヶ丘歴史公園」は敷地内に水戸藩最後の藩主・徳川昭武が、明治の時代を迎え建てた「戸定邸」を有する。座敷開きは明治17年(1884年)、徳川昭武は将軍名代として慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会に派遣されており、公園内には、パリ万博の資料や戸定邸の歴史を語る文書や徳川慶喜の遺品等が展示されている「戸定歴史館」がある。最後の将軍・徳川慶喜は昭武の兄である。

戸定ヶ丘歴史公園は、富士山を遠望できる下総台地の端にある。  (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_9578.jpeg
晴れた日であったが、C-PLフィルターを付けて撮影、富士山がはっきり見えるように。
DFI_9589.jpeg
眼下の線路は常磐線、松戸駅から発着の車両が行き交う。

装着レンズを望遠に変えて富士山を撮影。
DFI_9592.jpeg
手前のビルが邪魔・・。

「戸定邸」の隣にある茶室「松雲亭」、園内の紅葉は少ない。
DFI_9576.jpeg

園内奥。
DFI_9603.jpeg
石蕗の花に蜂。                        (Shutterstock my portfolioに掲載)
DFI_9598.jpeg
紅葉の柿の木。
DFI_9601.jpeg

数年前同じような時期に訪れた時はイチョウが黄色く染まっていたが、今回はまばらであった。

園内マップ。(松戸市ホームページより)
tojo_MAP-4b501.jpg

戸定邸付近地図


(2023年11月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:戸定邸 晩秋
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

江戸川堤(千葉県) [小さな旅(千葉県)]

江戸川堤(千葉県)
撮影を趣味にしている者にとって、天気の良い日には何かを撮りに出掛けたくなる。さりとて、旅に出るにはお金もかかるし、昨今は何処にいっても人・人・人でいっぱいである。で、近場(自転車でいける程度)の人があまりいない風光明媚な場所を求めて、江戸川堤を散策してみた。

撮影は1月中旬、この日は富士山がよく見えた。          (Adobe Stock my portfolioに掲載)
ZFI_0065.jpeg
トンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの塔は金町浄水場の第2取水塔、昭和16年の竣工と云う。

江戸川は東京都(葛飾)と千葉県(東葛飾)の境となる。我が故郷は昔の下総国(葛飾も東葛飾も下総)で、千葉縣東葛飾郡八柱村大橋(爺さんの戸籍謄本に書かれていた)である。

東京都側の堤から第2取水塔と新葛飾橋(国道6号)、並行してJR常磐線が走る。
ZFI_0069.jpeg
映画「男はつらいよ」で、たまに「寅さん」が歩いている堤防の道と風景。

ドーム型屋根の第3取水塔。
ZFI_0070.jpeg
向かいの河川敷は江戸川ラインゴルフ場松戸コース。

千葉県側からゴルフ場と第3取水塔。
ZFI_0077.jpeg
平日の朝(9時半)だけど、カートを引くゴルファーの姿がある。

「東京スカイツリー」までは遠いが、昔々はあそこまでが下総国。
ZFI_0080.jpeg
スカイツリーのある墨田が武蔵国になったのは江戸時代以降、高さ634(ムサシ)mのこじつけは間違っていないけど少し違和感がある。両国橋は隅田川に架かっているし・・。

千葉県側の浄水場の取水口(矢切取水場)。
ZFI_0083.jpeg
松戸市東部、市川市東部、船橋市西部に給水を行う「栗山浄水場」は昭和33年から稼働、老朽化により隣接箇所に「ちば野菊の里浄水場」を整備、令和5年度中に給水開始予定。

矢切取水場の前で水上スキーに戯れる若者?
ZFI_0087.jpeg
このあと、コケた・・。

北総線江戸川橋梁、成田空港と京成上野駅を結ぶ「スカイライナー」が走る。
ZFI_0090.jpeg
「スカイライナー」は最速の私鉄特急、最高速度(160㎞/h)は新幹線に次ぐらしい。(我が家の最寄駅は通過していくだけなので載ったことはない・・)

江戸川堤付近地図


(2024年1月中旬 撮影機材 Nikon Zfc)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行
前の5件 | 次の5件 小さな旅(千葉県) ブログトップ