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興福寺(奈良県)五重塔と中金堂 [近畿地方の旅]

法相宗大本山 興福寺
奈良県奈良市にある興福寺は、大化元年(645年)中臣鎌足が釈迦三尊像を造立、天智天皇8年(669年)鎌足の病気平癒を祈願し夫人である鏡女王が、この像を安置する「山階寺(やましなでら)」を造営したのが始まりとある。和銅3年(710年)平城遷都の際、藤原不比等が寺を移し「興福寺」と名付けられた。
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「五重塔」
定年を迎えた年に家族で興福寺を訪れて以来、久々の訪問となる。「五重塔」が令和5年7月より大規模な保存修理に入るというので、事前に観ておこうと。
「五重塔」は天平2年(730年)に光明皇后の発願で建立。     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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光明皇后は藤原不比等の娘、現在の塔は応永33年(1426年)頃の再建と云われる、国宝。
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塔は釈尊の舎利(しゃり・遺骨のこと)を納める墓標であり、権威の象徴、塔を建てることは仏法の護持であり、大きな功徳とされているらしい。

「中金堂」
「中金堂」は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等としている。和銅7年(714年)の建立。
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幾度かの再建を繰り返し、享保2年(1717年)の焼失以降は仮堂であった。
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現在の中金堂は、平成30年(2018年)に再建された。

興福寺は摂関家と関係の深い寺であるため、手厚く保護され、平安時代は大和国を領し、鎌倉幕府・室町幕府は守護を置かず、興福寺がその任に当たったと云う。

創建以来、度々兵火・火災に見舞われ、様々なお堂や塔が繰り返し再建されている。

「東金堂」は神亀3年(726年)聖武天皇が建立。
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現在の東金堂は室町時代の応永22年(1415年)に再建された。国宝である。堂内には室町時代に造立された本尊の薬師如来坐像を中心に、日光・月光菩薩立像、文殊菩薩等が安置されている。

「南円堂」は西国三十三所巡礼の第九番札所。
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弘仁4年(813年)藤原冬嗣が父の内麻呂追善のために建立、鎮壇には弘法大師空海が大きく関わったとされる。本尊は不空羂索観音菩薩坐像、現在の堂は寛政元年(1789年)の再建、重要文化財。

「北円堂」は藤原不比等の一周忌にあたる養老5年(721年)元明・元正天皇が長屋王に命じて建てさせた八角円堂。
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現在の北円堂は承元4年(1210年)頃の再建と云われる、国宝。

「三重塔」は康治2年(1143年)に崇徳天皇の中宮の皇嘉門院聖子が建て、治承4年(1180年)に焼失したが、間もなく再建されたと云う。
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興福寺で現存する最も古い建物となるらしい。国宝である。

興福寺境内にある国宝館には有名な「阿修羅像」等、それこそ国宝が多数展示されている。外観は興福寺の食堂(じきどう)を模したものらしく、入場は有料である。国宝「阿修羅像」は見るたびに小さくなっていく感じがする・・。

興福寺は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されている。

興福寺付近地図


宿泊先は興福寺が一望できる「奈良ホテル」
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写真は朝食(茶粥)の席から撮影。

(2023年5月中旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)
関連ブログ:興福寺
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「奈良ホテル」
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