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竹田城址(兵庫県)天守台 [日本の城]

竹田城址
兵庫県朝来市和田山町竹田にある「竹田城址」、標高353.7mの古城山(虎臥山)山頂に築かれた山城の遺構である。この地域は秋の晴れた朝に濃い霧が発生する事が多く、朝霧に囲まれた城址が雲海に浮かぶように見えるところから「天空の城」とも呼ばれるようになったらしい。

立雲峡から「竹田城址」を撮影した後、「竹田城址」を訪れた。北千畳・三の丸を観覧し二の丸へ、二の丸から天守台・南二の丸・南千畳を観る。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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天守台で傘をさしている人は説明員、天守の構造などはさだかでないらしい。

竹田城の本丸と天守台、本丸の標高は351.1mとなっている。
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尾根の最高所に本丸を置き、その正面に天守台を設置している。

天守台の正面、朝来山・立雲峡に対峙、麓には竹田城下町。
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午前中は立雲峡に登り、午後は竹田城址に登る・・爺いの旅行にしてはハードである。

竹田城は、播磨・丹波・但馬の要衝の地に、但馬守護の山名氏によって嘉吉年間(1441〜1443年)に築かれた。築城に関しては不明な点が多いらしいが、戦国時代の天正5年(1577年)羽柴秀吉の但馬攻めにより羽柴秀長が城代となり、これ以降、織豊方の拠点城郭として機能する。しかし、関ヶ原では敗軍側となり、慶長5年(1600年)に幕府の方針により廃城となる。

天守台より、南二の丸・南千畳方向を撮影。
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南千畳と北千畳は標高331mで同じ高さに造られている。

竹田城は天守・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪(北千畳・南千畳・花屋敷)が配置されている。
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(城跡内観覧ルート:竹田城跡公式HPより)

下の段が花屋敷、観覧ルートには入っていない。
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天守台・本丸から下って平殿へ、本丸の石垣を見上げる。
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南二の丸に入ったところで天守台を撮影。
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「古城」の雰囲気・・。

南千畳から天守・本丸・二の丸。
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南千畳を下って観覧終了となる。

「竹田城址」表記について
ずっと竹田「城址」だと思っていたが、「城跡(じょうせき)」の記載がパンフレットやホームページではなされている、これだけりっぱな石垣が残っているので「城址(じょうし)」の方が字義に合うと思うので、やっぱり「竹田城址」にした。「址」は常用漢字にないらしいけど・・。

竹田城址付近地図


(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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