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坂東三十三観音二十一番札所(八溝山日輪寺) [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十一番札所(八溝山日輪寺)
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十一番札所は八溝山日輪寺、茨城県久慈郡大子町にある天台宗の寺院である。寺伝によれば天武天皇の朝(673年)役の行者の創建と云い、大同2年(807年)に弘法大師(空海)が二体の十一面観音像を刻み、日輪・月輪の二寺を建て、観音霊場とされた。仁寿3年(853年)慈覚大師の来賜を縁として天台の法流に属した。

鎌倉時代には源頼朝が寺領を寄せて信仰、時代を経て甍を並べるまでに至ったが、寛永、明治と火災に遭い、堂宇の再建がなされている。現在の本堂は昭和49年(1974年)の再建である。

観音堂、本尊は十一面観世音菩薩。
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観音堂の隣には古いお堂があった、由緒は確認しておらず・・。
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境内にあった石彫りの弁財天。                 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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八溝山は標高1,022m、日輪寺は八合目にある。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、ここまで来られ、「この先は闇ぞ」と言われたので「八溝」という地名になったという伝承があるらしい。山頂には日本武尊の創建と伝わる八溝峰神社がある。

古には「熊笹一面に生茂り、道の綾分ち難し」という坂東札所第一の難所であり、「八溝知らずの偽坂東」と遥拝で済ましてしまう者がいたほどらしいが、現在は登山道が整備されて寺前まで車で行ける。但し、1月〜2月は雪で登山不能閉山と公式サイトに記載あり。

隣接の駐車場から階段を上ると観音堂。
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御朱印
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詠歌「迷ふ身が 今は八溝へ 詣りきて 仏のひかり 山もかがやく」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

八溝山日輪寺付近地図


(2015年9月下旬 撮影機材 Nikon Df )

参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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