SSブログ

坂東三十三観音十七番札所(出流山満願寺)「出流観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音十七番札所(出流山満願寺)「出流観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の十七番札所は出流山満願寺、栃木県栃木市出流町にある真言宗智山派の寺院である。開基は勝道上人、創立は天平神護元年(765年)、奥の院と呼ばれる霊窟にある鍾乳石の容態を十一面観音と崇めたのが始まりと伝わる。弘仁11年(820年)に弘法大師(空海)が参詣し、当山の銘木で千手観世音像を刻み、安置され「千手院」と称えたのが現在の満願寺である。

勝道上人は下野国芳賀郡の生まれ、出流山霊窟にて修行の後、日光山(輪王寺、中禅寺)を開創、日光開山の祖と云われる。

出流山は標高360m、日本屈指の石灰の産地を抜けて山峡に分け入った奥にある。JR栃木駅から市営バスが出ているが、本数が少なくて小一時間かかる、車で行くのが便利かと。名物は出流蕎麦、二合盛りとか五合盛りとかで注文します。

市営バス終点の出流観音から徒歩数分で山門へ。
DSC_0703-0fbad.jpeg
山門(仁王門)は享保20年(1735年)の建立、扁額「出流山」は輪王寺守覚法親王御染筆。

眼力のある仁王像。
DSC_0704-deed3-b92d4.jpeg

室町時代に足利義満により寄進されたお堂は焼失、江戸時代となり明和元年(1764年)に再建されたのが現在の大御堂である。

大御堂、本尊は千手観世音菩薩。                (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DSC_0725-5bde1-5d77c.jpeg

大御堂近影、龍頭の垂木。
DSC_0712-d83f3-214cc.jpeg

江戸時代末期の慶応3年(1867年)には、尊王・倒幕を唱える志士の一団が挙兵し、幕府軍と戦闘を繰り広げた事件が、ここ出流山満願寺で起きている。

大御堂を林間から撮影。
DSC_0719-bad57-e2e2b.jpeg

参道の石灯籠に赤蜻蛉、秋はもうすぐ。
DSC_0720-d0faa-8af05.jpeg

御朱印
IMG_2606-88510-f5753.jpg

詠歌「ふるさとを はるばるここに たちいづる わがゆくすえは いづくなるらん」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

出流山満願寺付近地図


(2015年9月上旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。