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坂東三十三観音二十九番札所(海上山千葉寺) [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十九番札所(海上山千葉寺)
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十九番札所は海上山千葉寺、千葉県千葉市中央区にある真言宗豊山派の寺院である。
縁起によれば和銅2年(709年)僧行基がこの地に来られ、池に開く蓮に阿弥陀如来と観世音を見て、観音像を刻み泰安したことに始まると云う。そして聖武天皇の勅諚により千葉寺と称した。

奈良時代後期には堂宇が建てられていたが、永暦元年(1160年)落雷により諸堂を焼失、鎌倉時代にはこの地の豪族千葉氏の祈願所として栄えたが、千葉氏滅亡と供に衰運した。しかし、江戸時代には将軍家が朱印を寄せ寺格を高めた。

第二次世界大戦の戦災により、文政11年(1828年)に再建された観音堂が焼失、現在の観音堂は昭和51年(1976年)の再建である。

観音堂、本尊は十一面観世音菩薩。               (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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千葉寺境内には和銅2年に僧行基がもたらしたと伝わる公孫樹(イチョウ)がある。
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千葉県指定の天然記念物、乳柱が垂れており、煎じて飲むと母乳がよく出るらしい。

鐘楼の屋根、季節は晩夏。
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山門は天保12年(1841年)の再建。
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山門の獅子像。
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空蝉が夏の終わりを告げている。

御朱印
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詠歌「千葉寺へ 詣る吾が身も たのもしや 岸うつ波に 船ぞうかぶる」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

海上山千葉寺付近地図


(2015年8月下旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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