大阪城空撮 [旅のまにまに]
大阪城空撮
大阪城(大坂城)は豊臣秀吉が全国統一の本拠地を大坂と定め、摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれた城である。天正11年(1583年)から築城が始まり、慶長3年(1598年)に完成。
羽田から伊丹空港に向かうBoeing787の機上、大阪城がよく見えたので撮影。(JAL111便、座席8A、10:32)
豊臣秀吉は慶長3年(1598年)に没しているが、秀吉が築いた大坂城は、元和元年(1615年)大坂夏の陣で豊臣家滅亡と共にすべて焼失。元和6年(1620年)、徳川幕府は大坂城の再建にのり出し、10年の歳月と幕府の威信をかけて再建された大坂城は、全域にわたる大規模な盛土と石垣の積み上げ、堀の掘り下げが行われ、豊臣秀吉が築いた大坂城の遺構はほとんど埋没した。
徳川幕府により築かれた天守は寛文5年(1665年)に落雷で焼失、現在の大阪城天守、昭和6年に構築された復興天守である。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
復興天守は、4層までは徳川時代の白漆喰、5層目は豊臣時代の黒漆喰と、折衷型らしい。
「大坂」と「大阪」
江戸中期までは「大坂」、併用の時期もあり、明治以降は「大阪」が正式表記ということらしい。
本ブログでも適当に使い分けている。
大阪城付近地図
(2022年10月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
大阪城(大坂城)は豊臣秀吉が全国統一の本拠地を大坂と定め、摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれた城である。天正11年(1583年)から築城が始まり、慶長3年(1598年)に完成。
羽田から伊丹空港に向かうBoeing787の機上、大阪城がよく見えたので撮影。(JAL111便、座席8A、10:32)
(c)ikeyama - 画像素材 PIXTA -
豊臣秀吉は慶長3年(1598年)に没しているが、秀吉が築いた大坂城は、元和元年(1615年)大坂夏の陣で豊臣家滅亡と共にすべて焼失。元和6年(1620年)、徳川幕府は大坂城の再建にのり出し、10年の歳月と幕府の威信をかけて再建された大坂城は、全域にわたる大規模な盛土と石垣の積み上げ、堀の掘り下げが行われ、豊臣秀吉が築いた大坂城の遺構はほとんど埋没した。
徳川幕府により築かれた天守は寛文5年(1665年)に落雷で焼失、現在の大阪城天守、昭和6年に構築された復興天守である。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
復興天守は、4層までは徳川時代の白漆喰、5層目は豊臣時代の黒漆喰と、折衷型らしい。
「大坂」と「大阪」
江戸中期までは「大坂」、併用の時期もあり、明治以降は「大阪」が正式表記ということらしい。
本ブログでも適当に使い分けている。
大阪城付近地図
(2022年10月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
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