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坂東三十三観音十九番札所(天開山大谷寺)「大谷観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音十九番札所(天開山大谷寺)「大谷観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の十九番札所は天開山大谷寺、栃木県宇都宮市大谷町にある「大谷観音」である。寺伝によれば、弘仁元年(810年)弘法大師が自ら大谷石に千手観音像を刻まれ、開基となられたという。大谷町は天平時代(729〜749年)には、寺の礎石等にその使用例が見られるという、歴史の古い大谷石の産地である。

大谷石の山そのものを崇める自然崇拝からここの信仰が起きており、お堂も岸壁をくりぬいて建てられている。石の寺である。

大谷観音堂。
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江戸時代には徳川家の庇護を受け、輪王寺(日光)の末寺としての寺格を誇り、今も葵紋の幔幕が本堂の向拝を飾っている。

本坊の庭には弁天池が造られており、大きな百合の花が咲いていた。(Adobe Stock my portfolioに掲載)
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御朱印
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詠歌「名を聞くも めぐみ大谷の 観世音 みちびきたまえ 知るも知らぬも」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

天開山大谷寺付近地図


今回は十八番札所(中禅寺)を巡礼し、中禅寺湖畔に宿泊、帰路ここ十九番札所(大谷寺)に巡礼した。

(2015年7月中旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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