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錦帯橋(山口県) [山陽地方の旅]

岩国の名勝、錦帯橋 初冬
錦帯橋は山口県岩国市にある木造アーチ橋。この地を治めていた岩国藩(吉川氏)により建造された。

吉川氏は慶長6年(1601年)岩国3万石の領主となり、慶長13年(1608年)横山の山頂を要害として城を築き、錦川を天然の外堀として城下町を構築する。だが中下級武士の住居は外堀の外にあったため幅200mの錦川には橋を架ける必要があった。当初から幾度となく橋が架けられたが度々流失し、渡船が運用された時期もあった模様。

このため流れない橋を架けるのが藩の悲願となり研究が進み、延宝元年(1673年)に川中に橋脚を構築しそれをアーチ型に結ぶ橋が架けられた。この橋は翌年の延宝2年(1674年)に洪水により流失したが年内に再建された。その後さらに改良を加えられ、276年の間、流失することはなかった。

しかしこの錦帯橋は、昭和25年(1950年)9月のキジア台風でほば流失してしまう。戦時中の山荒れによる洪水の助長、戦後復興による川砂利の大量採取等が遠因とも考えられた。その後、反対意見もあったが原型での復元が検討され、基礎をコンクリートにし橋脚を高くする等の改良を加え、昭和28年に復元された。

さらに再建から約50年が経過した平成13年(2001年)には、「平成の架替」により木造部分の架け替えが行われ現在に至る。

錦帯橋は世界的にも珍しい木造アーチ橋であり、創建時から現代までの修復記録がほぼ完全に残っている。絵図面は元禄12年(1699年)のものが最古として残っており、「平成の架替」も古図を基に測量も尺貫法で行われ、使用する釘も「たたら鉄の和釘」を使用している。

錦帯橋全景、山上に岩国城天守が遠望できる。          (Adobe Stock my portfolioに掲載)   
IMG_3470.jpeg

元の岩国城は元和元年(1615年)に幕府の一国一城令により築城からわずか7年で廃城になっている。
現在の天守は昭和37年(1962年)建造の復興天守。

錦帯橋付近地図


(2008年12月中旬 撮影機材 Canon IXY L2)
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