銀座(東京都)小景 [徒然に]
銀座 小景
銀座には夜に出向くことが多い。年に数度しか行かないが、よく様変わりする街だなあと思う。たまに、小型のカメラを持ってシャッターを押している。
歌舞伎座夕景、東銀座の駅を降りて。
(2016年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
江戸時代以前には、現在の丸の内から日比谷にかけては「日比谷入江」と呼ばれる海であった。その東側には砂州(さす)が形成されており、現在の銀座はその先端になる。
徳川家康が慶長8年(1603年)江戸幕府を樹立すると、第一回目の天下普請が行われ、日比谷入江の埋め立てが進められたが、現在の銀座は慶長17年(1612年)第二回目の天下普請に整備が行われ、駿府にあった銀座役所が移転し、銀貨の鋳造が行われて「銀座」となる。
明治維新後は、明治5年(1872年)に和田倉門内の兵部省添屋敷から出火し、銀座一円が焼失するという大規模な災害に見舞われた。政府は復興にあたり、銀座を文明開化の象徴的な街にしたいとの思惑があった模様で、ロンドンのリージェント・ストリートに倣って、街路樹やガス燈のある煉瓦街を銀座通り沿いに造る事になる。
銀座四丁目夜景、和光。
(2016年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
夜のショーウィンドウ、和光。
(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
夜の銀座四丁目交差点。
(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
祝祭日の花椿通り、銀座七丁目。
(2016年4月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
銀座四丁目付近地図
銀座には夜に出向くことが多い。年に数度しか行かないが、よく様変わりする街だなあと思う。たまに、小型のカメラを持ってシャッターを押している。
歌舞伎座夕景、東銀座の駅を降りて。
(2016年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
江戸時代以前には、現在の丸の内から日比谷にかけては「日比谷入江」と呼ばれる海であった。その東側には砂州(さす)が形成されており、現在の銀座はその先端になる。
徳川家康が慶長8年(1603年)江戸幕府を樹立すると、第一回目の天下普請が行われ、日比谷入江の埋め立てが進められたが、現在の銀座は慶長17年(1612年)第二回目の天下普請に整備が行われ、駿府にあった銀座役所が移転し、銀貨の鋳造が行われて「銀座」となる。
明治維新後は、明治5年(1872年)に和田倉門内の兵部省添屋敷から出火し、銀座一円が焼失するという大規模な災害に見舞われた。政府は復興にあたり、銀座を文明開化の象徴的な街にしたいとの思惑があった模様で、ロンドンのリージェント・ストリートに倣って、街路樹やガス燈のある煉瓦街を銀座通り沿いに造る事になる。
銀座四丁目夜景、和光。
(2016年2月上旬 撮影機材 Nikon1 J5)
夜のショーウィンドウ、和光。
(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
夜の銀座四丁目交差点。
(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
祝祭日の花椿通り、銀座七丁目。
(2016年4月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
銀座四丁目付近地図
2023-07-26 14:58
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