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坂東三十三観音二十番札所(獨鈷山西明寺)「益子観音」 [坂東三十三観音巡礼]

坂東三十三観音二十番札所(獨鈷山西明寺)「益子観音」
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが坂東三十三観音との事。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音の二十番札所は獨鈷山西明寺、栃木県芳賀郡益子町にある真言宗豊山派の寺である。寺伝によれば、天平9年(737年)僧行基が十一面観音を安置したのが草創で、紀有麻呂によって建立された。その後、度々の兵火により焼失したが、益子氏、宇都宮氏、北条氏の庇護を受け、都度再建される。

益子という氏は「土佐日記」で知られる紀貫之の後代、紀一族が益子に移り住み、西明寺の地に紀貫之を祀ったことから始まったらしい。

西明寺参道、楼門と三重塔を望みながら。
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益子は気候的に温暖な地域と寒冷な地域との境目にあると言われ、獨鋸山にも、暖温帯樹木のシイ(椎)と、冷温帯樹木のブナ(橅)が自生・共存している。

参道には幾多の石仏が安置されており、参拝者を迎えている。
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茅葺きの楼門。
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明応元年(1492年)の建立、重要文化財。

本堂。本尊は十一面観世音菩薩。                (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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元禄4年(1691年)に外陣を増築しているが、室町時代の建立、本尊厨子は重要文化財。

参拝。
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銅板堅葺きの三重塔。
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天文7年(1538年)建立、重要文化財。

御朱印
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詠歌「西明寺 ちかひをここに 尋ぬれば ついのすみかは 西とこそきけ」

由緒、詠歌等は「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)を参考に記載。

獨鈷山西明寺付近地図


(2015年8月中旬 撮影機材 Nikon Df )
参考文献(Amazonの該当頁へ):「坂東三十三所観音巡礼」(坂東札所霊場会編)
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