浜松城(静岡県) [東海地方の旅]
浜松城
静岡県浜松市にある浜松城、15世紀頃に今川氏の支配下にて築かれた「曳馬城」を前身として、元亀元年(1570年)に徳川家康が入城し「浜松城」へと改称した。家康は三河国岡崎を本拠地としていたが、武田信玄の侵攻に備え、遠江国曳馬に本拠地を移したとされる。岡崎城は嫡男・信康が継いだ。
関ヶ原の戦い以降は徳川家譜代大名の居城となり、城主が歴代出世したところから「出世城」とも呼ばれる。明治維新の後は廃城にて払い下げとなるが、昭和25年(1950年)に天守曲輪と本丸の一部が浜松城公園として開設され現在に至る。
現在の天守は鉄筋コンクリート造りの復興天守である。 (Shutterstock my portfolioに掲載)
家康時代には天守はなかった模様で、復興天守は模擬天守である、昭和33年(1958年)に建造。
浜松城公園の広場から天守を望む。
浜松城付近地図
(2013年5月上旬 撮影機材 Nikon D5100)
静岡県浜松市にある浜松城、15世紀頃に今川氏の支配下にて築かれた「曳馬城」を前身として、元亀元年(1570年)に徳川家康が入城し「浜松城」へと改称した。家康は三河国岡崎を本拠地としていたが、武田信玄の侵攻に備え、遠江国曳馬に本拠地を移したとされる。岡崎城は嫡男・信康が継いだ。
関ヶ原の戦い以降は徳川家譜代大名の居城となり、城主が歴代出世したところから「出世城」とも呼ばれる。明治維新の後は廃城にて払い下げとなるが、昭和25年(1950年)に天守曲輪と本丸の一部が浜松城公園として開設され現在に至る。
現在の天守は鉄筋コンクリート造りの復興天守である。 (Shutterstock my portfolioに掲載)
家康時代には天守はなかった模様で、復興天守は模擬天守である、昭和33年(1958年)に建造。
浜松城公園の広場から天守を望む。
(c)ike-yanma - 画像素材 PIXTA -
浜松城付近地図
(2013年5月上旬 撮影機材 Nikon D5100)
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