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江島神社(神奈川県) [小さな旅(神奈川県)]

江島神社(えのしまじんじゃ)
江ノ島は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島であり、古くから湘南の観光名所となっている。欽明天皇13年(552年)に大地が震動し、天女が十五童子を従えて現れ、江ノ島が造られたと云う伝説があり、勅命により神を祀ったのが江島神社の始まりと云う。

祭神は天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた三姉妹の女神、夫々の「宮」に祀られている。
・奥津宮(おくつみや)は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
・中津宮(なかつみや)は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
・辺津宮(へつのみや)は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)

小田急線「片瀬江ノ島駅」から歩いて江ノ島に向かう。      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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逆光に江の島展望塔が聳える。

参道を抜けると「瑞心門(ずいしんもん)」、龍宮城を模した楼門である。
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瑞心門から石段を登ると、辺津宮に着く。辺津宮は田寸津比賣命をお祀りしている。江島神社での祈祷は主にここでご奉仕される。訪問は2017年11月初旬、秋の行楽シーズン、参拝客がいっぱい。
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建永元年(1206年)時の将軍・源実朝が創建。延寶3年(1675年)に再建された後、昭和51年(1976年)の大改修により、現在の社殿が構築された。

江ノ島から港を展望。
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帰りは江ノ電で鎌倉へ、無事カエル。
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江島神社付近地図


(2017年11月上旬 撮影機材 Nikon Df )
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横須賀散策(神奈川県)ヴェルニー公園 [小さな旅(神奈川県)]

横須賀散策(神奈川県)ヴェルニー公園
横須賀港の臨海公園である「ヴェルニー公園」、横須賀市の市立公園で平成13年(2001年)にオープンした公園。米海軍横須賀基地と海上自衛隊横須賀基地に隣接しており、日米の艦船を観ることができる。公園の名称はかつての横須賀造兵廠の建設を指導、日本の近代化に貢献したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーに由来する。

ここはかつての横須賀軍港「逸見波止場」、衛門跡が公園入り口に残る。
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横須賀市汐入町、最寄駅はJR横須賀駅。
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公園内には戦艦陸奥の41センチ主砲が展示されている。      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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戦艦陸奥は大正10年(1921年)に就役、横須賀海軍工廠で建造された長門型戦艦の2番艦であるが、昭和18年(1943年)6月、柱島沖で原因不明の爆発事故を起こし沈没した。戦後に浮揚作業が行われ、展示されている砲は四番砲塔の一門、昭和11年(1936年)横須賀海軍工廠で大改修の際に新たに搭載されたものと云う。

海上自衛隊基地に停泊する砕氷艦「しらせ」、公園内のデッキから撮影。
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防衛省では「砕氷艦」、文部科学省では「南極観測船」、この「しらせ」は二代目であり平成21年(2009年)の就役である。ちなみに南極観測船「しらせ(初代)」は千葉県船橋市の京葉埠頭に繋留・展示されている。

公園の中央には薔薇が植栽されており、この日も手入れが行われていた。
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よこすか近代遺産ミュージアム「ティボディエ邸」内から撮影。

米海軍基地に並ぶ、駆逐艦らしき艦艇。
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右側の船は艦首に「83」と見えるので、「USS Howard(ハワード)DDG-83」ミサイル駆逐艦であろう。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の33番艦、2001年就役、第7艦隊所属。

米海軍基地なのに海上自衛隊の潜水艦が停泊。          (Shutterstock my portfolioに掲載)
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潜水艦は艦体に何も書いてないので艦名が分からない、艦尾の旭日旗で自衛隊艦船と識別。

ヴェルニー公園付近地図


(2022年10月上旬 撮影機材 Nikon Df )

関連ブログ:南極観測船「しらせ(初代)」
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戦艦三笠(神奈川県) [小さな旅(神奈川県)]

戦艦三笠
日本海海戦における連合艦隊旗艦、戦艦「三笠」。世界で唯一現存する前弩級戦艦であり、神奈川県横須賀市の三笠公園に記念館として保存されている。所管は防衛省。

サンケイツアーズ主催「横須賀クルーズ」に参加、朝8時40分に三笠公園に集合、戦艦「三笠」には数度訪れているが、本日はクルーズなので海側から撮影できる。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の気分だけど、浪は穏やかであった・・。

戦艦「三笠」全景。
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戦艦「三笠」は、大日本帝国海軍における敷島型戦艦の四番艦。イギリスのヴィッカース社で建造され、スエズ運河経由で日本へ、明治35年(1902年)の竣工である。船籍港は京都府の舞鶴港であり、命名は奈良県の三笠山にちなむ。

日露戦争において連合艦隊の旗艦であり、日本海海戦にて活躍する。
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連合艦隊司令長官「東郷平八郎」像と戦艦「三笠」。

日本海海戦は、日露戦争中の明治38年(1905年)5月27日から28日にかけて、大日本帝国海軍の連合艦隊とロシア海軍のバルチック艦隊で行われた艦隊決戦であり、連合艦隊は海戦史上稀に見る勝利を収め、ロシアを講和交渉の席に着かせることになる。

日本海海戦では東郷長官が「三笠」のマストに「Z旗」を掲揚、「皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ、各員一層奮勵努力セヨ」の意を持たせた。小説「坂の上の雲(司馬遼太郎著)」を読むか、映画「日本海大海戦(三船敏郎主演)」を観てから「三笠」を訪れると、また感慨も一入である。NHKのドラマ「坂の上の雲」もよかった。

旭日旗と「みかさ」、艦尾から撮影。
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現在「三笠」は防衛省所管のため「旭日旗」は「自衛艦旗」となるが、戦前は「軍艦旗」であり、日本軍の象徴である。

「菊の御紋」と日章旗、艦首から撮影。
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大日本帝国海軍では戦艦・航空母艦・巡洋艦・潜水母艦・敷設艦・砲艦・水上機母艦等の規模や格式のある艦艇を「軍艦」とし、艦首に「菊の御紋」をつけた。

「三笠」主砲、40口径30.5㎝連装。
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「三笠」は排水量15,140t、全長131.7m、最大幅23.2m、機関15,000馬力、速力18kt、乗員860名、兵装は主砲 40口径30.5㎝連装砲2基4門、副砲40口径15.2㎝単装砲14門。初期の戦艦である「前弩級戦艦(Pre-dreadnought battleship)」に該当する。

「三笠」側面、後部主砲は撤去されている。
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「三笠」は1923年ワシントン軍縮条約により除籍され、横須賀で記念艦として保存されることになる。

第二次世界大戦後は、日露戦争の敗北国ロシアの後継国であるソ連から解体要求があったらしいが、米国の尽力もありこれを逃れた。但し、敗戦後の混乱の中で日本人による窃盗により、切断可能な金属や甲板のチークは盗まれ、「三笠」は荒廃していったと云う。

「三笠」は世界で唯一現存する前弩級戦艦であるが、前述の如く本来の状態で残る部分は少なく、砲塔や煙突、マストなどは複製され、主砲は鉄製で砲塔と一体化するなど大きく修復され、現在に至る。

                               (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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戦艦「三笠」付近地図


(2018年6月上旬 撮影機材 Nikon Df )

読んだ本(Amazonの該当頁へ)「坂の上の雲」司馬遼太郎著
観た映画(Amazonの該当頁へ)「日本海大海戦(三船敏郎主演)」
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鶴岡八幡宮(神奈川県)大銀杏 [小さな旅(神奈川県)]

鶴岡八幡宮 大銀杏
鎌倉の八幡さま「鶴岡八幡宮」に久々に参拝した。小町通りにある「イワタコーヒ店」のホットケーキを食べたいと妻が言ったのがきっかけである。ホットケーキは一昨年も食べにきているが、その時は参拝していない。久々に新しいカメラを購入したので、初撮りも兼ねての参拝とあいなった。
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参道から本宮と舞殿。

鎌倉の鶴岡八幡宮は康平6年(1063年)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりとされる。その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝が、治承4年(1180年)鎌倉に入り、由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷した。鎌倉幕府の宗社にふさわしい現在の姿に整えられたのは、建久2年(1191年)と云う。

鶴岡八幡宮石段の大銀杏
平成22年(2010年)3月10日未明、樹齢1000年といわれ、八幡宮の長い歴史を見つめてきた大銀杏が、雪混じりの強風によって倒伏した。現在、石段脇には残った根からでた若木が育っている。
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鶴岡八幡宮には幾度となく参拝しているが、倒れる前は珍しくもない大銀杏を撮影した写真は少ない。

倒伏翌年に撮影した写真。大銀杏のあった場所は若木保護のためか囲われていた。
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(2011年5月撮影、Nikon D80)

倒伏した大銀杏の幹は切断され移植された。元の場所は囲いが外され、若木が育ち始めている。
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(2016年1月撮影、Nikon Df )

在りし日の「大銀杏」(2008年6月撮影、Nikon D80)
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建保7年(1219年)1月右大臣拝賀式当日、昨夜来の雪で真っ白に化粧した鶴岡八幡宮石段にて、この大銀杏に隠れていた公暁により、鎌倉幕府三代将軍である源実朝が暗殺された。公暁は二代将軍源頼家の子である。これにより、源氏の将軍は三代で滅びる。

現在の本宮は、文政11年(1828年)、江戸幕府十一代将軍徳川家斉の造営による。
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八幡宮は、応神天皇、神功皇后、比売神(ひめがみ)を祭神とする神社であり、大分県の宇佐神宮を総本社とする。

静御前
本宮に向かう石段下には舞殿があるが、この場所には当初、鶴岡八幡宮の下宮である若宮の大回廊があった。文治2年(1186年)頼朝の命により、この若宮の大回廊で、義経の愛妾である静御前が舞を奉納した。
                         (石段上から舞殿を撮影、舞殿越しに参道の鳥居が望める。)
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静御前は白拍子で、舞の名手、雪深い吉野山に義経と行き別れ、やがて捕われ、鎌倉へ送られてきた。八幡宮の神前に舞の奉納を命じられた静は、頼朝が期待していた関東の繁栄を寿ぐ祝儀舞に反して、義経との別れの曲を舞う。

 吉野山 峰の白雪 踏みわけて 入りにし人の あとぞ恋しき
 静や静 しずのおだ巻き くり返し 昔を今に なすよしもがな

頼朝は激怒するが、妻の政子が執り成して助命する。この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月に静は男子を産んだ。静は泣き叫んで離さなかったが、取り上げられ、赤子は由比ヶ浜に沈められた。

若宮の大回廊は建久2年(1191年)に焼失し、舞殿は建久4年(1193年)その場所に造営された。現在の舞殿は昭和8年(1933年)の再建である。

本宮での参拝を終え、若宮方向へ下り帰途へ。途中の柳原神池にかかる橋にて。
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外人観光客が橋と紅葉の撮影に屯していたので、つられて撮影。  (Shutterstock my portfolioに掲載)

境内にある白旗神社。
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源頼朝、源実朝を祭神とする。社名は源氏の旗である白旗に因む。

源平池と鎮座する旗上弁財天。
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弁財天は昭和55年(1980年)に文政年間の古図を元として復元されたらしい。

鶴岡八幡宮付近地図


(2023年12月中旬 撮影機材 Nikon Zfc)

関連ブログ:宇佐神宮鶴岡八幡宮
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