SSブログ

箸墓古墳(奈良県)卑弥呼の墓 [遺跡・古墳]

箸墓古墳
奈良盆地東南部「纒向古墳群」にある古墳。「箸墓古墳(はしはかこふん)」とも「箸中山古墳(はしなかやまこふん)」とも呼ばれる。奈良県桜井市箸中にあり、前方後円墳の中でも最古級と考えられている古墳らしい。魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓ではないかとの学説もあるらしく、一度見ておこうかなと思い、ぽっくり往生の「吉田寺」で御祈祷を受けたあと訪れてみた。

墳丘全景(右に前方部、左に後円部)。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_7763.jpeg
池は「箸中大池」、周濠部分は国の史跡に指定されている。

この墳墓は、宮内庁によると「大市墓(おおいちのはか)」として第七代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓とされている。
DFI_7767.jpeg
何故「箸墓」と云うかは、「日本書紀」崇神天皇10年にある「三輪山伝説」によるらしい。

「三輪山伝説」(かなり端折って意訳、ウィキペディアより)
第七代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫は、大物主神の妻となったが、夜しか来ない夫にその姿をみたいので分明に現れるよう請うた。翌朝、驚かぬよう云われていたが、櫛笥(くしげ)に小蛇(こおろち)がおり、倭迹迹日百襲姫命が驚いて叫ぶと、大物主神は人の形となり「汝、忍びずして吾に羞せつ。吾還りて汝に羞せむ」と三輪山に去ってしまった。倭迹迹日百襲姫命は悔いて座り込み「則ち箸に陰を憧きて薨りましぬ(箸が陰部に突き刺さり絶命した)」、故にその墓を「箸墓」と謂うとある。

「箸中大池」に映る箸墓古墳、後円部。             (Shutterstock my portfolioに掲載)
DFI_7770.jpeg

墳丘形態や出土遺物の内容から最古級(三世紀中後期)の前方後円墳であるといわれている。築造年代やその大きさから「卑弥呼」の墓であるという学説もあるらしい。もとより発掘調査されることのない宮内庁管轄下の古墳であるので誰の墓かは不明である。畏れ多いが、学術的な古墳の発掘を行えば、作り話でない歴史を知ることができるのではと思うが。

とはいえ「卑弥呼の墓」の呼称は集客になるだろうから、「ひみこの庭」というカフェが隣接していた。
DFI_7759.jpeg
「ひみこの庭」からみる「箸墓古墳」・・カフェでは珈琲を一服。

箸墓古墳付近地図


何かと話題に上がる「邪馬台国と卑弥呼」、最近も「吉野ヶ里遺跡」で発見された墓が「卑弥呼の墓」ではとの騒ぎがあった。邪馬台国の場所も決着がついていないが、もとより「魏志倭人伝」の記述をもとにした論争、昔々の支那人が「バカにしたあて字」で記述した倭人伝、「ヤマトの日巫女」と素直に読み換えて考えても良いと思うが・・。

(2022年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )

関連ブログ:ぽっくり往生の「吉田寺」吉野ヶ里遺跡
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

仁徳天皇陵(大仙陵古墳) [遺跡・古墳]

仁徳天皇陵(大仙陵古墳)
「仁徳天皇陵」は日本最大の古墳にして、世界最大級の墳墓と云われる前方後円墳。築造時期は5世紀前半から中頃とみられており、宮内庁により仁徳天皇の陵墓と治定されている。
DFI_7791.jpeg
天気は雨降り、観光客は我々だけ、説明員が木の影で待機・・。

宮内庁により百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)として第十六代仁徳天皇の陵墓とされているが、実際の被葬者は明らかでない。被葬者が誰かの論争もあり、昭和51年(1976年)に学術的な遺跡の命名法に則り「大仙陵古墳」の呼称が始まったと云う。

「古事記」では、仁徳天皇は83歳で崩御、毛受之耳原(もずのみみはら)に陵墓があるとされ、「日本書紀」には、仁徳天皇は即位87年(110歳)に崩御、百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬られたとあるらしい。

立ち入りはここまで、「域内に立ち入るな」と宮内庁の看板、ここで、拝礼。
DFI_7792.jpeg
DFI_7795.jpeg

「仁徳天皇陵(大仙陵古墳)」は大阪府堺市にあり、世界遺産となった「百舌鳥・古市古墳群」の構成古墳の一つである。

仁徳天皇陵(大仙陵古墳)付近地図


堺市博物館での映像・・
DFI_7800.jpeg

(2022年10月中旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

縄文時代の土偶と土器(東京国立博物館にて) [遺跡・古墳]

縄文時代の土偶と土器(東京国立博物館にて)
縄文時代の土偶や土器など、若い頃はさして興味を持たなかったが、青森県の三内丸山遺跡を訪れて以来、興味を持つようになった。東京国立博物館には数多くの縄文時代の土偶や土器が展示されている。面白そうなものを撮影してきた。

遮光器土偶(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)重要文化財
D56_0882-3d315.jpeg
撮影角度を変えるとムッとした表情に・・。
D56_0883-b6f65.jpeg
縄文土偶を代表する(と個人的には思われる)亀ヶ岡遺跡出土の「遮光器土偶」、明治19年(1886年)出土であるが、発掘時の詳細資料がないため国宝ではなく重要文化財となっている。映画「ドラえもん のび太の日本誕生」(1989年公開)にもギガゾンビの手下として出てくるので、孫が反応する唯一の土偶。知名度からしても「国宝」でいいと思うけど・・。

旅の途中に、JR五能線「木造駅」ホームにて。
DSC_0031-84f33-e9699.jpeg
(2010年9月上旬撮影 Nikon D80)

遮光器土偶(宮城県大崎市田尻蕪栗字恵比須田出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)重要文化財
D56_0871-17dab.jpeg

遮光器土偶は主に東北地方から出土され、模倣したと思われる土偶は北海道南部から関東・中部地方まで出土があると云う。

土偶(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)
D56_0884-c9a0d-156b4.jpeg

土面(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)縄文晩期(紀元前1000〜前400年)重要文化財
D56_0881-4856c-550ba.jpeg

縄文晩期(紀元前1000〜前400年)の土器
D56_0895-fb60f-bfa63.jpeg
[6]注口土器(茨城県利根町立木貝塚出土)-[7]異形台付土器(千葉県印西市天神台出土)-[8]香炉型土器(千葉県銚子市余山貝塚出土)

異形片口土器(青森県七戸町長久保出土)縄文後期(紀元前2000〜前1000年)
D56_0893-94554-07c20.jpeg

何に使われていたのだろうか、凝った形の土器が多い。お洒落な器は、やはり酒器であろうか、酒との相性がよさそうである。

火焔型土器(伝新潟県長岡市馬高出土)縄文中期       (2021年6月下旬撮影 Nikon D5600)
D56_0185-a9d41.jpeg
火焔型土器は昭和11年(1936年)に長岡市馬高で発掘されたのが初め、燃え上がる炎を思わせるところから「火焔型」と称されたと云う。出土は新潟県域の信濃川中流域に集中しているが、東日本の一部地域でも出土する。

東京国立博物館「考古展示室」案内ポスター。
D56_0918-b2e60-ba74d.jpeg

東京国立博物館付近地図


(2022年2月上旬 撮影機材 Nikon D5600)

関連ブログ:三内丸山遺跡
観た映画(Amazonの該当頁へ)「ドラえもん のび太の日本誕生」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

弥生時代の銅鐸や土器(東京国立博物館にて) [遺跡・古墳]

弥生時代の銅鐸や土器(東京国立博物館にて)
弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県)、古墳時代の遺跡である保渡田古墳群(群馬県)を訪ねて歩くうちに、それまでさして興味を持たなかった銅鐸や埴輪に興味を抱くようになった。東京国立博物館には弥生時代の銅鐸などが展示されているので、面白そうなものを撮影してきた。

扁平鈕式銅鐸、伝香川県出土、弥生時代(中期)・紀元前2〜1世紀、国宝。
D56_0891-80400.jpeg
銅鐸の「鐸」は柄付きの楽器を云うらしく、吊るして使用される楽器は「鐘」と云う。日本では古くから「銅鐸」と呼ばれた(続日本紀)が、用途は定かではなく、吊るして使用された形跡を持つものもあると云う。弥生時代後半の紀元前2世紀から古墳時代の直前まで造られた模様である。

弥生時代の土器、茨城県筑西市 女方遺跡出土、弥生時代(中期)・紀元前2〜1世紀。
D56_0899-30987.jpeg
[1]と[2]は鉢型土器、[3]壺型土器、[4]瓢型土器

土偶形容器、長野県上田市腰越出土、弥生時代(前期)・紀元前4〜3世紀。
D56_0897-70077-87c61.jpeg
土偶型容器は人の形を模した容器で、頭部が開いている。その中から小児骨が出土した例もあることから、東日本で流行した再葬墓(さいそうぼ)に係るものと考えられている。

東京国立博物館付近地図


(2022年2月上旬 撮影機材 Nikon D5600)

関連ブログ:吉野ヶ里遺跡保渡田古墳群
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

古墳時代の埴輪と大刀(東京国立博物館にて) [遺跡・古墳]

古墳時代の埴輪と大刀(東京国立博物館にて)
弥生時代の遺跡である「吉野ヶ里遺跡(佐賀県)」、古墳時代の遺跡である「保渡田古墳群(群馬県)」を訪ねて歩くうちに、それまでさして興味を持たなかった銅鐸や埴輪に興味を抱くようになった。東京国立博物館には古墳時代の埴輪などが展示されているので、面白そうなものを撮影してきた。

埴輪「盛装女子」群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土、古墳時代・6世紀、重要文化財。
D56_0867-c9553.jpeg
スカート状の裳、左前合わせの上着、髪は島田髷、玉類の耳飾り、首飾り、腕飾りで全身を装う。

埴輪「船」宮崎県西都市 西都原古墳群出土、古墳時代・5世紀。
D56_0905-9a237-dce6c.jpeg
外洋を航海するための大型の準構造船がモデルとみられると書いてあった。

埴輪「両手を挙げる女子」茨城県茨城町駒場字伊勢ノ台出土、古墳時代・6世紀。
D56_0914-106b9-a8764.jpeg
女子学生的な雰囲気のする埴輪・・。

埴輪「踊る人々」埼玉県熊谷市野原古墳出土、古墳時代・6世紀。(2022年1月中旬撮影 Nikon D5600)
D56_0744-246c3.jpeg
近年では踊っているのではなく、馬の手綱を引く馬子を表しているという説が有力らしい。

埴輪「猿」伝茨城県行方市大日塚古墳出土、古墳時代・6世紀、重要文化財。
D56_0183-74b99.jpeg
(2022年6月下旬撮影 Nikon D5600)

金錯銘花形飾環頭大刀、奈良県天理市東大寺山古墳出土、古墳時代・4世紀、国宝
D56_0903-15299-b80d0.jpeg
日本最古の出土銘文刀剣、刀身は中国製で2世紀、環頭部は日本製、倭国大乱があった頃と云われる。

銀象嵌銘大刀、熊本県玉名郡和水町 江田船山古墳出土、古墳時代5〜6世紀。(2024年12月撮影 Nikon1 J5)
DSC_1489.jpeg
DSC_1487.jpeg
まんがチックな魚と鳥、反対側は馬の銀象嵌である、国宝。

「大刀」と「太刀」は使い分けがある。「大刀」は古墳時代から奈良・平安時代にかけての直刀、平安後期以降の反りのある刀は「太刀」と表記するらしい。

石人、福岡県八女市 岩戸山古墳出土、古墳時代・6世紀、重要文化財。
D56_0912-02c3e-71061.jpeg
石人・石馬は九州北部の古墳の墳丘に立てられた石造の像、出土した岩戸山古墳は被葬者が筑紫君磐井と考えられており、古事記や日本書紀に反乱伝承(磐井の乱:継体天皇22年(528年))が記されていると云う。

東京国立博物館付近地図


(2022年2月上旬 撮影機材 Nikon D5600)

関連ブログ:「吉野ヶ里遺跡」「保渡田古墳群」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー