黒部ダム(富山県)放水 [北陸地方の旅]
黒部ダム 夏
北アルプスの黒部渓谷、黒部川上流に関西電力が建設したアーチ式コンクリートダム。水力発電専用ダムで、ダム右岸の取水口から導水路(トンネル)に水を流し、落差は545m、約10㎞下流の黒部川第四発電所(黒四)で発電する。この発電所の名称から「黒四ダム(くろよんダム)」とも呼ばれる。
昭和31年(1956年)着工、171人の殉職者と7年の歳月をかけて、昭和38年(1963年)に完成した。
黒部ダム放水口、ダム展望台に登る途中で撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
ダム展望台から黒部ダム全景を眺める。
貯水量2億トン、堤高186m、堤頂長492m、我々の世代にとってこのダムは「黒部の太陽」である。
黒部渓谷はフォッサマグナと呼ばれる中央地溝帯にあり、この地溝帯は北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当するらしく、大きな断層や破砕帯を内蔵している。黒四建設で最大の難工事と言われたのが、この破砕帯にぶつかったトンネル掘削である。崩壊と大出水を繰り返し、新しい機械力の投入や工法を工夫し、艱難辛苦の末、漸く突破できた。この破砕帯との戦いを中心に据えた映画が、石原裕次郎と三船敏郎共演の「黒部の太陽」である。昭和の男の熱さが伝わってくる映画だ。
この映画の回想シーンで出てくる話が戦時中に行われた黒部川第三発電所の工事である。高熱の岩盤掘削工事で、地熱でダイナマイトが自然発火する事故が起きている。話は吉村昭著「高熱隧道」に詳しいので一読をお勧めする。尚、この工事の犠牲者は300人余りで黒四工事より多い。
ダム展望台からダム放水を撮影。
夏とはいえ山には雪が残っている。
湖畔には殉職者の慰霊碑がある。
・・合掌。
帰りは長野県側に、「黒部ダム駅」から関電トンネル電気バスで「扇沢駅」に向かう。
途中に「破砕帯」を通過、いまでも水が出ている、映画ではラスト近くに三船敏郎がバスを下車してここを歩く・・残念ながら停留所は無いし、降りられないみたいだ。
黒部ダム付近地図
(2012年7月中旬 撮影機材 FUJIFILM FinePix F770EXR)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):「高熱隧道」吉村昭著
観た映画(Amazonの該当頁へ):「黒部の太陽」
北アルプスの黒部渓谷、黒部川上流に関西電力が建設したアーチ式コンクリートダム。水力発電専用ダムで、ダム右岸の取水口から導水路(トンネル)に水を流し、落差は545m、約10㎞下流の黒部川第四発電所(黒四)で発電する。この発電所の名称から「黒四ダム(くろよんダム)」とも呼ばれる。
昭和31年(1956年)着工、171人の殉職者と7年の歳月をかけて、昭和38年(1963年)に完成した。
黒部ダム放水口、ダム展望台に登る途中で撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
ダム展望台から黒部ダム全景を眺める。
(c)ike-yanma - 画像素材 PIXTA -
貯水量2億トン、堤高186m、堤頂長492m、我々の世代にとってこのダムは「黒部の太陽」である。
黒部渓谷はフォッサマグナと呼ばれる中央地溝帯にあり、この地溝帯は北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当するらしく、大きな断層や破砕帯を内蔵している。黒四建設で最大の難工事と言われたのが、この破砕帯にぶつかったトンネル掘削である。崩壊と大出水を繰り返し、新しい機械力の投入や工法を工夫し、艱難辛苦の末、漸く突破できた。この破砕帯との戦いを中心に据えた映画が、石原裕次郎と三船敏郎共演の「黒部の太陽」である。昭和の男の熱さが伝わってくる映画だ。
この映画の回想シーンで出てくる話が戦時中に行われた黒部川第三発電所の工事である。高熱の岩盤掘削工事で、地熱でダイナマイトが自然発火する事故が起きている。話は吉村昭著「高熱隧道」に詳しいので一読をお勧めする。尚、この工事の犠牲者は300人余りで黒四工事より多い。
ダム展望台からダム放水を撮影。
夏とはいえ山には雪が残っている。
湖畔には殉職者の慰霊碑がある。
・・合掌。
帰りは長野県側に、「黒部ダム駅」から関電トンネル電気バスで「扇沢駅」に向かう。
途中に「破砕帯」を通過、いまでも水が出ている、映画ではラスト近くに三船敏郎がバスを下車してここを歩く・・残念ながら停留所は無いし、降りられないみたいだ。
黒部ダム付近地図
(2012年7月中旬 撮影機材 FUJIFILM FinePix F770EXR)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):「高熱隧道」吉村昭著
観た映画(Amazonの該当頁へ):「黒部の太陽」
兼六園(石川県)晩秋 [北陸地方の旅]
兼六園 晩秋の頃
金沢城に隣接する特別名勝「兼六園」。加賀百万石の歴代藩主により形づくられ、江戸時代の代表的な大名庭園として日本三名園の一つに数えられている。一般公開は明治7年(1874年)からである。
兼六園の代表的な図柄は「池を背にした灯籠」。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
池の名は「霞が池」、灯籠は「ことじ灯籠」という。
霞が池に面して立つ黒松、「唐崎松」と云うらしい。
琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたものという。
灯籠から遊歩道を進むと石橋の「雁行橋」がある。
並べられた石が、雁が飛んでいくように見えるところから、この名がついたらしい。
石が亀の形なので「亀甲橋」とも、この橋を渡ると長生きするらしいが、今は保護のため通行禁止。
小川に沿った遊歩道。
「兼六」の語源は宋の詩人・李格非が洛陽の名園・湖園を謳った詩に由来するという。
洛人云、園圃之勝、不能相兼者六
務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望
兼此六者、惟湖園而已
(洛人の云ふ、園圃の勝、相ひ兼ねるあたはざるは六
宏大を務むるは幽邃少なし、人力勝れるは蒼古少なし、水泉多きは眺望艱し
この六を兼ねるは、ただ湖園のみ)
園内「瓢池」にある「兼六園三芳庵」は休憩と食事ができる。
治部煮、加賀料理をいただきました。
兼六園の桂坂口を出ると金沢城の石川門である。
写真は石川櫓。
兼六園付近地図
(2017年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
金沢城に隣接する特別名勝「兼六園」。加賀百万石の歴代藩主により形づくられ、江戸時代の代表的な大名庭園として日本三名園の一つに数えられている。一般公開は明治7年(1874年)からである。
兼六園の代表的な図柄は「池を背にした灯籠」。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
池の名は「霞が池」、灯籠は「ことじ灯籠」という。
霞が池に面して立つ黒松、「唐崎松」と云うらしい。
琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたものという。
灯籠から遊歩道を進むと石橋の「雁行橋」がある。
並べられた石が、雁が飛んでいくように見えるところから、この名がついたらしい。
石が亀の形なので「亀甲橋」とも、この橋を渡ると長生きするらしいが、今は保護のため通行禁止。
小川に沿った遊歩道。
「兼六」の語源は宋の詩人・李格非が洛陽の名園・湖園を謳った詩に由来するという。
洛人云、園圃之勝、不能相兼者六
務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望
兼此六者、惟湖園而已
(洛人の云ふ、園圃の勝、相ひ兼ねるあたはざるは六
宏大を務むるは幽邃少なし、人力勝れるは蒼古少なし、水泉多きは眺望艱し
この六を兼ねるは、ただ湖園のみ)
園内「瓢池」にある「兼六園三芳庵」は休憩と食事ができる。
治部煮、加賀料理をいただきました。
兼六園の桂坂口を出ると金沢城の石川門である。
写真は石川櫓。
兼六園付近地図
(2017年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
尾山神社(石川県)加賀藩神社 [北陸地方の旅]
尾山神社(おやまじんじゃ)
尾山神社は石川県金沢市尾山町、加賀藩の藩祖・前田利家と妻の芳春院(まつ)を祀った神社である。
慶長4年(1599年)前田利家が薨去、子の利長はその霊を祀ろうするが、徳川幕府を憚り神社創建はできない。そこで金沢城の東に卯辰八幡宮を建て、八幡神と天照大神を遷座し、利家の霊を合祀した。
明治となり旧藩士達が藩祖を祀る神社建立に向け動き、明治6年(1873年)「尾山神社」として創建し、卯辰八幡宮から神霊遷座が行われた。
尾山神社鳥居から「神門」を撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
「神門」は洋風と中国風の混在した独特の形状、重要文化財。
神門から本殿を望む、注連縄は和風。
本殿から境内を撮影、神門の最上階にはギヤマンが嵌め込まれている。
本殿をバックに、利家公「金鯰尾兜の碑」。
境内奥に前田利家騎馬像。
お松の方(芳春院)石碑。
「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」NHK大河ドラマは2002年の放映だった・・。
手水舎と神門。
前田利家の命日は慶長4年(1599年)閏3月3日、新暦4月27日、尾山神社の例祭が行われる日である。
尾山神社付近地図
(2017年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
NHK大河ドラマ(Amazonの該当頁へ):「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」
尾山神社は石川県金沢市尾山町、加賀藩の藩祖・前田利家と妻の芳春院(まつ)を祀った神社である。
慶長4年(1599年)前田利家が薨去、子の利長はその霊を祀ろうするが、徳川幕府を憚り神社創建はできない。そこで金沢城の東に卯辰八幡宮を建て、八幡神と天照大神を遷座し、利家の霊を合祀した。
明治となり旧藩士達が藩祖を祀る神社建立に向け動き、明治6年(1873年)「尾山神社」として創建し、卯辰八幡宮から神霊遷座が行われた。
尾山神社鳥居から「神門」を撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
「神門」は洋風と中国風の混在した独特の形状、重要文化財。
神門から本殿を望む、注連縄は和風。
本殿から境内を撮影、神門の最上階にはギヤマンが嵌め込まれている。
本殿をバックに、利家公「金鯰尾兜の碑」。
境内奥に前田利家騎馬像。
お松の方(芳春院)石碑。
「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」NHK大河ドラマは2002年の放映だった・・。
手水舎と神門。
前田利家の命日は慶長4年(1599年)閏3月3日、新暦4月27日、尾山神社の例祭が行われる日である。
尾山神社付近地図
(2017年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
NHK大河ドラマ(Amazonの該当頁へ):「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」
千里浜(石川県) [北陸地方の旅]
千里浜
石川県羽咋市にある千里浜、日本で唯一の車で走れる砂浜道路「千里浜なぎさドライブウェイ」がある。
全長8km、車で砂浜を走れるのは、砂がきめ細かく海水を含んで引き締まっているから・・らしい。
日本海に臨む千里浜、運が良ければ太陽が水平線に沈むところを見られる。
残念ながら雲が・・。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
押し寄せる波は強く、暗い、夕方だし。
夕食は奮発してタグ付きのズワイ蟹を一杯、女房と二人で黙々と・・。
宿泊は千里浜に歩いて行けるホテル「ちりはまホテルゆ華」。
千里浜付近地図
羽咋市千里浜に宿泊した翌日は能登半島を横断して七尾市にある「花嫁のれん館」に。
「花嫁のれん」とは、能登・加賀・越中の婚礼風習で、嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐる「のれん」のこと。「花嫁のれん館」はこの「花嫁のれん」が常設されている。
「坂東三十三観音巡り結願」の恩恵で、娘二人も無事に嫁ぎ、お土産に小さな「花嫁のれん」を購入。
(2017年12月上旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)
関連ブログ:坂東三十三観音三十三番札所「那古観音」結願
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「ちりはまホテルゆ華」
石川県羽咋市にある千里浜、日本で唯一の車で走れる砂浜道路「千里浜なぎさドライブウェイ」がある。
全長8km、車で砂浜を走れるのは、砂がきめ細かく海水を含んで引き締まっているから・・らしい。
日本海に臨む千里浜、運が良ければ太陽が水平線に沈むところを見られる。
残念ながら雲が・・。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
押し寄せる波は強く、暗い、夕方だし。
夕食は奮発してタグ付きのズワイ蟹を一杯、女房と二人で黙々と・・。
宿泊は千里浜に歩いて行けるホテル「ちりはまホテルゆ華」。
千里浜付近地図
羽咋市千里浜に宿泊した翌日は能登半島を横断して七尾市にある「花嫁のれん館」に。
「花嫁のれん」とは、能登・加賀・越中の婚礼風習で、嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐる「のれん」のこと。「花嫁のれん館」はこの「花嫁のれん」が常設されている。
「坂東三十三観音巡り結願」の恩恵で、娘二人も無事に嫁ぎ、お土産に小さな「花嫁のれん」を購入。
(2017年12月上旬 撮影機材 Nikon Df、Nikon1 J5)
関連ブログ:坂東三十三観音三十三番札所「那古観音」結願
泊まった宿(じゃらんのHPへ):「ちりはまホテルゆ華」