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熊野古道(和歌山県)中辺路 [近畿地方の旅]

熊野古道 中辺路
和歌山県の田辺から熊野本宮・新宮・那智に至る参詣道を中辺路(なかへち)と云う。奈良時代から平安時代にかけて熊野信仰が高まり、最も多くの参拝者が歩いたとされる熊野参詣道が中辺路である。

中辺路は全コースで約40㎞程あるらしく、一泊二日とか。物見遊山の旅だし根性もないので、初心者向けプチコースを選んで、いざ参詣。

大門坂入口から熊野那智大社
熊野古道中辺路を通る大門坂は、「那智山」へと全長約600m、高低差約100mの石畳が続く道である。
大門坂入口にある夫婦杉が参詣者をお出迎え。樹齢800年と云われる。
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杉木立に囲まれた石畳、熊野古道を歩く。            (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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厳かな雰囲気。

日差しが入り、坂の終わりも近い、歩いてきた大門坂を撮影。
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かつては坂の到着地点に大きな門があったらしく「大門坂」というらしい。

熊野那智大社と那智山青岸渡寺。
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熊野那智大社は熊野夫須美大神(熊野権現)を主祭神とする。その昔は「那智の滝」に社殿があり、滝の神を祀ったものだと考えられているらしい。那智山青岸渡寺は西国三十三観音第一番札所、那智の滝によく映える三重塔はこの寺の伽藍の一つである。創建の時期等は大社も含め判然としないらしい。

田辺の熊野本宮大社、新宮の熊野速玉大社そして那智の熊野那智大社を熊野三山と云う。熊野三山、熊野古道は世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』である。

紀伊勝浦に一泊し、翌日は「神倉神社」と「熊野本宮大社」に参詣。熊野本宮大社の主祭神は家津美御子大神(スサノオノミコト)、古代本宮の地に神が降臨したとされ、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)との伝である。

社務所前に黒いポストがあり、三本足の烏がいて、ポストには「八咫ポスト」と書かれている。
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三本足の八咫烏(やたがらす)、日本書紀や古事記の中の「神武東征」において神武天皇が熊野に到着されたとき、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたという話から、「導き神鳥」として信仰されるようになる。

牛馬童子
熊野古道中辺路の端折峠と呼ばれる所にある小さな石像。牛と馬に跨った童の像である。
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2008年に頭部損壊の事件があり、復元された跡が残っている。心ない奴がいるものだ。

国道311号沿いに道の駅「熊野古道中辺路」がある、そこに車をおいて熊野古道に入ると便利。
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道の駅のお土産屋さんで「牛馬童子」のレプリカが売っていたので・・帰りに購入。

熊野散策はJR紀勢本線にて紀伊勝浦に行き、レンタカーで那智、新宮、本宮と移動。熊野古道を歩いた区間は、バスを利用して駐車場まで戻る。帰りは南紀白浜空港でレンタカーを乗り捨て、帰京。

熊野那智大社付近地図


牛馬童子付近地図


(2013年11月上旬 撮影機材 Nikon D5100)

関連ブログ:那智の滝神倉神社
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那智の滝(和歌山県) [近畿地方の旅]

那智の滝
熊野那智大社の別宮「飛瀧神社」の御神体でもある那智の滝、落差は133mで一段の滝としては日本一。
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「一の滝」「那智の大滝」とも呼ばれる。

滝口の岩盤切れ目により、三筋に分かれて流れ落ちるところから、「三筋の滝」とも呼ばれる。
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御神体らしく、滝口には注連縄が張られている。

那智の滝を御神体とする飛瀧神社、熊野那智大社の別宮であるが、熊野の神様は元々ここでお祀りされていたらしい。

飛瀧神社の鳥居から見る那智の滝。
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鳥居の左側にお滝拝所舞台があり、滝をより直近に見ることができる。有料だけど。

お滝拝所舞台から見る滝壺付近、うっすらと虹が。        (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に含まれる。日本三名瀑の一つである。

那智の滝付近地図


(2013年11月上旬 撮影機材 Nikon D5100)
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神倉神社(和歌山県)熊野速玉大社の摂社 [近畿地方の旅]

熊野速玉大社の摂社 神倉神社
和歌山県新宮市の神倉山にある神倉神社は、神話時代に遡る伝承がある。神倉神社の御神体「ゴトビキ岩」は、神代の頃、熊野の神々が一番最初に降臨された聖地と云われている。熊野三山の一つである熊野速玉大社は、まだ社殿がない自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮」と呼ばれているとの伝。

神倉神社の鳥居。
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急峻な石段は五百数十段、雨の日は滑りやすく危険な感じ・・この日は雨。

「熊野古道」中の古道と言われる参道。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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社殿と注連縄が架けられた御神体「ゴトビキ岩」。
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社殿からは新宮市街地と熊野灘が望めるらしいが、この日は雨なので望めない・・。

神倉神社は世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部。

神倉神社は新宮市だが、熊野散策の一環で前日は紀伊勝浦からレンタカーで那智を廻り、紀伊勝浦で一泊して神倉神社に向かった。

神倉神社付近地図


(2013年11月上旬 撮影機材 Nikon D5100)

関連ブログ:熊野古道
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東大寺(奈良県)南大門・大仏殿 [近畿地方の旅]

華厳宗大本山 東大寺
神亀五年(728年)聖武天皇は幼くして亡くなった皇子の菩提を追修するため、若草山麓に金鍾山寺を建立した。天平13年(741年)国家の安寧と隆昌を祈願し、聖武天皇により日本六十余州に国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となった。この大和金光明寺が東大寺の前身寺院であり、全国に建立された国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。

東大寺は盧舎那大仏を本尊とし、華厳宗大本山、正式名称は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」と云う。天平勝宝四年(752年)に「大仏開眼供養会」が行われているが、講堂・東西両塔などの諸堂の造営は延暦八年(789年)3月の造東大寺司の廃止まで続行された。

東大寺参道を進むと最初に出会う伽藍は南大門。 
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南大門は応和2年(962年)に台風で倒壊後、正治元年(1199年)に復興された、国宝。

南大門から金堂(大仏殿)を望む。 
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東大寺の伽藍は、南大門、中門、金堂(大仏殿)が一直線に並んでいる。

中門は重要文化財、享保元年(1716年)ごろの再建らしい。
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中門から金堂(大仏殿)を望む。
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中門内に入り、大仏殿と大仏を観るには拝観料が必要。

金堂(大仏殿)、国宝。
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金堂(大仏殿)は天平勝宝4年(752年)に開眼供養の後、治承4年(1180年)兵火で焼失、建久6年(1195年)には再建されたが、永禄10年(1567年)再び兵火により炎上した。その後しばらく再建されず、大仏は露座であったが、宝永6年(1709年)に再建された。

東大寺は平成10年(1998年)に古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録された。

今回の宿泊はJR奈良駅直結の「ホテル日航奈良」。
前泊して、翌朝に荷物をホテルに預かってもらって東大寺へ。

東大寺付近地図


(2014年12月中旬 撮影機材 Nikon D5100)

泊まった宿(じゃらんのHPへ)「ホテル日航奈良」

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東大寺(奈良県)盧舎那大仏 [近畿地方の旅]

華厳宗大本山 東大寺
天平13年(741年)国家の安寧と隆昌を祈願し、聖武天皇により日本六十余州に国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられた。東大寺はこの全国に建立された国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされている。本尊は盧舎那大仏、華厳宗大本山、正式名称は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」と云う。

盧舎那大仏
聖武天皇は河内国知識寺に詣でた折、華厳経の教えを所依とし民間のちからで盧舎那仏が造立され信仰されている姿を見て、盧舎那大仏造立を強く願われ、天平15年(743年)「大仏造顕の詔」が発せられた。

盧舎那大仏造立にあたっては「華厳経」の教理と巨大な仏像の鋳造方法や相好などが研究されて、紫香楽宮(聖武天皇離宮)の近く甲賀寺にて建造が始められたが、山火事など不穏な出来事が続き中止、天平17年(745年)から金鍾山寺の寺地(現在の東大寺)で建造が再開された。完成は天平勝宝4年(752年)、大仏開眼供養会が盛大に厳修された。

東大寺盧舎那大仏、国宝。
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盧舎那仏(るしゃなぶつ)は、釈迦如来の別名、左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っておられるらしい。

大仏殿内、盧舎那大仏背後から撮影。
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盧舎那大仏と大仏殿(金堂)は治承4年(1180年)兵火で焼失、大仏は再興され文治元年(1185年)に開眼法要、大仏殿は建久6年(1195年)には再建された。しかし永禄10年(1567年)再び兵火により炎上、その後しばらく再建されず大仏は仮復旧のまま露座であったが、江戸時代に入り復旧されて元禄5年(1692年)に開眼供養、大仏殿は宝永6年(1709年)に再建され現在に至る。

現在の大仏は、腹・脚と台座に創建当初のものが残り、本体の大半は室町時代、頭部は江戸時代のもの。
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大仏殿(金堂)正面。

大仏殿(金堂)は創建当時と比較して約4分の3の規模になっているとの事。
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それでも、木造建築物としては世界最大らしい。

東大寺は平成10年(1998年)に古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録された。

今回の宿泊はJR奈良駅直結の「ホテル日航奈良」。
前泊して、翌朝に荷物をホテルに預かってもらって東大寺へ。

東大寺付近地図


(2014年12月中旬 撮影機材 Nikon D5100)

泊まった宿(じゃらんのHPへ)「ホテル日航奈良」

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