竹田城址(兵庫県)立雲峡・第三展望台 [近畿地方の旅]
竹田城址・立雲峡
但馬にそびえる天空の城「竹田城」、但馬地方では秋から冬にかけてよく晴れた早朝に朝霧が発生し、山上にある竹田城を雲海に包むらしい。雲海に包まれた竹田城址を撮影するには海抜757mの朝来山中腹にある「立雲峡」からとなる。時季には多くのカメラマンが集まるというので、季節外れの春遅くに行ってみた。(写真は立雲峡入口にあった看板を撮影したもの)
入口では立雲峡環境整備協力金と云うことで¥300支払う。係の人に聞いたところでは、今朝も霧がでたとのこと、条件さえ整えば春でも雲海が見られるらしい。雲だけに「運」次第とのことでした・・。
立雲峡は「但馬吉野」とも呼ばれる北近畿一の桜の名所らしい。桜の時季も外しているので、新緑の山道を登っていく。
すぐに第三展望台に着く。竹田城址が遠望できる。
ここの標高は約300m、竹田城天守台が標高350m、ほぼ真正面。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
第二展望台に向かう途中、眺望が開けたところで撮影。
竹田城は播磨・丹波・但馬の交通上の要地に築城されたと云う。
労作性狭心症を患った身に、登りの坂道は結構きつい。杖をついて降りてきた方に、上まで行くのは大変だよ、ここらの眺めが一番いいと言われた。が、馬鹿とカメラマンは高いところに登りたがるのが常なので、胸のステントを信じて第一展望台まで行くことにした。苔の生えたる巨岩、奇石を眺めながら。
「臥牛岩」
立雲峡付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
但馬にそびえる天空の城「竹田城」、但馬地方では秋から冬にかけてよく晴れた早朝に朝霧が発生し、山上にある竹田城を雲海に包むらしい。雲海に包まれた竹田城址を撮影するには海抜757mの朝来山中腹にある「立雲峡」からとなる。時季には多くのカメラマンが集まるというので、季節外れの春遅くに行ってみた。(写真は立雲峡入口にあった看板を撮影したもの)
入口では立雲峡環境整備協力金と云うことで¥300支払う。係の人に聞いたところでは、今朝も霧がでたとのこと、条件さえ整えば春でも雲海が見られるらしい。雲だけに「運」次第とのことでした・・。
立雲峡は「但馬吉野」とも呼ばれる北近畿一の桜の名所らしい。桜の時季も外しているので、新緑の山道を登っていく。
すぐに第三展望台に着く。竹田城址が遠望できる。
ここの標高は約300m、竹田城天守台が標高350m、ほぼ真正面。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
第二展望台に向かう途中、眺望が開けたところで撮影。
竹田城は播磨・丹波・但馬の交通上の要地に築城されたと云う。
労作性狭心症を患った身に、登りの坂道は結構きつい。杖をついて降りてきた方に、上まで行くのは大変だよ、ここらの眺めが一番いいと言われた。が、馬鹿とカメラマンは高いところに登りたがるのが常なので、胸のステントを信じて第一展望台まで行くことにした。苔の生えたる巨岩、奇石を眺めながら。
「臥牛岩」
立雲峡付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
竹田城址(兵庫県)立雲峡・第一展望台 [近畿地方の旅]
竹田城址・立雲峡
但馬にそびえる天空の城「竹田城」、但馬地方では秋から冬にかけてよく晴れた早朝に朝霧が発生し、山上にある竹田城を雲海に包むらしい。雲海に包まれた竹田城址を撮影するには海抜757mの朝来山中腹にある「立雲峡」からとなる。時季には多くのカメラマンが集まるというので、季節外れの春遅くに行ってみた。(写真は立雲峡入口にあった看板を撮影したもの)
入口では立雲峡環境整備協力金と云うことで¥300支払う。係の人に聞いたところでは、今朝も霧がでたとのこと、条件さえ整えば春でも雲海が見られるらしい。雲だけに「運」次第とのことでした・・。
立雲峡、第三・第二展望台を経て、第一展望台に向かう途中の小さな滝と桜。
滝は「竜神の滝」と云うらしい、ここから道が左に折れて、坂が急になる。滝の上に小さな社があったので、お賽銭を入れて・・「ご照覧あれ」。
なんとなく一緒についてきたトカゲ、岩の上で一休み。
木々の合間から「竹田城址」を遠望。
最後とおぼしき階段・・。
第一展望台に設置された「立雲峡テラス」に到着。
人気の撮影場所となり時季には混み合うので、最近設置されたらしい。
第一展望台から「竹田城址」を撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
第三展望台からの写真とは雰囲気が異なる。雲海のある時は第一展望台からの写真がよさそう。
(立雲峡・第三展望台で撮影した写真)
竹田城下全景。
第一展望台まではさすがに息が切れた・・もう若くないさと・・自分に言い訳。
立雲峡付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
但馬にそびえる天空の城「竹田城」、但馬地方では秋から冬にかけてよく晴れた早朝に朝霧が発生し、山上にある竹田城を雲海に包むらしい。雲海に包まれた竹田城址を撮影するには海抜757mの朝来山中腹にある「立雲峡」からとなる。時季には多くのカメラマンが集まるというので、季節外れの春遅くに行ってみた。(写真は立雲峡入口にあった看板を撮影したもの)
入口では立雲峡環境整備協力金と云うことで¥300支払う。係の人に聞いたところでは、今朝も霧がでたとのこと、条件さえ整えば春でも雲海が見られるらしい。雲だけに「運」次第とのことでした・・。
立雲峡、第三・第二展望台を経て、第一展望台に向かう途中の小さな滝と桜。
滝は「竜神の滝」と云うらしい、ここから道が左に折れて、坂が急になる。滝の上に小さな社があったので、お賽銭を入れて・・「ご照覧あれ」。
なんとなく一緒についてきたトカゲ、岩の上で一休み。
木々の合間から「竹田城址」を遠望。
最後とおぼしき階段・・。
第一展望台に設置された「立雲峡テラス」に到着。
人気の撮影場所となり時季には混み合うので、最近設置されたらしい。
第一展望台から「竹田城址」を撮影。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
第三展望台からの写真とは雰囲気が異なる。雲海のある時は第一展望台からの写真がよさそう。
(立雲峡・第三展望台で撮影した写真)
竹田城下全景。
第一展望台まではさすがに息が切れた・・もう若くないさと・・自分に言い訳。
立雲峡付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
竹田城址(兵庫県) [近畿地方の旅]
竹田城址
兵庫県朝来市和田山町竹田にある「竹田城址」、標高353.7mの古城山(虎臥山)山頂に築かれた山城の遺構である。この地域は秋の晴れた朝に濃い霧が発生する事が多く、朝霧に囲まれた城址が雲海に浮かぶように見えるところから「天空の城」とも呼ばれるようになったらしい。
竹田城は、播磨・丹波・但馬の要衝の地に、但馬守護の山名氏によって嘉吉年間(1441〜1443年)に築かれた。築城に関しては不明な点が多いらしいが、戦国時代の天正5年(1577年)羽柴秀吉の但馬攻めにより羽柴秀長が城代となり、これ以降、織豊方の拠点城郭として機能する。しかし、関ヶ原では敗軍側となり、慶長5年(1600年)に幕府の方針により廃城となる。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
南二の丸から天守台を望む
竹田城は別名「虎臥城」とも呼ばれ、天守台・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪(北千畳・南千畳・花屋敷)が配置されており、縄張りの規模は東西に約100m、南北に約400m、廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、石垣遺構としては全国屈指の規模を誇ると云う。
(城跡内観覧ルート:竹田城跡公式HPより)
竹田城址には車で行けないので、「山城の里」という竹田城跡に最も近いお立寄処にレンタカーを止めて、「天空バス」とやらで竹田城址へ向かう。(歩いて40分らしいが、立雲峡で疲れた・・)
「山城の里」施設、バス停は売店・レストラン前。
バス停「竹田城址」からも坂道(登り)を結構歩く、途中に落ちそで落ちないという岩が祀られていた。
「落ちない岩」と云うので、合格祈願になるらしい。とりあえず、拝んでおいた。
観覧券(¥500)を購入して入城、すぐに大きな石垣が出迎えてくれる。
北千畳の石垣、竹田城の石垣は「穴太(あのう)積み」、出角部分は「算木積み」である。
北千畳にて休憩。
北千畳からの眺め。
北千畳から三ノ丸に上がってくる通路。
竹田城の天守台に向かう。
「竹田城址」表記について
ずっと竹田「城址」だと思っていたが、「城跡(じょうせき)」の記載がパンフレットやホームページではなされている、これだけりっぱな石垣が残っているので「城址(じょうし)」の方が字義に合うと思うので、やっぱり「竹田城址」にした。「址」は常用漢字にないらしいけど・・。
竹田城址付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
兵庫県朝来市和田山町竹田にある「竹田城址」、標高353.7mの古城山(虎臥山)山頂に築かれた山城の遺構である。この地域は秋の晴れた朝に濃い霧が発生する事が多く、朝霧に囲まれた城址が雲海に浮かぶように見えるところから「天空の城」とも呼ばれるようになったらしい。
竹田城は、播磨・丹波・但馬の要衝の地に、但馬守護の山名氏によって嘉吉年間(1441〜1443年)に築かれた。築城に関しては不明な点が多いらしいが、戦国時代の天正5年(1577年)羽柴秀吉の但馬攻めにより羽柴秀長が城代となり、これ以降、織豊方の拠点城郭として機能する。しかし、関ヶ原では敗軍側となり、慶長5年(1600年)に幕府の方針により廃城となる。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
南二の丸から天守台を望む
竹田城は別名「虎臥城」とも呼ばれ、天守台・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪(北千畳・南千畳・花屋敷)が配置されており、縄張りの規模は東西に約100m、南北に約400m、廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、石垣遺構としては全国屈指の規模を誇ると云う。
(城跡内観覧ルート:竹田城跡公式HPより)
竹田城址には車で行けないので、「山城の里」という竹田城跡に最も近いお立寄処にレンタカーを止めて、「天空バス」とやらで竹田城址へ向かう。(歩いて40分らしいが、立雲峡で疲れた・・)
「山城の里」施設、バス停は売店・レストラン前。
バス停「竹田城址」からも坂道(登り)を結構歩く、途中に落ちそで落ちないという岩が祀られていた。
「落ちない岩」と云うので、合格祈願になるらしい。とりあえず、拝んでおいた。
観覧券(¥500)を購入して入城、すぐに大きな石垣が出迎えてくれる。
北千畳の石垣、竹田城の石垣は「穴太(あのう)積み」、出角部分は「算木積み」である。
北千畳にて休憩。
北千畳からの眺め。
北千畳から三ノ丸に上がってくる通路。
竹田城の天守台に向かう。
「竹田城址」表記について
ずっと竹田「城址」だと思っていたが、「城跡(じょうせき)」の記載がパンフレットやホームページではなされている、これだけりっぱな石垣が残っているので「城址(じょうし)」の方が字義に合うと思うので、やっぱり「竹田城址」にした。「址」は常用漢字にないらしいけど・・。
竹田城址付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
竹田城址(兵庫県)天守台 [近畿地方の旅]
竹田城址
兵庫県朝来市和田山町竹田にある「竹田城址」、標高353.7mの古城山(虎臥山)山頂に築かれた山城の遺構である。この地域は秋の晴れた朝に濃い霧が発生する事が多く、朝霧に囲まれた城址が雲海に浮かぶように見えるところから「天空の城」とも呼ばれるようになったらしい。
立雲峡から「竹田城址」を撮影した後、「竹田城址」を訪れた。北千畳・三の丸を観覧し二の丸へ、二の丸から天守台・南二の丸・南千畳を観る。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
天守台で傘をさしている人は説明員、天守の構造などはさだかでないらしい。
竹田城の本丸と天守台、本丸の標高は351.1mとなっている。
尾根の最高所に本丸を置き、その正面に天守台を設置している。
天守台の正面、朝来山・立雲峡に対峙、麓には竹田城下町。
午前中は立雲峡に登り、午後は竹田城址に登る・・爺いの旅行にしてはハードである。
竹田城は、播磨・丹波・但馬の要衝の地に、但馬守護の山名氏によって嘉吉年間(1441〜1443年)に築かれた。築城に関しては不明な点が多いらしいが、戦国時代の天正5年(1577年)羽柴秀吉の但馬攻めにより羽柴秀長が城代となり、これ以降、織豊方の拠点城郭として機能する。しかし、関ヶ原では敗軍側となり、慶長5年(1600年)に幕府の方針により廃城となる。
天守台より、南二の丸・南千畳方向を撮影。
南千畳と北千畳は標高331mで同じ高さに造られている。
竹田城は天守・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪(北千畳・南千畳・花屋敷)が配置されている。
(城跡内観覧ルート:竹田城跡公式HPより)
下の段が花屋敷、観覧ルートには入っていない。
天守台・本丸から下って平殿へ、本丸の石垣を見上げる。
南二の丸に入ったところで天守台を撮影。
「古城」の雰囲気・・。
南千畳から天守・本丸・二の丸。
南千畳を下って観覧終了となる。
「竹田城址」表記について
ずっと竹田「城址」だと思っていたが、「城跡(じょうせき)」の記載がパンフレットやホームページではなされている、これだけりっぱな石垣が残っているので「城址(じょうし)」の方が字義に合うと思うので、やっぱり「竹田城址」にした。「址」は常用漢字にないらしいけど・・。
竹田城址付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
兵庫県朝来市和田山町竹田にある「竹田城址」、標高353.7mの古城山(虎臥山)山頂に築かれた山城の遺構である。この地域は秋の晴れた朝に濃い霧が発生する事が多く、朝霧に囲まれた城址が雲海に浮かぶように見えるところから「天空の城」とも呼ばれるようになったらしい。
立雲峡から「竹田城址」を撮影した後、「竹田城址」を訪れた。北千畳・三の丸を観覧し二の丸へ、二の丸から天守台・南二の丸・南千畳を観る。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
天守台で傘をさしている人は説明員、天守の構造などはさだかでないらしい。
竹田城の本丸と天守台、本丸の標高は351.1mとなっている。
尾根の最高所に本丸を置き、その正面に天守台を設置している。
天守台の正面、朝来山・立雲峡に対峙、麓には竹田城下町。
午前中は立雲峡に登り、午後は竹田城址に登る・・爺いの旅行にしてはハードである。
竹田城は、播磨・丹波・但馬の要衝の地に、但馬守護の山名氏によって嘉吉年間(1441〜1443年)に築かれた。築城に関しては不明な点が多いらしいが、戦国時代の天正5年(1577年)羽柴秀吉の但馬攻めにより羽柴秀長が城代となり、これ以降、織豊方の拠点城郭として機能する。しかし、関ヶ原では敗軍側となり、慶長5年(1600年)に幕府の方針により廃城となる。
天守台より、南二の丸・南千畳方向を撮影。
南千畳と北千畳は標高331mで同じ高さに造られている。
竹田城は天守・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪(北千畳・南千畳・花屋敷)が配置されている。
(城跡内観覧ルート:竹田城跡公式HPより)
下の段が花屋敷、観覧ルートには入っていない。
天守台・本丸から下って平殿へ、本丸の石垣を見上げる。
南二の丸に入ったところで天守台を撮影。
「古城」の雰囲気・・。
南千畳から天守・本丸・二の丸。
南千畳を下って観覧終了となる。
「竹田城址」表記について
ずっと竹田「城址」だと思っていたが、「城跡(じょうせき)」の記載がパンフレットやホームページではなされている、これだけりっぱな石垣が残っているので「城址(じょうし)」の方が字義に合うと思うので、やっぱり「竹田城址」にした。「址」は常用漢字にないらしいけど・・。
竹田城址付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
元伊勢内宮皇大神社(京都府) [近畿地方の旅]
元伊勢内宮皇大神社
京都府福知山市大江町に鎮座する「元伊勢内宮皇大神社」、北緯35度25分に位置し、日本の主要な霊場が並ぶレイライン「御来光の道」を成す一つである。ここは皇大神宮(伊勢神宮内宮)の元宮であったとの伝承から「元伊勢皇大神宮」または「元伊勢内宮」とも称される。
伝承によると崇神天皇39年(紀元前59年:弥生時代ではないか・・)に、それまで宮中に祀られていた天照皇大神の「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、倭笠縫邑(現:奈良県桜井市三輪)をお出になった。まず最初に但波(丹波)へお遷りになり、その由緒により皇大神宮として当社が創建されたが、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになった。このことから当社は伊勢神宮内宮の元の宮として「元伊勢内宮」と呼ばれると云う。(元伊勢内宮皇大神社ホームページより抜粋)
元伊勢内宮皇大神社は京都丹後鉄道の大江山口内宮駅が最寄駅となる。当初電車で行こうと思ったが、竹田城址訪問と併せた旅程にしたので、但馬空港でレンタカーを借りて車で行った。ナビに従って走ったが、途中の山越え(兵庫県から京都府へ)は狭い山道で、とんでもない道であった。神社近辺の駐車場に車を止めて、料金箱に¥500投入、いざ参拝へ。
鳥居をくぐると、参道の石段(220段らしい)が続く。
石段の終わりが見えてきた。
拝殿並びに本殿。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
本殿は「茅葺の神明造」、古来の簡素で素朴な建築様式を今に伝えると云う。
当社は60年毎の式年遷宮があったらしいが、明治5年(1872年)以降途絶え、平成22年(2010年)に大改修が行われたと云う。
左殿(本殿向かって右)は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)の宮。
元伊勢内宮皇大神社には八十余の小宮が、本殿を中心に前後左右を囲んでいる。
「黒木の鳥居」
正面鳥居は、樹皮のついた丸太のままの杉で、素朴な様式の鳥居。
訪問当日は、何がしかの祭事が行われていた模様。
一緒に拝ませてもらった・・ご照覧あれ。
「御来光の道(レイライン)」
我が国の北緯35度22分付近には、有名な山岳や神社仏閣が並んでいる。春分と秋分に日の出の陽光が貫くこのレイラインは「御来光の道」と呼ばれ、神秘的なパワーをもたらすと云われる千葉県の玉前神社から、神奈川県の寒川神社、富士山、滋賀県の竹生島神社、京都府の元伊勢内宮皇大神社、鳥取県の大山、島根県の出雲大社などの有名かつ神聖な霊場が並ぶ。
元伊勢内宮皇大神社付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )
京都府福知山市大江町に鎮座する「元伊勢内宮皇大神社」、北緯35度25分に位置し、日本の主要な霊場が並ぶレイライン「御来光の道」を成す一つである。ここは皇大神宮(伊勢神宮内宮)の元宮であったとの伝承から「元伊勢皇大神宮」または「元伊勢内宮」とも称される。
伝承によると崇神天皇39年(紀元前59年:弥生時代ではないか・・)に、それまで宮中に祀られていた天照皇大神の「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、倭笠縫邑(現:奈良県桜井市三輪)をお出になった。まず最初に但波(丹波)へお遷りになり、その由緒により皇大神宮として当社が創建されたが、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになった。このことから当社は伊勢神宮内宮の元の宮として「元伊勢内宮」と呼ばれると云う。(元伊勢内宮皇大神社ホームページより抜粋)
元伊勢内宮皇大神社は京都丹後鉄道の大江山口内宮駅が最寄駅となる。当初電車で行こうと思ったが、竹田城址訪問と併せた旅程にしたので、但馬空港でレンタカーを借りて車で行った。ナビに従って走ったが、途中の山越え(兵庫県から京都府へ)は狭い山道で、とんでもない道であった。神社近辺の駐車場に車を止めて、料金箱に¥500投入、いざ参拝へ。
鳥居をくぐると、参道の石段(220段らしい)が続く。
石段の終わりが見えてきた。
拝殿並びに本殿。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
本殿は「茅葺の神明造」、古来の簡素で素朴な建築様式を今に伝えると云う。
当社は60年毎の式年遷宮があったらしいが、明治5年(1872年)以降途絶え、平成22年(2010年)に大改修が行われたと云う。
左殿(本殿向かって右)は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)の宮。
元伊勢内宮皇大神社には八十余の小宮が、本殿を中心に前後左右を囲んでいる。
「黒木の鳥居」
正面鳥居は、樹皮のついた丸太のままの杉で、素朴な様式の鳥居。
訪問当日は、何がしかの祭事が行われていた模様。
一緒に拝ませてもらった・・ご照覧あれ。
「御来光の道(レイライン)」
我が国の北緯35度22分付近には、有名な山岳や神社仏閣が並んでいる。春分と秋分に日の出の陽光が貫くこのレイラインは「御来光の道」と呼ばれ、神秘的なパワーをもたらすと云われる千葉県の玉前神社から、神奈川県の寒川神社、富士山、滋賀県の竹生島神社、京都府の元伊勢内宮皇大神社、鳥取県の大山、島根県の出雲大社などの有名かつ神聖な霊場が並ぶ。
元伊勢内宮皇大神社付近地図
(2022年4月下旬 撮影機材 Nikon Df )