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高倉観音(千葉県)坂東三十三観音三十番札所 [南関東の旅]

平野山高蔵寺「高倉観音」
坂東三十三観音の三十番札所である平野山高蔵寺「高倉観音」、三十三観音巡礼のときに立ち寄った喫茶店にまた行きたいという我儘な妻の誘いで、千葉県木更津市まで車を走らせた。

高蔵寺仁王門。                        (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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門を入るとすぐに本堂が臨める。
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本堂にて二度目の参拝・・南無観世音菩薩。
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高蔵寺「高倉観音」、縁起によれば、用命天皇の御代、この地で徳儀上人が修行を積んでいたところ、雷光しきりにおこり、老翁が現れて古木を指さして消えた。上人が梢をみると四寸ほどの観音像が安置されていたので、里民と共に堂宇を建立して祀ったと云われる。

坂東三十三観音
観音信仰は仏教の東漸とともに流伝した。真心をもって一心に観音の御名を称えれば、観音菩薩は我らの苦悩を救いたもうとの事である。その慈悲心の働きは、姿を三十三種に変じてとあり、この三十三に合わせて三十三観音札所巡りが始められた。伝承によれば養老年間(717年〜723年)に大和長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王の勧めによって発願したが振るわず、やがて平安末期に花山法皇が巡礼なされたとして三十三観音(現在の西国三十三観音)は人々に広がりを見せた。この西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、札所が定められて行ったのが「坂東三十三観音」。

坂東とは箱根の坂より東の地域を指す、現在の関東である。坂東三十三観音の成立は、源頼朝と実朝が熱心な観音信者であった事から、鎌倉幕府成立の時期に気運が高まり制定されたと考えられる。

坂東三十三観音巡礼の方々。
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本堂回廊。
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鎌足生誕の伝承
高倉観音には、藤原氏の始祖「藤原鎌足」誕生に関わる伝承がある。
上総国矢納郷の有力者であった猪野長官は、子宝に恵まれず、高倉観音に願をかけて祈ったところ一女を授かった。娘は心清く成長したが器量が悪かったため、良縁を再び高倉観音におすがりしたところ、「鹿嶋に行きて日天を拝せよ」との夢告があり、そのとおりにして結婚、めでたく男子を得た。この子が「鎌子」、後の藤原氏の祖「藤原鎌足」である。

鎌足はこの高倉観音の霊験を深く尊崇、白雉元年(650年)に本堂等を建立した。しかし、これらの建物は焼失し、現在の本堂は大永6年(1526年)に再建、仁王門や鐘楼は江戸時代の再建といわれる。

鎌足が休憩のため腰掛けたと伝わる「腰掛石」、境内にある。
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藤原鎌足(中臣鎌足)は「大化の改新」の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍、藤原氏繁栄の礎を築いた。生誕は推古天皇22年(614年)であるが、出生地は大和国高市郡藤原、大和国大原、常陸国鹿嶋と諸説ある模様。没年は天智天皇8年(669年)である。

平野山高蔵寺付近地図


参拝後、参道にある軽喫茶「ライラック」にて軽食と珈琲を、天然水で淹れた珈琲でほっと一息・・。

(2022年5月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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