フェルメール(アムステルダム国立美術館)「牛乳を注ぐ女」 [名画と彫刻]
Johannes Vermeer(ヨハネス・フェルメール)
(1632年10月31日に洗礼を受け - 1675年12月16日に埋葬された)
2019年2月にJALPAKツアーでオランダのアムステルダム国立美術館を訪れた。ヨハネス・フェルメールはネーデルラント連邦共和国(オランダ)デルフトの生まれである。その生涯のほとんどを故郷のデルフトで過ごしたと云われる画家である。
生誕の地オランダ、アムステルダム国立美術館のフェルメール作品。
「牛乳を注ぐ女(Het melkmeisje)」、about 1657-58年。
「デルフトの眺望」「真珠の耳飾の少女」と共に、フェルメールの著名な作品の一つと云われる。
オランダ旅行の前年、2018年10月5日から2019年2月3日まで「上野の森美術館」にて「フェルメール展」が開催されていた。目玉の展示品はこの「牛乳を注ぐ女」である。
もちろん観に行った。展示会場の最後にこの作品が仰々しく展示されていた。
「フェルメール展」は東京開催の後、大阪でも開催された(大阪市立美術館)が、大阪では「牛乳を注ぐ女」は展示されておらず、アムステルダム国立美術館に戻った。
オランダを訪れたのは2019年2月、帰ってきたばかりの「牛乳を注ぐ女」に異国で再会。アムステルダム国立美術館ではさりげなく飾られているだけ、撮影も可能なので(日本では当然撮影禁止)カメラ爺いとしてはとても嬉しい。
「青衣の女」、about 1663-64年。
アムステルダム国立美術館が購入した最初のフェルメール作品らしい。
「小路」、about 1657-58年。
フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1つ(もう1点は「デルフトの眺望)。
「小路」はデルフト市内の風景、ここに描かれた場所については諸説あったが、「フェルメールの叔母の家で、個人的な思いが詰まっていた場所である」という研究結果が近年提唱されている。
アムステルダム国立美術館にはフェルメール作品は4点ある。ここに掲載してない「恋文」は、このとき「牛乳を注ぐ女」と入れ替わりに大阪市立美術館で展示されており、残念ながら観ていない・・。
アムステルダム国立美術館付近地図
(2019年2月下旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:「デルフトの眺望」と「真珠の耳飾の少女」
(1632年10月31日に洗礼を受け - 1675年12月16日に埋葬された)
2019年2月にJALPAKツアーでオランダのアムステルダム国立美術館を訪れた。ヨハネス・フェルメールはネーデルラント連邦共和国(オランダ)デルフトの生まれである。その生涯のほとんどを故郷のデルフトで過ごしたと云われる画家である。
生誕の地オランダ、アムステルダム国立美術館のフェルメール作品。
「牛乳を注ぐ女(Het melkmeisje)」、about 1657-58年。
「デルフトの眺望」「真珠の耳飾の少女」と共に、フェルメールの著名な作品の一つと云われる。
オランダ旅行の前年、2018年10月5日から2019年2月3日まで「上野の森美術館」にて「フェルメール展」が開催されていた。目玉の展示品はこの「牛乳を注ぐ女」である。
もちろん観に行った。展示会場の最後にこの作品が仰々しく展示されていた。
「フェルメール展」は東京開催の後、大阪でも開催された(大阪市立美術館)が、大阪では「牛乳を注ぐ女」は展示されておらず、アムステルダム国立美術館に戻った。
オランダを訪れたのは2019年2月、帰ってきたばかりの「牛乳を注ぐ女」に異国で再会。アムステルダム国立美術館ではさりげなく飾られているだけ、撮影も可能なので(日本では当然撮影禁止)カメラ爺いとしてはとても嬉しい。
「青衣の女」、about 1663-64年。
アムステルダム国立美術館が購入した最初のフェルメール作品らしい。
「小路」、about 1657-58年。
フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1つ(もう1点は「デルフトの眺望)。
「小路」はデルフト市内の風景、ここに描かれた場所については諸説あったが、「フェルメールの叔母の家で、個人的な思いが詰まっていた場所である」という研究結果が近年提唱されている。
アムステルダム国立美術館にはフェルメール作品は4点ある。ここに掲載してない「恋文」は、このとき「牛乳を注ぐ女」と入れ替わりに大阪市立美術館で展示されており、残念ながら観ていない・・。
アムステルダム国立美術館付近地図
(2019年2月下旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:「デルフトの眺望」と「真珠の耳飾の少女」
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